第502話 歌が始まる
真っ先に気付いたのは、テントの外にいたユキだ。
イザードの歌姫紹介が終わると同時に、傍にいた晶穂の袖を引く。青い顔をして、振り返った彼女に耳打ちした。
「ここにいたら、駄目。早く遠くに」
「わかった。――リン、ジェイスさん」
「了解」
「ああ、行こう」
ユキの手を引いた晶穂から弟を預かり、リンは一気にテントから距離を稼ぐために飛んだ。歌声が聞こえない町外れまで移動し、ユキの様子を見るためだ。
彼らを見送り、晶穂とジェイスは頷き合う。二人は魔力を持つものの魔種ではないため、呪いの歌の影響を受けるとは考えにくい。ただ可能性はないとは言えないため、直接歌と接することを避けた。
二人の役割は、歌を聴いた直後の魔種が二人を見てどんな反応を示すか観察することだ。勿論晶穂がそれを買って出た時、リンは顔をしかめた。
「お前が自ら傷付きに行く必要はないんだぞ?」
「そうだね。だけど、ジェイスさん一人にやらせるのも違うと思う。リンはユキについていてあげて。わたしも、護ってもらうだけじゃないから」
「……わかってる」
渋々承諾したリンに、晶穂は「ありがとう」と感謝を伝えることを忘れない。
「リンも、何か異変があったら教えて。みんなで乗り越えよ?」
「ああ」
そんなやり取りがあったのが昨夜。晶穂は大きく深呼吸し、ジェイスの傍に立った。
「晶穂、覚悟は良いかい?」
「はい」
「――よし、良い返事だ」
緊張した顔で、晶穂は浅く頷く。それを横目に見たジェイスは、ふっと表情を和らげて彼女の頭に手を乗せた。
「ジェイスさ……」
「きみたちが頑張っているんだ。私たちも負けていられないからね」
「それは――」
それは、どういう意味ですか。晶穂が尋ねるよりも早く、テントの中から美しい歌声が響き始めた。
歌は言う。あなたが必要なのだと歌う。身を捧げよ、と神への誓いのように。
「綺麗な歌声です。でも」
「そうだね。歌詞が不穏過ぎる、と思うのは私たちくらいのものかもしれない」
テントの中は魔種だらけだ。住民の八割強が魔種のこの町において、彼らが暴走した場合に止められる術はない。獣人や人間も共に暮らしているが、その力の差は歴然としている。
「……」
「……」
歌が朗々と響く中、晶穂とジェイスは己に変化がないかと気を張り詰めさせた。しかし、何か起こる予感はない。
晶穂は自分の両方の手のひらを見詰め、グーパーを何度か繰り返す。
「大丈夫そう、ですね」
「ああ。とするなら、案じるべきはユキとリンか。この歌声が聞こえる距離にはいないはずだけど、この声量だからな……」
眉間にしわを寄せたジェイスが危惧したように、テントから聞こえる歌はその声が大きい。マイクを通しているのだろうが、それにしても響き渡っている。まるで、このヒュートラ全域に聞かせようとしているかのように。
「――そうか、聞かせようとしてるんだ!」
「晶穂?」
「ジェイスさん、わたしたちが気を付けるべきはテントの中のお客さんだけではないかもしれません」
「それはどういう……。ああ、成程ね」
晶穂の言わんとしていることを察したジェイスが頷き、周囲を見渡した。
「おそらく、動きがあるとすれば歌が終わった後だ。何がスイッチになるのかはわからないけど、充分注意しよう」
「はい」
二人は背合わせになり、その時を待つ。
同じ頃、テントが張られた敷地内の別の場所。イザードが、歌姫・ゼシアナの歌声に聴き入りながら武器の手入れをしていた。彼の手にあるのは、刀身を磨くための布。その布で愛用の剣を撫でている。
「イザード様」
「……葉月か」
ゆっくりと顔を上げたイザードの前に、葉月が深々と
「この町の住民の約八割が魔種だと聞いたが、客入りはどうだ?」
「獣人や人間も混じっていますが、魔種が大多数となっています。あの人数ならば、一気に片を付けることも可能かと」
「わかった」
葉月を下がらせ、イザードは布をいじる手を止めた。傍に置かれた机に布も剣も置くと、右手をそっと開く。そしてぼそぼそと何か呟くと、手のひらに魔法陣のような模様が現れた。
模様はくるくると回り、徐々にそのスピードを上げる。やがて最高時速に達すると、何処からかゴポリという不穏な音が聞こえてきた。
「――我が力よ。歌と一つとなりて、人々に染み渡れ」
イザードの言葉を受け取り、手のひらで湧き出した毒の泉が霧散する。霧状になった毒素は宙を舞い、テントの中へと紛れ込む。
そこまで見届け、イザードの唇が弧を描いた。
(後は、ゼシアナの歌と共に魔種が毒に侵されるのを待つだけだ)
クスリと微笑し、イザードは椅子から立ち上がると身を翻した。
「この町へ私たちを追って来たこと、心から悔いるが良い。銀の華よ。――この町が、お前たちの墓場となろう」
自分の手にした剣の刃部分をイザードが撫でると、そこが紫色に変色した。ジュッという音と共に紫色はかき消えるが、イザードは満足げに微笑む。
紫色、つまり彼の魔力である『毒』が剣に染み込んだことを示している。この剣に直接触れた者は、触れたところから毒に侵され、やがて死ぬ。それが楽しみでたまらない、とイザードは内なる興奮を抑えて歩き出す。
「イザード様」
「行かれるんですね」
そんな彼の背中を追うのは、シエールと葉月だ。二人もまた、愛用の得物を手にして続く。
振り向かずに歩き続けるイザードの背に、葉月が報告する。
「夏姫、アリーヤは指定の場所へと向かいました」
「わかった。……ジスターはどうした?」
「あいつは、また引き籠ってんじゃないですかね?」
イザードの問いに応じたのはシエールだ。肩を竦め、呆れの感情が言葉の端々ににじんでいる。
シエールの態度に何か言うこともなく、イザードは小さく頷いただけで足を止めることはない。彼に続くシエールと葉月も、それは同じだ。
「――行け」
イザードの短い指示を受け、二人の気配が消える。
これから始まるのは、一方的な蹂躙だ。イザードたちが目的を果たすため、邪魔者を消すための宴。その協力者は、この町の住民。
「……そろそろか」
毒の魔力を使ってから、そろそろ十分が経とうとしている。それだけ時間が経過すれば歌姫のショーは終わり、魔種は己に魔力がかかっているとも知らずにテントの外へ出るだろう。そして、銀の華の者たちを見た途端に事は始まるのだ。
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