第500話 歌う者
いよいよ、サーカスの公演が始まった。
テントの中は満員御礼。先程まで賑やかな歓声を上げていた観客たちは、一気に暗くなった会場でしんと静まり返る。彼らの視線を一手に引き受けていたのは、たった一人の青年だった。
「――さあ、お集りの皆さまこんばんは。わたくしは、このサーカスの支配人を務めておりますイザードと申します。今夜は、皆様を素敵な夢の国へとご招待致します。どうぞ、お楽しみ下さいませ」
イザードの挨拶が終わると同時に、割れんばかりの拍手が巻き起こる。それらを聞きながら、イザードは暗闇へと消えていった。
指笛が鳴り、拍手は続く。歓声すらも轟く中、リンたち銀の華のメンバーは複雑な気持ちを抱えてそれを聞いていた。
「あの歓声、素直に聞きたかったな」
「それはおれもだ。だけど、最後まで見届けなくちゃな」
春直の呟きに、唯文は苦い思いで応じた。
現在、テントの中には二人を加えた四人がいる。彼らの後ろの席にはユーギと克臣が控え、普段と変わらない雑談に興じていた。
残りの四人はと言えば、テントの外に控えている。生粋の魔種であるリンと一度呪いを受けたユキ、そして魔種のように魔力を持つジェイスと晶穂だ。
サーカス団の団員の見張りを避けるため、四人はテントの中からの声が聞こえる距離にいた。森の木陰に隠れ、様子を窺う。
リンは弟のユキと同じ場所にいたが、少し顔色が悪く見えて声をかけた。
「ユキ、体はどうだ?」
「大丈夫。何か、動悸はするけど」
「それ大丈夫じゃないよ、ユキ……」
近くの木陰にいた晶穂が小声で心配を口にするが、ユキは苦笑を交えて首を横に振る。
「これ位、どうってことないよ。それに、これから起こることにぼくは必要でしょ?」
「ただし、無理になる前に言えよ?」
「ありがとう、兄さん」
「ああ。……しかし、ジェイスさん遅いな」
ジェイスは今、サーカスの様子を見に行くと言って席を外している。普段ならば見るべきものを確かめてすぐに戻って来る人だが、かれこれ三十分程いない。
晶穂もリンと同じことを思っていたのか、不安げに瞳を揺らした。
「うん。ジェイスさんのことだから、大丈夫だとは思うけど」
「ぼくたちまでここを離れるわけにはいかないもんね」
「そうだな。……もう少し、待ってみよう」
三人は頷き合い、再びテントの中の声に意識を集中させた。
それより少し前、ジェイスはテントの見張りをリンたち三人に任せて行動していた。人々の注意がサーカスの公演に集中している間に、少しでもこちらに有利な情報を見付けておきたかったのだ。そのため、彼の姿はサーカス関係者以外立ち入り禁止のエリアにあった。
「さあ、何か見付かればよかったんだけど……」
歩いていたジェイスは、ふっと息を吐き出して振り向いた。彼の視線の先には、金の刺繍の入った豪奢な赤いドレスを着こなす美女が立っている。
彼女を視界に入れたジェイスの目が、ゆっくりと細くなっていく。
「……広場から私たちを見ていたのは、貴女ですね?」
「あら、バレてないと思ったのですが?」
「それは残念でした。衣装はもっと地味なものでしたが、敵意というものに敏感なんですよ」
不満げな女に対し、ジェイスは悪びれず肩を竦めるのみ。それを不服に思ったのか、女はピンヒールを鳴らして彼に一歩近付いた。
「ここは、関係者以外立ち入り禁止ですよ。立札、あったでしょう?」
「ああ、読みましたよ。ただ、私たちもある意味関係者ではありますから」
「ああ言えばこう言うのですね」
眉間にしわを寄せ、女はため息をつく。くびれのはっきりとした腰に手を当て、
「……それで、貴方の捜しものは見付かりそうですか?」
「いいえ。貴女と出会わなければ見付けられたかもしれませんが、簡単には探させてくれないでしょう?」
「よくわかっているのですね」
女は長い髪を手で払い、それから腰のベルトに差していたマイクを手に取った。
「
「……私は、銀の華のジェイス。貴女が歌姫。ということは、アラストでの魔種暴走の一因となったのは」
「ええ、私です。最も、支配人がいなければ私の魔力も強さ半減ですが」
困ったものです。ゼシアナはそう言って妖艶に微笑むと、軽く息を吸った。その瞬間、魔力が膨れ上がる。
「原因が貴女にあるのなら、ここで倒すのが最善でしょうか」
魔力の増幅を感じ取り、ジェイスは己の魔力で使い慣れた弓と矢を創り出す。矢をつがえ、キリキリと弓を張った。
(傷付ける必要はない。この場は、あのマイクを落とさせれば良い)
ジェイスとて、冷徹にはなり切れない。そして、敵に銀の華を討つ正当な理由を作らせるわけにもいかなかった。
しかし、何もせずにこの場を立ち去る気もない。
ジェイスがつがえた矢を放つのとゼシアナが声を出したのはほぼ同時だった。
「ら~~~~~~。――っぁ!」
「――っ!」
歌声が音波となり、ジェイスに襲い掛かる。くらりと眩暈を起こす程の声量に、もう一本をつがえることが出来ない。
同時に、ゼシアナの手からマイクが弾き落とされた。マイクが弾かれたことにより、ゼシアナの魔力発現は終わる。
矢が当たった指をさすり、ゼシアナは地面に落ちたマイクを拾い上げた。その上で、くすりと微笑む。
「矢が飛んだ時、手に突き刺さるかと思いましたわ」
「貴女を害することで、傷害罪をこちらに吹っ掛けられては敵いませんからね。おもちゃの弓矢程度の威力しか持たせてはいません」
「……おもちゃでこの威力なら、用心に越したことはありませんわ」
一気に警戒の色を濃くしたゼシアナが、もう一度声を歌に乗せようとした。それを察し、ジェイスも今度は自在に操ることの可能な切れないナイフを創り出す。
二人の魔力がぶつかる、その時だった。
「――ゼシアナ? もうそろそろ準備しないと出番に遅れますわよ?」
「……
ゼシアナが振り返ると、そこには同僚の夏姫が歩いて来るところだった。彼女はゼシアナの全身をくまなく観察し、首を傾げる。
「衣装が乱れているけど、誰かいたの?」
「!?」
夏姫がジェイスを目視していない。そのことに驚いたゼシアナは、彼がいたはずの場所を振り返る。しかし、そこにはあの男の姿はない。
(いない。夏姫が来るのを察して、逃げた?)
「ゼシアナ?」
「……いいえ。鼠が入り込んだだけですわ」
ゼシアナはそれだけ言うと、振り返らずに控室へと戻って行く。
彼女の後ろ姿を見ていた夏姫は、ふと表情を改めて周囲を見渡した。しかし、怪しい気配は感じられない。
「夏姫?」
「ああ、ごめんね」
名を呼ばれ、夏姫もその場から姿を消す。
「……ふぅ」
二人が姿を消して数分後、ジェイスは大きく息を吐き出した。新たな人の気配を感じ取った時、ジェイスは自分に空気の幕をまとわせて空に逃げていたのだ。その姿で幾つも経っているプレハブ小屋の一つの屋根に下り、ゼシアナと夏姫の会話を聞いていた。
(さて、やはり歌が危険だということしか収穫はなかったな。あと、支配人と歌姫二人あってこその呪い発動、か)
少し考え事をしていたジェイスだったが、テントの方からワッという歓声が聞こえて来たことで我に返った。そろそろ戻らなければならない。
「……行くか」
音もなく屋根を蹴ると、ジェイスはリンたちが待つテント側の森へと向かって飛び去った。
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