第498話 兄弟
サーカス団のヒュートラでの公演初日。
町は久方振りのサーカスの訪れに沸き立っていた。朝から屋台が軒を連ね、親にお小遣いを貰った子どもたちが楽しそうに店を選んでいる。居酒屋は朝から店を開け、早くから飲む人々の受け皿となっていた。
そんな賑わいを背に、イザードは一人用の控室で静かに公演のパンフレットを読んでいた。
(初日の公演だが、チケットは当日分併せて売り切れ。やはり、魔種の多いこの町を選んで正解だった、と後々思えるかな)
加えて、銀の華の連中もこの町に来ていることが昨日明白となった。強い魔力反応を感じて配下に様子を見に行かせたが、正解だったらしい。
シエールと葉月は戦闘が何よりも好きな戦闘狂であり、ジスターはイザードのかわいい弟だ。戦闘狂二人よりも強さは劣るが、魔獣を使わせたら右に出る者などいない。
「こちらは知っているぞ、と印象付けることは出来たか。……さて、彼らを絶望の闇に落とすためにはどうするべきかな」
イザードは透明なコップに入った水を飲み干すと、細い目を更に細くした。濃い緑色の瞳の色が深くなり、鋭さが増す。
「我が目的のため、絶対必要な『信頼の失墜』と『絶望の呪い』を得るためだ。……悪く思うなよ、自警団」
普段は温厚なイザードだが、己の目的のためならば幾らでも冷徹になれる。その豹変ぶりは団員たちに恐れられているが、今更だ。
(今晩が、お前たちの安らぎの最期だ。地獄を見て、絶望しろ)
クククッと小さく笑うと、イザードは公衆の面前に出る服へと着替え始める。彼は普段何処かの令嬢かと見紛うような女性の格好を好むが、これからの時間は黒一色のスーツ姿だ。
コンコンコン。
着替え終わり水を一杯飲み終わるのと同時に、イザードの控室のドアが外からノックされる。返事をすると、弟のジスターが入って来た。
「どうした、ジスター。開演まではまだ時間があるだろう?」
「……兄貴に、訊きたいことがある」
「――何をだ?」
すっとイザードの目が細くなり、弟へ冷ややかな視線を送る。何となく、ジスターの言いたいことはわかっているのだろう。
イザードが先を促すと、ジスターは息を吐き出した。そして、ようやく血の繋がった兄の顔を真正面から見る。
「兄貴、どうして銀の華を目の敵にして自分の目的を達しようとするんだ? 奴らは放置していても、兄貴の理想は実現出来るだろう?」
「……それが、兄に対する態度か。ジスター・ベシア」
「――っ」
静かな怒りをにじませて問う兄に対し、ジスターは二の句を継げない。そのまま黙り込んでしまった弟に、イザードはため息交じりに微笑んで見せた。
「全く……。この計画を始めた時、お前たちにはきちんと説明したはずだがな。アレを手に入れた以上、使えるものは全て使う。全ては、我らが生きやすい世界を望むが故」
「……」
「それを忘れたとは言わせないぞ、ジスター」
「……はい」
「宜しい。……もう、後戻りなど出来ないのだよ。何を、どれだけの犠牲を払おうとも、私たち
静かな声音は、小さな子どもに言い聞かせるかのようだ。イザードに威圧を加えて説き伏せられ、ジスターは大人しく下がって行った。
「――全ては、私たちが生まれた時に始まったのだ」
ジスターの足音が遠ざかり、イザードは己の手を見詰めて呟いた。
その後しばらくして、ジスターは一人テントの裏手に座り込んでいた。自らの魔力で創り出した獅子を横に置き、その背を撫でながら物思いに耽る。
「オレは、一体何がしたいんだろうな……」
「ガウ?」
「なんて、お前に言っても仕方がないな」
独り言を聞き取った獅子が首を傾げるが、人語を全て解するわけではない。不思議そうな顔をして見詰めて来る獅子に目を細め、ジスターはその首元を改めて撫でた。
気持ち良さげに喉を鳴らす獅子を見ながら、ジスターの脳裏には森の中で出会った四人の少年たちの姿が蘇る。それが何故なのかわからず、ジスターは首を横に振った。
「何してんだ、お前。こんなとこで。もうすぐ公演始まるぞ?」
「……シエール」
ジスターが首を振った時を見たのだろう、シエールは若干引いた様子で彼を見ていた。そのシエールの言葉に、ジスターはようやく腕時計を見た。確かに、あと五分もせずに舞台の幕が開く。
「さっさと来いよ。お前の出番、幕開きからすぐだろうが」
「……シエール、訊きたいことがあるんだけど」
「ああ?」
テントに向かおうとしたシエールをジスターが呼び止めると、彼はめんどくさそうに振り返った。少しゴロツキのような態度だが、戦闘狂な彼を知るジスターにとっては気にするものでもない。
「何だよ?」
「あの……」
それきり、ジスターは言葉に詰まった。
ジスターはシエールに訊きたかった。何故、イザードの計画に乗ったのか。兄のやり方に不安を感じることはないのか。自分たちはこのまま進んでも良いのか。
しかし、上手い言葉が出て来ない。シエールが痺れを切らして「おい」と口にするより早く、ジスターはどうにか言葉を吐き出した。
「シエールは、兄貴をどう思う?」
「どう、とは?」
「……兄貴のやり方が、オレたちの望むものへ続いているのかわからなくなった」
「……正直だな、お前」
その言葉、支配人の前では言うなよ。シエールはそう忠告した上で、ため息をつく。
「俺は、暴れられるなら何でも良い。サーカスも嫌いじゃないし、好敵手と命の削り合いが出来る場をくれるって言う約束も違えちゃいない。なにより……」
シエールはサーカスのテントを見上げ、わずかに笑った。
「俺や葉月は兎も角、支配人はこの世界を生きづらいと感じている奴を助けたいんだろ? その志は大したもんだと思うがな」
「……そう、か」
シエールが思い浮かべたのは、イザードだろうか。それとも別の誰かか。
ジスターの顔色があまり良くないことはわかっていたが、やるべきことはやらなければならない。シエールは「めんどくせぇ」と呟くと、ジスターの襟首をつかんで無理矢理立ち上がらせた。ジスターの獅子が唸り声を上げるが、知った事ではない。
「さっさと行くぞ。つまらんことを考えている暇があるなら、少しでも支配人の役に立つことを考えた方が賢明じゃないか? お前は、支配人の弟なんだから」
「……わかっている」
ジスターは引っ張られた襟を正し、魔獣である獅子を水に戻す。そしてシエールの後を追い、表情を消してテントの中へと姿を消すのだった。
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