公演初日
第496話 少しでも穏やかな休息を
「ただいま!」
ユキが薪の束を地面に下ろすと同時に声を上げると、夕食の準備に取り掛かっていたリンとジェイスが振り返った。
「お帰り、ユキ。みんなもご苦労だったな」
「たくさんの薪をありがとう、四人共。道中、何もなかった?」
「いえ、ありました。……ジェイスさん」
ジェイスの問いに応じたのは、突然駆け出したユキを追いかけて来た唯文だ。ユーギと春直もそれぞれの薪の束を置き、軽く息をついている。
唯文の答えに、ジェイスはそれを初めて聞いたという顔で眉を潜める。リンは眉間にしわを寄せて「何があった?」と尋ねた。
「森で薪を集めて川も見付けましたが、その後に青色の獅子に襲われました」
「襲われた!? 目立った怪我はないようだが、大丈夫か?」
「それぞれ擦り傷切り傷くらいなものです。四人で倒せましたが、その後に」
「ジスター・ベシアと名乗る人に会ったんだ」
唯文の言葉を繋いだユーギの言葉に、リンとジェイスは顔を見合わせる。
「ジスター・ベシア? 何者なんだ、そいつは」
「あのサーカス団、『世界を手にする者たち』の支配人の弟だって言っていた。獅子はあの人の差し向けらしいけど、それ以上のことは何もなかったんだ」
「サーカス団の支配人の弟……」
自分たちに襲い掛かって来たシエールといい、ジスターといい、こちらの動きが知られているのは間違いなさそうだ。リンは難しい顔を崩せず、前髪をかき上げてからつかむ。
「くそっ。こちらが先んじたと思ったが、そういう訳でもないらしいですね」
「そのようだね、リン。……実は、四人が出かけた後に私たちもサーカス団の一員に襲われてね」
「えっ!?」
ジェイスの報告に、ユキたち四人は目を丸くした。
まじまじとリンとジェイスを見詰めたユキは、彼らの体に確かに幾つもの傷があることを知る。顔を青くして、兄に詰め寄った。
「だ、大丈夫だったの!?」
「ユキ、お前な。お前たちが
「その通り。幸い、こちらも無事だよ。ただ気になることがあったから、克臣たちが帰って来たら話そう」
「わかった」
こくんと頷いたユキの頭を撫で、ジェイスは残りの三人にも夕食を作る手伝いを命じた。それに応じ、四人の少年たちが動き出す。
「ジェイスさん、俺も」
「リンは、晶穂と克臣を迎えに行ってきてくれ。日が暮れたし、流石に遅いから」
「でも……」
サラダ作りを途中で放置していたリンは迷ったが、それは春直が受け継いでくれていた。春直はトントンとナイフで野菜を切りながら、リンを見て目を細める。
「ぼくがやりますから、団長は行ってきて下さい」
「な?」
「……はい。助かる、春直」
「任せて下さい」
笑みを浮かべた春直に感謝を伝え、リンはヒュートラの町の明かりが灯る方向へと駆け出した。
リンの背中を見送り、春直は薪で火を起こすジェイスに向かって尋ねる。
「ジェイスさん、リン団長はまだ……?」
「そのようだね。全く、世話の焼ける
「でも、とっても大切にしてるんだってわかります。ぼくらは誰も反対なんてしないですから」
「そう思ってるよ。……まあ、もう少し見守ろうか」
「ふふっ。ですね」
目的語も何もかも伏せたまま、それでも内容は互いにわかっている。春直とジェイスは顔を見合わせ、苦笑した。
同じ頃、晶穂と克臣はヒュートラから森へと入ったところだった。
既に日は落ち、夜空には月と星が輝いている。それらを明かりとしながら、二人は帰り道を急いでいた。
克臣は大股でぐんぐんと進んでいたが、晶穂が遅れていることに気付き振り返った。
「晶穂、疲れてないか?」
「大丈夫です。もう少しのはずですし、このまま帰りましょう。克臣さんこそ、腕は……?」
「これくらいなら、よくあることだ。止血も終わってるし、晶穂の力で治療もしてもらったからな。後はほっとけば治る」
「そう、なんですね。よかった」
克臣の腕には、葉月のナイフが突き刺さったことによる切り傷がある。それを心配した晶穂の優しさに、克臣は微笑んでみせた。
胸を撫で下ろした晶穂は、自分に歩幅を合わせてくれた克臣を追う。実は神子の力を使ったことによる疲労を感じているが、それを微塵も感じさせないように顔を上げた。
「晶穂、克臣さん!」
五分ほど森の中を歩いていた二人の耳に、聞き慣れた声が届く。その声のした方を見れば、リンが駆けて来ているのが見える。
「リン!」
「迎えに来てくれたのか? ……怪我してるじゃないか。そっちも何かあったのか?」
「そっちも……ということは、二人も襲われたんですか? サーカス団の団員に」
さっと顔を青くしたリンは、克臣が頷くのを見るやいなや、晶穂の手を取る。
「えっ!? あの、り、リン……?」
突然の出来事に顔を真っ赤にして狼狽える晶穂の手をじっと見詰め、リンは眉をひそめた。
「怪我してるじゃないか。克臣さんも、隠しても無駄ですよ」
「バレたか。だが、それはリンも同じだろ? ということは、ジェイスもか。年少組は?」
「あいつらも森で一戦交えてきています。それも含めて、夕食を食べながら話しましょう」
「わかった。なら、俺は先に行く。二人はゆっくり来いよ」
ぽんっとリンの肩を叩き、克臣は二人を置いて歩いて行こうとした。彼の背中を見送りかけ、晶穂とリンは戸惑う。
「え?」
「克臣さん、何を……わっ」
克臣に何を考えているのかと尋ねたかったリンだが、それを言う前に克臣に肩を掴まれ引き寄せられた。リンの耳元に克臣が口を寄せる。
「晶穂は神子の力で俺を助けてくれた。そのせいで、疲れていると思う。支度は俺が手伝うから、リンは晶穂と休みながら来い。……二人きりなら、いちゃつけるだろ?」
「なっ……。克臣さん!?」
首まで真っ赤にして反論を試みるリンを放置し、克臣は笑ってキャンプ地へと向かって歩いて行った。
克臣を見送り、リンは胸の奥で心臓が大きく拍動していることに気付く。顔の熱さも知ってはいたが、どうすることも出来ない。
(落ち着け、自分。今すべきなのは、晶穂を急かさずに戻ることだ)
小さく深呼吸し、リンはくるりと晶穂の方を振り返る。そして、出来るだけ落ち着いた声で晶穂へ手を差し伸べた。
「晶穂、俺らはゆっくり行こう。神子の力、使ったんだろ?」
「……! はは、克臣さんにはバレてたみたいだね」
「あの人、結構
乾いた笑みを浮かべる晶穂の手を改めて取り、リンはズボンのポケットから綺麗なハンカチを取り出した。それを、晶穂の手のひらについた傷を覆うように巻く。
「ユキがいれば冷やせたんだが……。これで少し我慢してくれ」
「あ、だ、大丈夫だよっ。ハンカチが汚れちゃう」
「気にするな。……お前のことだから、敵を傷付けないために自分が傷付いたんじゃないか?」
葉月を傷付けないために矛の刃を自分に向けた時、晶穂は手のひらに怪我を負っていた。それを言い当てられ、晶穂は息を呑む。
「……っ。何で」
「何でわかったかって? ……わかるよ。わかりたいって思ってる」
「……。ありがとう」
素直に手にハンカチを巻かれた晶穂は、顔を少し伏せてはにかむ。藍色のハンカチを汚すのは忍びないが、リンの気持ちが何よりも嬉しかった。
晶穂が頬を染めて微笑む姿を見て、リンもほっと胸を撫で下ろす。それからちらりと克臣が去った方向を見て、誰もいないことを確かめる。
「リン?」
「いや、何でもない。歩けるか?」
「うん。戻るまでは、頑張れるよ」
「……なら」
「え? ――きゃっ」
リンは晶穂に近付いたかと思うと、さっと彼女を抱き上げた。所謂、お姫様抱っこである。
顔を真っ赤にする晶穂をかわいいと思いつつ、リンはドクドクと脈打つ心臓を意識しないように精一杯そっけない声を出した。
「近くまで、これで行く。少し目を閉じていたら良い」
「……は、はい」
きゅっと瞼を下ろした晶穂だが、それによって自分の心臓の音とリンの胸の音とが明確に聞こえるようになってしまう。それが恥ずかしさに拍車をかけ、晶穂は目を閉じたままでリンの胸にしがみついた。
「――っ!? い、行くぞ」
晶穂の行為が可愛過ぎ、リンは硬直しそうになる。しかしすんでのところで意識を保つと、晶穂の体を抱き締めつつ時間をある程度かけてキャンプ地へと歩いて行った。
到着した後、二人が仲間たちに茶化されからかわれたのは言うまでもない。
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