第494話 狂戦士
晶穂と克臣を見送ったリンたちは、二人が帰って来た時のために遅めの夕食を用意していた。
ユキたちは薪拾いに行ってからすぐ、リンとジェイスはテントを設営し終わる。そして慣れた手つきで即席の石製コンロを作ると、後は薪を待つのみとなった。
「この辺りの地域で野宿するのは初めてですけど、もう一つ暖を取るためにも火を起こす場所は必要でしょうね」
「そうだね。テントの近くに、もう一つ薪を集め……」
「チッ。何だよ、一発で仕留められると思ったのに」
「……誰だ、お前?」
舌打ちして立ち上がった青年に、リンは問いかける。
猫人らしい彼は、大きな猫耳をピクリと動かし、細い瞳孔を更に細くして好戦的な目で振り返った。舌なめずりをして、両手の爪を広げる。
「俺はシエール。サーカス団『世界を手にする者たち』では空中ブランコ担当だ。そして……暗殺も手掛けている」
「サーカスの団員が、俺たちに何か用か?」
ただのサーカス団員ならば、公演の宣伝にでも来たのかと思うだろう。しかし、シエールと名乗る青年の気配は殺人鬼と同じだ。リンは息を呑み、そっと剣を取り出す支度をした。
ジェイスもリンと同じく、シエールに危機感を覚えていた。彼が身にまとう雰囲気はこちらへの殺意しか感じない。
「ジェイスさん」
「リン、気を付けて」
「はい。……っ、うわっ」
「死ねっ!」
リンが戦闘態勢を整える前に、シエールが突っ込んで来た。猫人の武器である爪を長く伸ばし、確実にリンの首を斬りにかかる。
ぎりぎりのところで躱したリンだったが、首筋にわずかな痛みを覚えて指をあてた。すると、細い傷が出来て血が流れているのだとわかる。リンは舌打ちしそうになり、ぐっと我慢した。
(避けきれなかったか。暗殺担当ってのは、伊達じゃないってことだな)
「考え事とは、余裕だな!?」
「――かはっ」
リンの思考を読んだかのように、シエールは一気に距離を詰めて鳩尾に蹴りを繰り出してきた。見事クリーンヒットしたそれにリンは思わず咳き込むと、これ幸いとばかりに更に追い討ちをかける。
「落ちろ!」
「ふざ、けんな!」
リンは骨が折れるのを覚悟で腕を使ってシエールの蹴りから鳩尾を守ると、痺れるその腕を振り、シエールへの牽制として使う。強力な蹴りを受けたために一時的に使い物にならない左腕を放置し、リンは右手に全神経を集中させた。
手にした剣を使い、シエールの追撃を弾く。シエールの爪は鋼鉄で出来ているのかと思えるほど固く、リンは軽く瞠目した。
「リン、動くなよ!」
シエールが爪でリンを斬り裂こうと迫った直後、リンの背後から鋭い声が飛ぶ。思わず振り返りそうになったりんだったが、堪えて動きを止めた。
そのリンの両側から、光の加減で見えなくなる空気の矢が飛んで行く。矢は十数本あり、全てがシエールへと照準を合わせていた。
「っ、何だこれ! 噂通り、厄介だな」
「どんな噂? 興味あるな」
数本の矢が肌をかすめ、シエールは嫌そうな顔で矢を叩き落としていく。そんな彼の呟きを聞き逃す訳もないジェイスは、もう一度弓を引き絞った。
ジェイスの手には、目に見えない矢が三本。それらを一気に放つと、更に気の魔力を行使し矢のスピードを上げた。
一本目はシエールに躱され、二本目は叩き落された。しかし三本目は、シエールを背後の木の幹に縫い留める。
「うわっ」
「リン、今だ!」
「はい」
ジェイスの合図を受け、リンは体をバネにして一気にトップスピードへと持っていく。そのままシエールへと突進すると、剣を彼の顔の真横に突き立てた。
――ドスッ
重い音が響き、リンとシエールの視線が真正面からぶつかる。他の敵ならば青ざめているであろう刃物との距離で、シエールはただリンを憎々しげに見詰めていた。
「……
「俺を脅しているつもりか? 子ども四人くらい、一捻りにしてやるが?」
「するというのなら、俺はお前の腕一本を斬る覚悟がある」
「……ふんっ」
シエールは自ら視線を外すと、袖を縫い留めた矢を引き抜かず、腕を乱暴に振る。ビリッと音がして、シエールの服の袖が破れた。
手を出さないリンに舌打ちし、シエールは彼の横を通り過ぎて行く。その時、ぼそりと呟いた。
「お前らは、俺たちの手で地面を這うことになる。アレがこちらの手にある限り、必ずな」
「あれ……?」
リンが「あれとは何だ」と問うよりも早く、シエールはその場を去っていた。ジェイスも威嚇の意味を籠めて弓を弾いていたが、すぐに弓矢を空気に溶かす。
「……全く、気を抜く暇もないね」
「ここは敵地です。気を抜くつもりはありませんよ」
やれやれと肩を竦めるジェイスに対し、リンは幹から剣を引き抜いて応じた。そして、シエールが残して行った言葉の意味を考える。
(あれとは何だ? 俺たち銀の華にとって、不利益となり得るもの?)
「シエールは何か言っていたようだけど、リンをそんなに考えさせるものなのか?」
「……ジェイスさん」
考えに落ちていたリンを現実に引き戻したのは、傍で聞こえたジェイスの気づかわしげな声だった。
リンは軽く頷くと、シエールが呟いていった言葉を伝える。それを聞き、ジェイスも腕を組んだ。
「『アレがこちらにある限り』か。そのアレというものが何か……。うーん、思いつかないな」
「俺もです。みんなが帰って来たら、聞いてみようとは思っていますが」
リンはユキたちが薪を拾いに行ったはずの森を見て、眉間にしわを寄せた。ユキたちが出かけて、もう二時間は経過している。
「少し、遅過ぎませんか?」
「だね。ちょっと、見に行こう。リンはここで」
「俺も行きますよ」
一人で行こうとする自分を引き留めるリンに、ジェイスは微笑を返す。
「大丈夫、四人を連れて帰って来るだけだ。それに、リンは晶穂と克臣を迎えてあげなくちゃ」
「そう、ですね。お気を付けて」
「ああ」
くしゃりとリンの頭を撫で、ジェイスは颯爽と森の中へと消える。
「――さて、あの気配を追ってみようか」
リンはシエールのお蔭で気付いていなかったが、ジェイスは知っていた。遠くでわずかに轟く戦闘音を。
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