戦いの始まり

第492話 街角での一戦

 リンたちと別れ、晶穂と克臣はヒュートラの町の中を歩いていた。夕刻となり、町は仕事帰りや買い物帰りの人々で溢れている。

「なんだ。別に荒廃してる町とかではないんだな」

「ですね。というより、賑やかで」

 克臣の拍子抜けしたという言葉に、晶穂は同意する。町の周辺は針葉樹林が多く、冬も近いということもあって寒々しい印象を受けた。しかし町の中に入ってしまえば、何処とも変わらない穏やかな場所だ。

 人々の波をぬい、二人はあまりきょろきょろ見回さないよう気を付けつつ町を探索して行く。このまま何もなく帰れるか、と晶穂が胸を撫で下ろしかけた時だった。

 ふと目を向けた建物の壁に、数枚のポスターが並んで貼られている。その内容を目で読み、晶穂は思わず立ち止まった。

「あ……」

「どうした、晶……あぁ、なるほどな」

 晶穂の視線の先にあるものを見た克臣は、納得して首肯した。貼られていたのは、あの『世界を手にする者たち』と名乗るサーカス団の公演告知ポスターだったのだ。

 固まってしまった晶穂に代わり、克臣はポスターに近付き詳細を確認する。公演初日は明日の夜、既にチケットは完売しているという。更に明日から三日間、この町で公演を行うと書かれていた。

「……戻ろう、晶穂。あいつらに知らせないとな」

「はい。……でも、その前にです」

「だな」

 背後に突如現れた敵意に、晶穂と克臣は敏感に反応する。同時に振り向き、突き出された何かを二手に分かれて躱した。

「凄いなぁ。これを躱して僕の顔を見るなんて、滅多にいない」

「そりゃどうも」

 げんなりとした顔で礼を言った克臣の頰すれすれに、刃が通る。克臣はわずかに顔を横にずらし、避けた。

「へぇ……やるな」

 二人の目の前に現れたのは、一人の狼人の青年だ。手に幾つものナイフを持ち、自在に操る。サーカスではパフォーマンスを担当しているのだろうか。

 青年は克臣の身のこなしに感嘆し、そして嬉しそうに笑った。何処が狂気じみた歓喜だ。

「これは久し振りに、楽しい時間になりそうだぜ」

「悪いが、俺たちはお前を相手にしている暇はない。早急に帰らなければならないからな」

 克臣は青年の正体がわかりながらも、あえて関係のない一般人を装う。しかし青年は、克臣のすぐ近くまで気配なくやって来ると、ニッと歯を見せた。

「僕は葉月はづき。『世界を手にする者たち』の一員だ。……なあ、『銀の華』の克臣さん?」

「晶穂、下がってろ」

「え? 克臣さっ……!?」

 克臣の鋭い声に身を強張らせた晶穂が問い返す前に、克臣は彼女を抱き上げるとトンッと地面を蹴った。そして少し離れた所に着地すると、晶穂に「ここにいろ」と命じる。

「でも」

「こいつは、俺が相手した方が良さそうだ。晶穂は身を守れ、良いな?」

「……はい!」

「良い返事だ」

 穏やかに微笑んだ克臣は、優しく晶穂の頭を撫でる。そして晶穂が神子の力を使うのを見届けると、くるりと葉月の方を向く。その表情は、晶穂に向けたものとは比べ物にならない程険しい。

「……へぇ。そのを逃さないんだ?」

 予想外だと言う風に、葉月が大袈裟に驚いて見せる。しかし克臣は動じず、ケッと肩を竦めた。

「背中を向けて走り出したところで、お前のそのナイフが襲って来るだろ。なら、しっかりお前の動きを見て、自分の身を自分で守った方が賢明だ」

「そこまで考えられてたのか。やはり、ただお調子者なだけではないようだな」

「それなりの修羅場は潜って来てるもんでね」

 克臣がお調子者のポジションにある。何故葉月がそれを知っているのか、と克臣は疑問に思ったが、深く考えることはしない。

(目的のために邪魔になる相手のことを事前に調べるのは、定石だ。なら、これくらいのことは調査済みなんだろ)

 手のひらから愛用の大剣を引き抜くと、その切っ先を葉月へ向けた。身長と同じくらいの長さの刃を持つ剣を片手で操り重さも感じさせない克臣の所作は、無駄がない。

 真っ直ぐに突き付けられた刃に、その辺の男ならば逃げ出すだろう。しかし、葉月は違う。嬉しそうに、手の持ったナイフをもてあそんだ。

「その敵意の目、ぞくぞくする。はシエールに任せなければならなくて残念だったが、こっちはこっちで楽しめそうだな」

「……あっち、か。お前の仲間が、リンたちを襲いに行ったってことだな?」

「ご明察」

 会話を楽しむ葉月は、真っ直ぐに突き出された克臣の大剣を余裕で躱す。舞うように動き、ブンッと横薙ぎにされた剣をも避ける。

「大味だ。そんなんじゃ、僕を殺すことなんて出来ないぜ!」

 ケラケラと笑い、葉月は狼人の身のこなしで克臣の剣を蹴り飛ばした。更に克臣に体制を整える暇を与えず、ナイフを突き出す。

「――チッ」

「克臣さん!」

 晶穂の悲鳴に軽く手を挙げて応じた克臣の右頬から、つと赤い筋が垂れる。浅くだが、肌が切れた。

「まだまだぁ!」

 葉月はそれだけでは飽き足らず、次々とナイフを突き出し、撫で斬り、投げ飛ばす。

 ナイフの幾つかは剣で叩き落したが、克臣の二の腕に一本のナイフが突き刺さる。痛みに顔を歪めたが、克臣は臆することなく地面を蹴った。

「だあっ!」

「くっ」

 葉月の上を取り、克臣は大剣を叩きつける。葉月は辛うじて狼人の強靭な足を使ってそれを止め、もう片方の足で回し蹴りを繰り出す。

 強力な足技から逃れた克臣の目の前に葉月の踵落としが突き刺さり、思わず剣を取り落とした。

「ちっ」

「さあ、まだやるか?」

 克臣の大剣を拾えないよう、葉月はその刃を足で踏み付けた。余裕の笑みで問う葉月に、克臣は悔しさを見せずに不敵に微笑んだ。

「当然。――俺が剣にだけ頼っていると思うなよ?」

「何……? ――ガッ!?」

 葉月の鳩尾に拳を叩き込み、克臣は力任せに彼を吹き飛ばす。幼い頃からジェイスと共にいるために積み重ねて来た鍛錬のためか、克臣は細身ながらに力が強い。その強さは普段の力仕事のみならず、戦いの場でも発揮される。

 ズササッと通りの石畳を滑り飛ばされた葉月だが、すぐに立ち上がる。けほっと咳をして痰を吐き出すと、血まみれの顔で嗤った。

「……良いじゃねえか。相手にとって、不足なしだぜ」

「まだやんのか」

 葉月の不敵さに呆れながら、克臣は落ちたままだった剣を手に取る。しっかりと馴染む大剣を再び握り直し、最短で仲間のもとへと戻るための算段を考え始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る