第491話 モヤつく気持ち

 目指すヒュートラは、幾つかの山と森を飛び越えた先にあった。北の町らしく針葉樹林に囲まれたその場所は、中規模の町のようだ。

 高度を許される限り上げて町の上を旋回したシンは、リンの指示の下で少し離れた森の中の空き地に下り立った。バサリと羽ばたくと、シンの周りを渦巻いていた風が止んで静かになる。

 リンは晶穂を先に下し、自分も飛び下りた。そしてシンの顔の傍に立ち、彼の顔をわしゃわしゃと撫でてやる。

「ありがとう、シン。お蔭で最短距離だ」

「流石は竜だ。さんきゅーな、シン」

「えへへ。当然でしょ? じゃあ、みんな気を付けてね」

 リンのみならず克臣にも褒められ、シンは胸を張った。そしてわずかに顔を曇らせると、再び天へと舞い上がる。その時、土煙を風で覆い拡散するのを防いでいた。

「終わったら、連絡して! 全速力で迎えに行くから!」

「ああ」

「シンも、気をつけて帰るんだよ」

「うん! みんな、またね」

 バサリ、と手を振る代わりに翼を羽ばたかせる。そしてシンは、方向転換して南の方角へと飛び去っていった。

 シンを見送り、リンたちはふっと体の力を抜く。懇意の竜とはいえ、空を飛ぶのは緊張を伴った。

 ユキはうーん伸びをすると、自分の背中を見て苦笑した。

「自分で飛ぼうかとも思ったけど、シンのスピードに追い付ける気がしないや」

「それは俺も。この速さ、竜でなくちゃ難しいだろうな。……さて、と」

 ぐるりと森を見渡すが、敵意の気配は感じない。流石に汽車でも半日近くかかる距離を一時間程で到達する、とは敵も考えはしないだろう。

「これからどうする、リン?」

「まずは、町の様子が知りたいですね。既にサーカスが公演を終えたのかどうか。そして、サーカス団がそもそもいるのかを調べたいところですが……」

 ジェイスの問いに応じたリンだが、それを誰が実行するかということを決めかねた。

 悩む様子のリンに、ユーギがさっと手を挙げる。

「ぼくらが行きたい」

「だが、お前らはサーカス団の奴らに顔が割れてるだろ? 目の前にいたんだから」

「うっ」

「子どもの方が警戒されないかもって思いましたが……」

 克臣に痛いところを突かれて、ユーギは動きを止める。春直もユーギと同じことを考えていたらしく、肩を竦めてみせた。

「むしろ顔が知られてるから警戒されて、手を出してこないなんてことは」

「流石にないだろ。シュロンの例を忘れたのか?」

「うー。唯文兄、冷静!」

 ぷうっと頬を膨らませるユキに苦笑し、唯文は思案顔でリンたちの方を向く。

「でも、それならどうしますか? おれたちなら軽く町の様子を見てくるくらいなら問題ないと思いますが」

「……実は行きたいんだな、唯文」

「まあ、偵察だけなら戦闘力の低いおれでも務まるかと思ったので」

 あくまで謙虚な唯文に対し、リンたちは顔を見合わせた。唯文に自覚はないようだが、彼の戦闘力とリーダーシップは確実に実を結んでいる。

「後は、自信がつけば良いんだろうね」

「全く。時々とんでもなく積極的になるくせにな」

 ひそひそと話すジェイスと克臣に内心同意しつつ、リンは自ら行くと口に出そうとした。しかしその時、近くで「あの」と小さな声が聞こえて振り返る。

「どうした、晶穂?」

「わたしが行くよ。女のわたしなら、子どもみたいに警戒されにくいと思う」

「えっ……。確かに、晶穂は向こうに顔を知られていないだろうけど」

「偵察だけなら、わたしにやらせて? 勿論、危ないと思ったらすぐに逃げるから」

「……。一人は駄目だ、何かあってからじゃ遅い。……心配なんだ」

 晶穂に「行くな」と言うことは簡単だ。しかし、それだけではリンの気持ちは伝わらない。顔を横にそむけ、リンは眉間にしわを寄せた。

「心配してくれてありがとう、リン」

 しかし、晶穂も退くつもりはない。戦闘で役立てない分、自分に出来ることをしたかった。

 膠着状態が続くと踏み、克臣は「ハハッ」と笑った。

「相変わらず、リンは晶穂のこととなると人が変わる。リンも晶穂も、お互いのことを思っての発言なのにな」

「克臣さん」

「難しい顔するなよ、リン。お前はここで、晶穂が戻るのを待て。こちらにサーカス団の奴らが急襲して来ないとも限らないからな」

「待って下さい! 晶穂を一人では……」

「はい、落ち着け」

 慌てて克臣を制するリンに待ったをかけ、克臣は笑った。

「誰が一人で行かせると行った? 俺が護衛で一緒に行く。日本人同士だし、兄妹で乗り切れるだろ」

 ケラケラと笑う克臣に、ジェイスが微妙な顔を見せた。バッサリと彼の言葉を切り捨てる。

「……安直。そんなに似てないぞ?」

「五月蝿いな、ジェイス。ここは日本じゃないんだから、見慣れてないだろ。大抵の奴らは」

「そうかもしれないけどな」

 ため息をつきそうな顔のジェイスに「心配するな」と笑いかけ、克臣は晶穂の肩をぽんっと叩く。

「そういうわけだ。善は急げというし、さっさと行くぞ」

「え? あ、はい。行ってきます!」

 さっさと歩いて行ってしまう克臣を追いかける晶穂を見送り、リンは微妙な顔をしていた。思わず右手が前に出ていたことに気付き、何でもない風を装って下ろす。

(何、モヤついてるんだよ。克臣さんなら、任せられるだろ? ……いつの間に、こんなに)

 こんなに、離れるのが嫌になったんだろうか。自分の心境の変化に相変わらず戸惑うリンだが、それも仲間たちの方を振り返るまでのことだ。

「偵察は晶穂と克臣さんに任せて、俺たちはこっちで出来ることをしよう。町に泊まるのも危険だ。今日はここで野宿、で良いですよね」

「そうしようか。唯文たちは森で薪とかを探して来てくれるかな? 食料も持ってきてはいるけど、水場があったらそこも教えてくれ」

「わかりました」

 唯文を中心に四人が駆けて行ってしまうと、リンとジェイスは簡易テントの設営に取り掛かる。黙々と作業するリンが、時折見るのは町の方角だ。

(さっさと伝えてしまえば良いのに。……でも、こういうのを見守るのも楽しいものだね)

 微笑を浮かべ、ジェイスは奥手な弟分を見守りながら手を動かしていた。




 二人が作業に没頭する中、少し離れた木の上に人影がある。

「あれが、銀の華の……。へぇ」

 男は音もなく笑う。真っ白な歯が、昼間の日の光で明るく輝いた。

「さっさとるか」

 得物を取り出し、男は最小限の音で木を下りた。そして、未だ気付かないリンたちに向け、不敵に微笑む。

「さあ、場外乱闘は好みだぜ!」

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