第490話 ヒュートラへ

 約束の正午。リドアスの玄関ホールには、リンを含め八人が揃っていた。

「やっぱりこうなったか」

「わかってたでしょ? 兄さん」

「……まあな」

 ユキに言われ、リンは認めざるを得ない。

 リンとて、年少組が留守番を選択するとは思ってなかった。ただ、危険に晒したくないだけなのだ。

(ま、今更ってことか)

 年少組四人の表情は、それぞれ少しずつ違う。

 唯文はきりっとした表情で、四人の中でも余裕が感じられる。ユキは痣が痛むだろうにそれをほとんど顔には出さず、リンの隣で自信ありげに笑っている。ユーギは力が入り過ぎて、眉間にしわが寄っていた。そして春直は少し自信なさげに見えるが、戻れと言っても聞かないだろう。

「ふっ。やっぱ全員だったな」

「だと思ったよ。リン、期待はしていただろう?」

 ぐるっと見回した克臣が笑い、ジェイスも微笑んでリンに水を向ける。リンはといえば、返事代わりに肩を竦めてから天を見上げた。

 大きく息を吸い、懇意の竜の名を呼ぶ。

「シンーーーっ!」

「待ってたよ~!」

 リドアスの中庭付近から小さな何かが飛び出し、日の光を背にして巨大化する。大きな翼で羽ばたきながら降り立ったのは、真の姿に戻った竜のシンだ。夜空色の翼が動きを止め、ふわりと浮き上がる。

「リン、北の大陸に行くんだよね?」

「ああ。ヒュートラという町に行く。オオバの近くで下ろしてくれ」

「了解!」

 オオバ村は、もう存在しない。古来種に襲われ廃墟となり、今や地名を残すのみだ。

 シンは長く大きな体を地面に横たえると、リンたちに「乗って」と促した。銀の華の仲間となった当初はもう少し小さかった気もするが、今や競技用プールにも収まらない。

 次々と体長二十メートル以上は余裕である竜の背中に乗り込んで行く。全員が乗ったことを目視すると、シンは微笑んだ。

「掴まっててね!」

 そう言うが早いか、大きくバサリと翼を羽ばたかせる。すると周囲を風が包み込み、土煙が舞い上がった。ぐんっと高度が上がる。

「きゃっ」

 ぐらりと揺れ、晶穂は体勢を崩しかけた。急速に遠くなる地面に目眩がして、手を泳がせる。

(嘘、落ちる!?)

 誰かの声が聞こえたが、内容までは頭に入って来ない。晶穂は強く瞼を閉じて衝撃を覚悟した。

「晶穂!」

 その時、晶穂の体は何かに引っ張られた。体を包む温かさに瞼を上げると、リンが晶穂を抱き締めている。

 どうやら、晶穂を引っ張って助けてくれたのはリンだったようだ。突然の密着に緊張感を増す晶穂に対し、リンは大きく息を吐き出した。

「はぁ、よかった」

「……あ、リン。ごめんなさい」

「最初から危なっかしいな、お前。……俺に掴まってろ」

「うん。……ありがとう」

「……」

 晶穂を自分の後ろに座らせると、リンは赤く染まった顔を冷まそうと前を向く。

 そのリンの背中側から、晶穂は体を密着させた。丁度、バイクの二人乗りをする要領で、リンのお腹に手を回す。仲間たちが見ないふりをしてくれていることを何となく察しながら、シンに振り落とされないように。

 シンも晶穂が落ちそうになったことに気付いており、翼の羽ばたきを抑えて背中に顔を向けた。

「大丈夫? 晶穂も、みんなも」

「ああ。行ってくれ、シン」

「わかった! じゃあ、いっくよ〜」

 緊張感のない声が号令をかけると同時に、速度が増す。おそらく地上からはその大きな体が充分に見えるはずだが、スピードを上げたために目視する前に目の前から消えてしまうだろう。ただしシンの周りに渦巻く風のお蔭か、背中に乗っているリンたちは普通に会話出来る程度の衝撃しか感じていない。

(必ず、奴らの企てを打ち砕く!)

 リンは晶穂の手に触れ、真っ直ぐにヒュートラの方角を見詰めていた。




 その町で一番大きな宿の一部屋で、サーカス団をまとめる支配人の男が本を読んでいた。

 わずかに開いた窓の隙間からは、心地良い秋の風が吹き込んで来る。時折彼の読む本のページを勝手にめくってしまうが、全く気にしていないようだ。

 彼のもとへ、一人の女性が近付いて行く。彼女の手には人形の腕が握られ、その人形をずるずると引きずっている。

「イザード様」

「どうかしたのかな、アリーヤ?」

 本を閉じて首を傾げるイザードに、アリーヤは持っていた人形を差し出した。

「これ」

 アリーヤから人形を受け取ったイザードは、一抱え以上ある人型の人形をまじまじと見詰める。

「新しい人形だね。ふむ……。ああ、これは」

「そう、イザード様がアラストに向かわせた団員。失態を侵したから、今はお仕置き中です」

「お仕置きという可愛らしい言葉の割には、やることはえげつなくないか? きみの力をもってすれば、そのまま殺すことも可能だろうに。飼い殺しとは」

「そうですか? イザード様程ではありません」

 きょとんと目を丸くしたアリーヤは、イザードから人形を返されるとそれを再び引きずった。どうやら、きちんと抱えてやる気はないらしい。

「もう一つの人形も、また必要ならおっしゃって下さい。あれは死者傀儡くぐつだから、何にでも使える」

「……その出番は、もう少し先だ」

 自分の言葉に頷くアリーヤに、イザードはシエールと葉月はづきを呼ぶよう依頼する。

「待っていて下さい。すぐに」

 そう応じると、アリーヤは軽い身のこなしで部屋の外へと出て行った。いつも眠そうなアリーヤだが、傀儡を使う時は元気になる。

「……さて、どんなおもてなしが適切か」

 再び静まり返った部屋で、イザードは椅子に背中を預けた。ギシリと音が鳴り、イザードは腕を組む。

 彼の頭の中にあるのは、邪魔者であり利用価値のある者たちをどう消すかということだ。最も面白く、エンターテイメント性の高い方法はないかと胸を躍らせる。

 その時、部屋の戸が叩かれた。

「入って来てくれ」

 許可を得てやって来たのは、サーカス団の中でも腕っ節に覚えのある戦闘狂の二人。支配人の前ということで抑えてはいるが、ギラギラとした瞳の光は誤魔化せない。たぎる戦いへの欲求が、イザードにとって今一番欲しているものだ。

「二人に、もてなして欲しい客人たちがいる」

 微笑むイザードは、二人に一つの指示を出した。

 曰く。これから我らを追いかけて来る者たちを殲滅せよ、と。

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