追跡

第488話 必ず追い詰める

 サーカス団員の青年を逃した翌日、リンはぼんやりと自室の天井を見詰めていた。

(サーカス団……魔種を狙った痣。それから、俺たちへの敵愾心てきがいしん? いや、俺たちを利用して何かを成そうとしている?)

 昨夜の興奮を落ち着かせるためにも熟睡したかったのだが、いかんせん考え事が絶えず頭に浮かび何度も目を覚ました。リンは半分眠った体を動かし、置き時計を手に取る。

 時計の針は、まだ夜明け前であることを示していた。

「……朝練に行こう」

 ゆっくりと上半身を起こし、ベッドから下りる。そして洗面所で顔を洗い、着替えて冷蔵庫に入っていたボトルから水をコップに注いだ。一気飲みして、少し目を覚ます。

 いつも通りに使い慣れた剣を手のひらから取り出し、軽く振る。それから一人、中庭に出た。

 秋の早朝は肌寒く、動き辛い。だからこそ、不測の事態を想定して動く。リンは一心に剣を振るい、仮想の敵を追い詰めるために動き続けた。

「はっ!」

 切っ先が捉えた落ちたての赤い葉を、刃が真っ二つに切り裂く。中庭に植えられた大木は広葉樹であり、この時期になると美しく葉の色を変える。

 落ちて来る葉をほぼ全て捉え、斬っていく。何かに集中していないと叫びそうで、リンは一心不乱に剣舞を行なう。

 どれくらい舞い続けただろうか。ふとリンが何者かの気配を感じて足を止めると、リドアスの壁に背中を預けるジェイスの姿があった。

「ジェイスさん」

「やあ、リン。おはよう。何か思い詰めたような顔をして鍛錬していたけど、大丈夫かい?」

「ええ、なんとか」

「……そうは見えないけどね」

「……」

 リンの目の前にやって来たジェイスは、弟分の前髪をかき上げ顔を覗き込む。苦笑の色をにじませる黄色の瞳を直視出来ず、リンはわずかに目を逸らした。

 その様子に、ジェイスは「ふむ」と考え込んだ。と思うと、すぐに軽く微笑む。ジェイスの手には、彼の気の魔力で創られた長剣が握られた。

「朝食まではまだ早い。私の鍛錬に付き合ってもらいながら、話を聞こうか。これからのこともあるしね」

 頼めるかい? そう笑うジェイスに対し、リンは否を唱える理由がない。額や頬を流れる汗を拭い、リンは真剣な顔で頷いた。

「宜しくお願いします」

「よし、やろうか」

 キンッという金属音と共に火花が散ったのは、合意の直後だった。


 それより少し前、晶穂もまた早く目が覚めて廊下を歩いていた。サーカス団の目的はわからないが、あんな話を聞いてじっとしているのは困難である。

(わたしも、みんなと出来ることはしたい)

 最早日課となった矛の鍛錬をしようと中庭を目指す。

 静かな廊下をあるいていくと、何処からか話し声と剣の打ち合う音が聞こえてきた。耳をすませれば、リンとジェイスらしい。

「何を話してるんだろう?」

 何となく出て行くことも出来ず、晶穂はそっと戸に耳をつけた。盗み聞きしたい訳では無いが、無遠慮に話に割って入るのも気が引ける。

 まさか晶穂が聞き耳を立てているなど思いもせず、リンとジェイスの会話は続く。

「それで、リンはヒュートラへ向かうつもりかい?」

「ええ。今現在、サーカス団へ結びつく地名はそこしかありません。空振りになるとしても、行くべきだと考えています」

 リンの斬撃を身軽に躱し、ジェイスは上段から斬りかかった。

「早い方が良いだろうね。リンが行くと言うだろうと思って、昨夜のうちにヒュートラに関する資料を集められるだけ集めておいたよ」

「え……ありがとうございます。――っ」

「気を緩めないことだね」

 思わぬ申し出に驚いたリンの手元が緩み、ジェイスの剣に弾かれる。剣を手放しそうになり、リンは咄嗟に指に力を入れた。

 更に連続して攻めてくるジェイスの剣を何とか弾き返し、リンは攻勢に転じる。

「読む前に、ヒュートラはジェイスさんから見てどんな町でしたか?」

「圧倒的に、魔種の多い町だ。獣人や人間も住んでいるが、魔種が住民の七割を占める」

「もし、ヒュートラがあの魔力にあてられたら……」

「アラスト以上に、私たちへの風当たりが強い可能性が否定出来ない。そもそも、私たちとの関係が薄い地域だからね。シュロンの父親のような援護は期待出来ないだろう」

「ある程度、覚悟はしておきますよ。それに……そんな悪意にさらされる人数は、少ない方が良いでしょう」

「……つまり、行く人は限定するということかな」

「はい」

 キンッと金属音が響き、二つの刃が離れる。リンとジェイスは互いの距離を測り、鍛錬を続けながら相談する。

 ジェイスの問いに首肯したリンは、人差し指から順に立てて人数を示した。

「俺とジェイスさん、そして克臣さんの三人で行こうと考えています。ユキはヒュートラで更に濃い毒に触れる危険がありますし、唯文たちにはユキと一緒にいてやって欲しいんです」

「晶穂は? 何も理由なく置いて行ったら、きっと泣かれてしまうよ?」

 以前にも晶穂を置いて行こうとしたことがあったが、その時は晶穂自身から説得されて折れた。そのエピソードを覚えていたジェイスが苦笑しながら尋ねると、リンは眉間にしわを寄せて肩を竦めた。

「わかっています。俺自身のエゴだと思います。それでも、あいつをあまり悪意に晒したくないんです。あの笑顔が曇るようなことは、したくな……」

「置いて行かれるなんて、絶対に嫌だよ!?」

「「!?」」

 突然聞こえた反対の声に、リンとジェイスは振り返る。するとそこには、泣きそうな顔をして目くじらを立てる晶穂の姿があった。

「晶穂……」

「リンも、泣きそうな顔してる。……ね、友だちを仲間を否定されて、悲しいのはリンだけじゃないよ? 勿論、わたしには出来ることは少ないかもしれないけど、貴重な回復要員じゃない?」

「その回復の力を使い過ぎたら倒れるのは、何処のどいつだよ」

「そうだね。リンの気持ちは何より嬉しい。でも、悪意に晒したくなんかないって気持ちだけでわたしを貴方から遠ざけて欲しくないよ」

「……また、泣かせるかもしれない」

「だとしても、わたしはリンたちと一緒に戦いたいの。我儘だってわかってる。駄目ですか、ジェイスさん?」

「おや、こちらに矛先が向いたか」

 成り行きを見守るつもりだったジェイスは、晶穂に問われて苦笑いを浮かべた。

 肩を竦め、ジェイスは思い詰めた表情のリンの頭をわしゃわしゃと撫でる。突然撫でられ驚いたリンに、ジェイスは嬉しそうに笑った。

「良かったな、リン。きみはもう、親を亡くして殻に閉じ籠もる子どもじゃない。私や克臣の他にも、きみを大切に思い、慕い、共に戦いたいと願う人がいるのは幸せなことだ」

「ジェイスさん……」

「リン、私たちと三人だけで何かを成そうとしなくても良い。みたいだから、彼の話も聞いてあげて」

「もう一人?」

「バレてたか」

 巨木の裏から顔を覗かせたのは、寝ているはずのユキだ。少し顔色は悪いが、落ち着いているように見えた。

 リンは弟に駆け寄り、目線を合わせる。

「もう、大丈夫なのか?」

「うん。寝過ぎて早く目が覚めて、散歩してたんだ。そうしたら、ぼくを置いて行くなんて声が聞こえるから、文句言おうと思って隠れてた」

「……お前も、一緒に来るのか? 昨日みたいに苦しむかもしれないぞ」

「行くよ。例え、置いて行かれても兄さんを追い駆ける。多分、この痛みがサーカス団へ近付けてくれるから」

「……仕方、ないな」

 肩を竦め、リンは諦めた顔で笑った。何処か嬉しそうなのは、彼の本心だろう。

 剣を収め、晶穂たち三人に向き直る。その表情に、もう迷いはなかった。

「俺たちで、サーカス団を止めましょう。八人で、必ず奴らの目的を潰す」

「そう来なくちゃね」

「はい」

「うん。行こう、兄さん」

 四人は決意を新たに頷き合う。その時、ユキのお腹がくぅぅと鳴った。

 真っ赤になるユキに、リンは微笑みかける。 

「まずは、腹ごしらえだな」

「うん」

 てへへと照れ笑いを浮かべられるくらいには、ユキの体調と心は回復したらしい。リンはそのことに安堵しつつ、新たな旅へと思いを馳せた。

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