第486話 暗示という毒
バタバタと現場に向かいながら、克臣が先を走る唯文に問う。
「お前、寝てたんじゃないのか?」
「寝てたんですけど、おれだけ物音で起きちゃって。どうも変な物音がすると思って、廊下に出たんです。そうしたら、玄関の方が五月蠅くて」
不審に思った唯文は、眠気眼をこすりながら会議室を覗き、ギョッとしたという。
「見えない何かに囲まれた男の人が、何かを叩いて叫んでるんですもん。魔力の気配がしたからすぐにジェイスさんの空気の壁だってわかりましたけど」
「流石、犬人だね。唯文」
他の種族よりも鼻が利く犬人の唯文を褒め、ジェイスは微笑んだ。
「その通り、私の力で閉じ込めておいたんだ。もう起きてしまうとは思わなかったけど、ね」
「相手もそれだけ必死なんだろうな。その理由も含め、色々訊かなきゃいけないから丁度良いだろ」
「だね」
ジェイスと克臣の会話を後ろで聞きながら、リンは二人が味方でよかったと胸を撫で下ろしていた。敵に容赦ない二人は、あの青年に何をして何を訊くつもりだろうか。
──バタンッ、ガンッ。
会議室に近付く度に、何かを殴り付ける音と罵声が大きくなっていく。リンはちらっと隣を見て、晶穂の顔色を確かめた。
すると晶穂もリンの視線に気付いたのか、ふっと目を細める。
「大丈夫だよ、リン。今は、あの人から話を聞かないと!」
「だな」
首肯し、リンは再び前を向く。彼ら五人は既に部屋の前に到着していたが、中に入るタイミングを見計らっていた。
中の様子を探っていたジェイスが、わずかに眉をひそめる。
「どうやら、私の壁は破壊されたみたいだね。辛うじて残った拘束の力でその場に縛り付けられてはいるけど、時間の問題かな」
「ジェイス、奴の種族は?」
「狼人だ。その脚力でやられたか……」
「なら、少し慎重に行こうか」
克臣は晶穂と唯文を下がらせ、リンとジェイスと共に会議室の戸の前に立つ。そして、克臣が思い切り戸を蹴破った。
蝶番が吹き飛び、蹴られた部分をへこませた戸が室内の壁に激突する。
「何処が慎重なんですか……?」
ドカッという音にびっくりした唯文が呆れ顔で突っ込むが、隣の晶穂も苦笑しか出来ない。
戸があたった壁の傍には、一人の青年が座り込んでいた。どうやら、大きな衝撃に驚き腰を抜かしたらしい。
「な、何なんだお前ら!?」
「それはこっちの台詞だねぇ」
一丁前に威勢だけは良い青年を見下ろし、ジェイスは微笑む。丁度笑顔に影が生まれ、青年の恐怖心を煽った。
それを知ってか知らずか、ジェイスはぐるりと部屋を見回す。透明な壁は部屋のそこかしこに散らばり、壁や床には穴が空いている。
「派手にやってくれたみたいだね」
肩を竦め、ジェイスはパチンと指を鳴らした。すると、散らばっていた透明なもの消えてしまう。
リンと克臣も部屋に入り、惨状に顔を見合せるしかない。
しかし、ただ見ているだけでは何も進まない。
「おい」
リンは手を拘束されたまま座り込む男の前に立ち、睨み付けた。
「お前たちサーカス団が、この町でしたことを洗いざらい吐け」
ジェイスと克臣よりも先にすごんで見せたリンに、青年は青白い顔で抵抗を試みる。目を逸らし、しどろもどろになりながらしらばっくれた。
「──っ、な、何を言っている? 我らサーカス団は、アラストでの公演を行なっただけだが?」
「本当にそれだけなら、きみがあの男の子を襲う理由にはならないよね?」
「幼い子どもを傷付け、何をする気だった? それから、サーカスはユキに何をした?」
「ユキだけじゃない。……何故、私たちに敵意が向くよう仕向けた? 暗示か何かだろうが」
「そ、それは……」
「「答えろ」」
ジェイスと克臣の威圧に屈しかけている青年に、二人は畳み掛けた。手ぶらにもかかわらず、青年には二人がそれぞれ武器を手にしているように見えたかもしれない。
リンはジェイスたちの後ろに下がり、晶穂と唯文と共に成り行きを見守る。少し青年の境遇が可哀想な気もしたが、自業自得だろう。
すると青年は観念したのか、目に涙を浮かべて降参した。
「わ、わかった。話す。話すから、頼むから、俺を助けて欲しい!」
「命まで取ろうとは思わない。ただ、きみの所のリーダーがどう思うか。きみが逃げられるかどうかにかかってはいるけどね」
ジェイスはそう断りを入れると、もう一度指を鳴らす。すると、青年の手首を拘束していた空気の輪が消失した。
ようやく自由になった手首をさすり、青年は一瞬逃げ道を探す目をした。しかし四方八方をリンたちに塞がれ、それも出来ないと悟る。
ため息をつき、青年はわずかに震える声で話し始めた。
「俺は、支配人の命令であの子どもを消しに来た。……俺が、サーカスの次の行き先を喋ってしまったから」
「行き先を……。なら、あの情報は真実ということか」
「もし、あんたらがあの子どもから聞いたのならな。ただ、支配人は慎重な人だ。もしかしたら、目的地を変えたかもしれない」
青年は沈んだ面持ちのまま、ぽつりぽつりと知っていることを話す。
「支配人の目的は、下っ端の俺にはよくわからない。でも、お前たち銀の華がソディールの人々から絶対的信頼を得ていることを利用したいらしい。その為に、魔種にのみ効く毒を歌声に乗せて聞かせた」
「……確かに、今日会った男は魔種だった。シュロンの家はみんな犬人だ。だから、サーカスに行ったにもかかわらず何もなかったのか」
克臣が頷き、その傍でリンがハッとした。
「だから、ユキにだけ痣が現れたのか! ……おい、お前たちは痣を、毒を広げて何をする気なんだ。そもそも、毒とは何だ!?」
「リンッ」
青年に掴みかかりそうになるリンに抱き付いて制止し、晶穂は怯える青年に尋ねる。
「痣が毒を受けた証、ということですね?」
「は、はい」
「その毒は、わたしたちへの敵がい心を煽るものですか?」
「そう、聞いています……。でもそれ以上のことは、本当に知らない! 俺はまだ、サーカス団に入って短いんだ!」
晶穂の静かな問いに答えた青年は、突然わめくと部屋の外へ向かって走り出した。リンたちは誰もそれを止めず、見送る。
一先ず、青年に訊くべきことは全て訊いた。これ以上引き留めても、彼の寿命を減らすだけだと全員が判断したのだ。
物音がしなくなり、リンはぽつりと呟く。
「ユキ……。その毒、必ず解毒してやるからな」
「毒というより、暗示に近い気もするがな。どちらにしろ、行くんだろ?」
克臣に問われ、リンは「勿論です」と応じた。
「あの男の言う通り、空振りになるかもしれません。でも、一つでも可能性があるなら、それに賭けます」
「じゃあ、一度朝まで寝ようか。それから、準備を始めよう」
唯文もね。ジェイスの言葉に、唯文は小さく頷いた。彼に年少組への説明を任せ、リンたちはそれぞれの部屋へと戻ることにしたのである。
バタバタバタバタ……。深夜の静けさに見合わない騒々しい音が町の外へ向かって響いていく。
その音を出している青年は、真っ青な顔をして過呼吸を起こしながらも走るのを止めない。止めれば、息根が止まると知っているかのように。
「俺、は、まだ、死にたくないっ」
「ざーんねんだったねぇ」
「あなたは!?」
青年の前に現れたのは、眠気眼をこする二十歳くらいの女性。彼女は人の形の人形をだらりとぶら下げて、青年に近付いてきた。
女性が一歩近付くと、青年は一歩退く。
イヤイヤをするように首を横に振る青年に笑みを見せ、女性は両手を広げた。
「きみは、支配人の与えたチャンスを物に出来なかった。だから……バイバイ」
パチンッと女性が指を鳴らす。彼女がその場から背を向けた時、青年の姿は何処にもない。
変わったことといえば、女性の手元に人形がもう一つ増えたことくらいのものだ。
女性は眠たげに鼻歌を歌いながら、闇の中に消えていった。
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