第485話 温かい紅茶とクッキーを

 何となく言葉を交わすことなく、リンと克臣はリドアスへと戻って来た。時刻は夜中に差し掛かり、年少組は翌日の学校もあるために眠っている。二人を出迎えたのは、ジェイスと晶穂だった。

 玄関の戸が開いた音を聞きつけて駆けつけた晶穂は、リンの顔色の悪さに絶句しかけた。しかし何か声をかけなければ、と笑みを浮かべる。

「お帰りなさい、二人共」

「お帰り。酷い顔だね。手を洗ったら、食堂においで。温かいお茶を用意しておくから」

 ジェイスも晶穂と同じことを思ったのだろう。報告会の場所を会議室から変更することに躊躇はない。

 二人の気遣いに、克臣とリンは浅く頷いた。

「ああ」

「ありがとう、ございます」

 リンと克臣が姿を消してから、ジェイスは「ふむ」と腕を組む。

「あれは、思った以上に何かあったみたいだね」

「ジェイスさん。わたし、お茶の用意をしてきますね。リラックス効果の高い茶葉を見付けたので、それを」

「ああ、お願いするよ」

 晶穂を見送り、ジェイスは会議室に捕らえていたサーカス団の青年のことを思った。彼はまだ目覚めていないが、いつ起きてもおかしくはない。

(一応、周りを壁で固めておこうか)

 ジェイスの魔力は『気』というカテゴリのものだ。空気を操り、様々な形にすることが出来る。その形は壁であったり椅子であったり、弓矢であったりした。

 魔力で青年の四方を囲むと、ジェイスは会議室を出て戸に鍵をかける。その足で、晶穂がいるはずの食堂へと向かった。


 リンと克臣が幾分か落ち着いた顔で食堂にやって来たのは、それから五分程後のことだった。淡く甘いにおいのする方へ目をやれば、温かな紅茶とクッキーが数枚ずつ置かれた小皿がある。

 クッキーはうさぎやクマといった動物の形をしており、判で押された目鼻が可愛らしい。リンにはすぐ、晶穂の手作りだとわかった。

 リンと克臣の顔を見たジェイスが、肩を竦めてテーブルを指差す。

「二人共、まずは一服すると良い。それからでも、話をするのは遅くない」

「これ、商店街で買ったんです。リラックス効果が高いって触れ込みで。こっちのクッキーは、わたしが昼間に焼いたものですけど」

「だと思った。ありがとな」

「俺も頂くよ」

 ほっとした顔で椅子に腰かけたリンと克臣は、それぞれ紅茶とクッキーに舌鼓を打つ。晶穂とジェイスは、二人が落ち着くのを向かいの席で待っていた。

 リンが口を開いたのは、紅茶を一口とうさぎのクッキーを食べた後だ。

「……ジェイスさんは、晶穂にどこまで話しましたか?」

「わたしたちがあの男を捕まえた所までは。その後から話してくれる?」

「わかりました」

 頷くと、リンは紅茶のソーサーを掴む指にわずかに力を入れた。

「ジェイスさんに言われて、俺はあの男の子……シュロンの父親を追いました。すると彼は友人と言い争いをしていて、俺に気付いた友人の男が言ったんです。簡単に言えば、『銀の華は自作自演で活躍したんだ』と」

「……『自作自演』?」

「そんな、酷い。どうしてそんなことを言うんだろ? みんなが本当に命懸けでやっているのは、本当のことなのに」

 晶穂が俯き泣きそうな声をあげると、顔をしかめていたジェイスも頷く。

「続けて、リン」

「はい。正直俺も冷静とは言い難かったですが、相手の様子を見て確信しました。あれは……サーカスが原因で妄言を言うようになったに違いない、と」

 平静ではない言葉で断言したリンは、克臣と共に見付けた男性の痣を思い出す。あれは、ユキの首もとにあったものと同じだった。

「もしかしたらあの痣を付けられた人々は、銀の華を憎むよう仕向けられているのかもしれません。その目的はわかりませんが、ひょっとしたら、ユキも……」

 万が一、ユキが自分たちのことを否定する言葉を発したら。そう考えるだけで、リンは血の気が引く思いがする。

 青い顔をするリンに気付き、晶穂は向かい側からそっと手を伸ばす。リンの冷えた手を自分のそれで包み込んだ。

「リン、それは今は考えなくても良いよ。だって、ユキは苦しい思いをしながらも抗ってるから」

「……どういう、意味だ?」

「晶穂の言う通りなんだよ、リン」

 困惑するリンに対し、晶穂とジェイスは顔を見合せ頷く。先に口を開いたのはジェイスだ。

わたしが帰ってきた時、リドアスが騒がしかったんだ。何があったのかと中庭に出たら、ユキが魔力を暴走させかけていた」

「神子の力で抑えられないかと思ったけど、ユキの中の混乱した感情が外に出たものだったの。中庭の植物を全部凍らせて、泣きながらわたしに抱き付いてきたよ」

 ユキは晶穂にしがみつき、何度も「嫌だ」「そんなこと思いたくもない」と叫び倒した。時折胸元を苦しそうに掴み、耐えていたのだ。

「今は落ち着いて、眠ってる。ユーギたちが今日は一緒にいるって言ってくれたから、そっちは任せてる」

「……それが良いだろうな。ユキ、苦しい思いをさせて、ごめんな」

 五つ年下の弟は、幼い頃に拐かされた。十年の時を経てようやく兄弟共に暮らせるようになったが、新たにユキを苦しませる正体不明の痣が現れるなどと考え付くだろうか。

 リンは震えそうになる声を呑み込み、息を吐く。そうすることで、ぐちゃぐちゃだった頭の中が整理されていく。

「……痣を外させるためには、あのサーカス団の行方を追わなければ」

「追って、追い付いて、どうする?」

「勿論、痣の解除を要請します。そして、何故俺たちを批判の的に選んだのかを聞き出さなければ」

 克臣の問いに応じたリンは、食堂の本棚に置いてあった世界地図を取り出す。そこから、シュロンが聞き出したサーカス団の目的地を探し出す。

 四人は頷き合い、計画作成へと移行しようとした。しかしその前に、外でガタンという大きな音がする。

「団長たち、あの男が暴れてます!」

 食堂に飛び込んで来た唯文と共に、四人は玄関ホール近くの会議室へと駆け出した。

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