第484話 自作自演

 リンが向かったのは、シュロンの父親が向かった彼の友人の家だ。

 幾つかの曲がり角と直線を行き、切れそうになる息を吸い込みむせる。それでも足を止めることなく走るリンを遮るものは幸いなく、徐々に近付く喧騒が耳朶を打った。

(あそこか)

 リンの目に見えて来たのは、古い街灯に照らされた空き地。その真ん中で、胸倉を掴み合う二人の男性がいた。その片方は、昼間に話をしたシュロンの父親だ。

「お前っ、さっきの言葉もう一度言ってみろ!」

「何度でも。……銀の華、は、。だからこそ、あれだけの活躍を見せ、皆に褒め称えられている」

「そんなこと、お前今まで言ったことなかっただろうが! 何で、何があってそんなに変わっちまったんだ!?」

「この手を離してくれよ。オレは、何も変わっていない」

「そんな虚ろな目をして、何も変わってないわけがないだろう!?」

 主に興奮しているのは、シュロンの父親だ。彼に怒鳴りつけられている男性は、ただのらりくらりと言葉を躱しているに過ぎない。目に力はなく、ただ手に籠められる力は強いのか、彼の胸倉を掴むシュロンの父親の手首を捻り、強制的に離させた。

 それでも「目を覚ませよ」と叫ぶ友人の言葉に耳を貸す様子はなく、男はふと視線を外した。そこにいたのは、動くに動けずにいるリン。

「きみは……」

「きみは、昼間の!」

「――今の話、どういうことだ?」

 リンは努めて冷静を心掛け、真っ直ぐに男を見詰める。最早睨みつけていると言っても過言ではない眼光が、男を射抜く。

 しかし男はそれを真正面から受け止め、小首を傾げて見せた。大の男がそれをやっても可愛くはない。

「どういう、とは?」

「そのままの意味だ。俺たちが、銀の華が自作自演で活躍をしたと。そして、だからこそ、皆に褒め称えられている。そう言っただろう」

 誰からそう吹聴された。リンは詰問するが、男は黙ってリンの瞳を見詰めるばかり。

「リンくん、私も何度も尋ねた。けれど、本人の口から誰からそれを聞いたのか、その答えが返ってくることは無いよ」

「……でしょうね」

 シュロンの父親は、リンが友人の話し相手となったことで幾分か冷静さを取り戻していた。まだ顔色は悪いが、眼光だけで人を殺しそうなリンを制する。

 リンは一歩退くと、大きく息を吸い込み、吐き出した。ようやく冷えきっていた頭に空気が入る。

 落ち着きを取り戻しつつある二人に対し、男は嘲るかのように笑った。頬が引きつり、操り人形のようにも見える。

「ククッ。お前たちは、信じていた者たちから見放され、放逐され、断罪される。その、そ……の、断罪者は、この世界を真に統べる者たち」

「この世界を統べるのは、人知など超えた存在だ。もしくは、統べる者など存在しない。決めるのは、いつも自分自身だ。……断罪など、される謂れはない」

「余裕を見せていられるのも、今のうち、だ」

 いよいよカクカクとした人形めいて来た男。彼は突然意識を失い、バタンと大きな音をたてて地面に倒れ伏した。

「おいっ、何がどうなってる!?」

 シュロンの父親は友人の肩を揺さぶるが、目を覚ます様子はない。リンはそっと彼の横に膝をつき、男の口元に手のひらを近付けた。

「息はあります。眠っているだけのようですね」

「そうか、よかった……。いや、良くはないが」

「この人がちゃんと生きている。ならば、よかったんですよ」

 渋面を作るシュロンの父親に笑って見せ、リンは近付いて来る足音に警戒を示した。しかし、その足音の主を知って肩の力を抜く。

「克臣さん……」

「お疲れだったな、リン。一足遅かったようだが。……ん?」

「どうかしましたか?」

 ちらりと倒れた男を見た克臣の瞳孔が開く。

 ザッザッと倒れた男の傍に駆け寄った克臣を不思議に思ったリンが尋ねると、克臣は男のはだけた襟を指で広げて見せた。

「見ろよ」

「これは……!」

 男の首もとにあったのは、ユキに刻まれたのと同じ複数枚の花びらを持つ花の痣。しかも、ユキのものよりもやや濃い黒色をしているように見える。

「やっぱり、サーカスが元凶か……!」

「決め付けるには早い、と言いたい所だが、間違いないだろうな。何せ、この人はサーカス団がいなくなった直後から、言動がおかしくなっている」

「……っ、もしかしたら他にも?」

「可能性は高い。あの公演を見た奴ら全てを調べるのは、かなり難しいぞ」

 克臣の眉間にしわが寄り、チッと舌打ちをする。数日間滞在したサーカスの公演を見た人物全てを特定するとなると、ほぼ不可能に近い。

 しかも、彼らはこの男のように銀の華へ異常な妄想を抱いて吹聴していると考えられる。この噂が広まれば、今まで銀の華を信じてくれていた人々も揺らぎかねない。

「何とかして、止める方法はないでしょうか?」

「今すぐには考え付かないな。ジェイスも考えてはいるだろうが……。一先ず、リドアスに戻ろう。ジェイスがサーカス団の一員を捕縛して、連れ帰っているらしいから」

「……わかり、ました」

 青い顔をして立ち上がったリンは、こちらを心配そうに見ているシュロンの父親に気付いて無理矢理笑みを作った。

「巻き込んでしまってすみません。お怪我はありませんか?」

「いや、大丈夫だよ。私よりも、きみたちのことの方が心配だ。……気休めかもしれないけど、私たち家族は何を吹聴されようと、きみたち自身を信じているよ。決して、負けないでくれ」

「ありがとう、ございます。そうおっしゃって頂けるだけでも嬉しいです」

「幸い、俺たちは独りではありません。あなたのように、信じてくれる人がいる限り、負けませんよ」

 克臣も微笑み、気を失ったままの男を担ぎ上げた。それを見て、シュロンの父親が慌てる。

「彼を何処かに連れて行くのかい?」

「いえ、彼の家に連れて行かないとと思いまして。ご家族がいるなら、説明もしないと」

「その役目は、私が引き受けよう。克臣くん、と言ったかな。きみはリンくんと一緒にリドアスへ戻った方が良い」

「……わかりました。では、お願いします」

「ああ」

 シュロンの父親に後のことを頼み、リンと克臣は一度現状を共有するためにリドアスへ戻ることにした。

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