近付く悪意

第483話 捕獲

 夕刻を過ぎ、辺りは少し暗くなっている。商店街には明かりが灯され、昼間とは違う姿を見せていた。

 路地を一つ入り、曲がりくねった道を歩く。リンとジェイスは何となく無言のままで、目指す子どもの自宅を目指す。

 人通りはなく、遮るものは建物以外ほとんどない。徐々に暗さを増す路地に何となく焦りを覚えながら、リンは懸命に走っていた。

 あともう五分も経たずに目的地へ到着する、そんな時だ。

「リン、待て」

「どうかしましたか?」

 後ろを走っていたジェイスに引き止められ、リンは振り返る。

「早く行った方が……」

「この先、おそらく何者かがいる。気を引き締めて」

「わかりました」

 ジェイスの敵意を感じ取る力は、リンよりも大きい。鳥人という稀有な種族の血を受け継ぐためか、そういうものに敏感なのだ。

 リンはジェイスの言葉を信じ、頷く。二人が改めて足を前に向けた時、進行方向で悲鳴が上がった。

「リン!」

「勿論です!」

 ぐんっとスピードを上げ、リンが疾走する。魔力を帯びた翼の力を借り、更に加速した。

 リンの目の前に見えてきたのは、昼間に話を聞いた男の子の自宅前。玄関先で、男の子と見たことのない男がもみ合っていた。

「離してよっ」

「静かにしろ! お前のせいで俺は!」

「その子を離せ!」

 もみ合う二人の間に割って入り、リンは首を絞められていた男の子を強引に男から引き離す。男はリンの力ずくで手首を捻られ、悲鳴を上げた。

「げほっげほっ。お、にいちゃん?」

「ゆっくり息をして。もう大丈夫だ」

「リン、その子をこっちに」

「はい」

 首もとを押さえ深呼吸する男の子をジェイスに預け、リンはうずくまる男を見下ろす。この町では見たことのない男の様子に、リンはサーカスとの関連を疑った。

「お前、サーカスの一員か? 何でこの子を……」

「こいつのせいだ!」

 リンの問いに答えることなく、男は拳を振り上げてリンに襲い掛かる。リンはそれを体をずらすことで躱し、勢い余ってつんのめった男の鳩尾に拳を叩き込んだ。

「がっ!?」

「年端もいかない子に乱暴するからだ」

 どさりと地面に倒れ気を失った男の傍にしゃがみ、リンは彼が動かないことと命に別条のないことを確かめて息をついた。

「リン、お疲れ様」

「ありがとうございます、ジェイスさん。きみ、怪我は?」

「あ……大丈夫。おにいちゃんたち、ありがと」

 男の子に礼を言われ、リンとジェイスはほっと息をつく。男の子に過度に怯えた様子はないことから、間に合ったのだと再認識したのだ。

 リンは男の子の頭を優しく撫で、彼の前に膝をついた。

「怖い思いをさせたな。よく頑張ってくれたね。早速だけど、何があったのか教えてもらっても良いかな?」

「うん、あのね。おにいちゃんたちが帰った後、いつも通りにお父さんとお母さんとご飯を食べて、お風呂に入って、部屋で遊んでたんだ」

 自室で学校の宿題をしていた男の子は、父親が話題に出て来た友人の様子を見に行くと言って外出するのを聞いた。そして母親も、明日の食事の仕込でキッチンにいるのを知っていた。

 大人しく過ごしていた男の子は、ふと窓の外に人の気配を感じて不用心にも開けてしまったのだ。

「そしたら男の人がぼくを外に引っ張り出して、口を塞いで来たんだ。暴れようとしたけど、力が強くて動けなくて。『静かにしろ』って怖い声で脅された」

「それでも、よく声を上げられたね? 私たちはその声を聞いたから駆けつけられたんだ。きみのお手柄だよ」

 ジェイスに褒められ、男の子は「えへへ」と照れ笑いを浮かべた。

「あの人の手のひらに噛み付いてやったんだ! そうしたら手を離したから、おっきな声を出した。そのすぐ後に、おにいちゃんたちが来てくれたんだよ」

「そっか。本当に偉かったな、凄いぞ」

「でしょ?」

 改めてリンにも褒められ、男の子は胸を反らす。

 その時だった。ガタンッと大きな音がして、男の子の自宅から女性が飛び出してきたのだ。

「シュロン!」

「お母さん!」

 蒼白な顔をして男の子―シュロン―を抱き締めた母親は、息子の無事を確認してようやく息をついた。そして、リンとジェイスがいることに気付いて顔を赤らめる。

「も、申し訳ありません。気が動転してしまい……わたしの代わりにこの子を助けて下さってありがとうございました。何とお礼を言って良いやら……」

「お気になさらずに。私たちとしても、彼を巻き込んでしまった自覚はありますので。当然のことをしたまでですよ」

 あわあわとしながら頭を下げる母親に、ジェイスは慣れた様子で声をかける。その物腰の柔らかさに、母親も少し落ち着いた。深呼吸をして、びっくりしているシュロンを腕から解放する。

「シュロン。何処か痛い所はある?」

「ないよ! おにいちゃんたちが助けてくれたもん!」

「そう。よかったわ」

 母親はシュロンに家に入っているよう指示すると、改めてリンとジェイスに向き直った。深々と頭を下げ、礼を言う。

「改めて、ありがとうございました。お二人のお蔭です」

「気にしないで下さい。ジェイスさんも言いましたが、俺たちに出来ることをしただけですから」

「そうですよ。……それで、一つお聞きしたいことがあるのですが」

「何でしょう?」

 顔を上げて不思議そうにする母親に、ジェイスは尋ねる。

「旦那さんは、様子がおかしいご友人の所に行ったとシュロンくんから聞きました。出かけたのはいつ頃ですか?」

「確か……一時間程前です。そういえば、まだ戻って来ていませんね」

「――リン」

「はい」

 ジェイスの無言の指示を受け、リンは踵を返す。

「あの、どうかしたの?」

 二人の様子が変わったことに目を見開くシュロンの母親に、ジェイスは「いえ」と少し硬質な声で応じた。

「旦那さんからそのご友人の家については聞いているので、大丈夫ですよ。私はコレを警吏に引き渡してきますので」

 ジェイスはリンに倒された男を肩に担ぐと、ぺこりと頭を下げて歩き出した。

 男はすぐに目を覚ます様子はないが、油断は禁物。ジェイスの足は警吏の駐屯所ではなく、銀の華の拠点へと向けられる。

「……もしもし、克臣か? ……そう、無事だ。至急、向かって欲しい所がある。頼めるか?」

『任せろ』

「ありがとう」

 連絡を済ませ、ジェイスは夜闇に白い翼を広げた。鳥人の血を色濃く引く彼にしか備わっていない、純白の翼だ。

(空中なら、例え目を覚ましても何もしないだろ)

 担がれている彼からは、色々と訊き出す必要がある。ジェイスは頭の中でやるべきことの順序を付けながら、リドアスまで飛び続けた。

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