第482話 不確かな敵意

 痣についてわかったことを聞いて欲しい。ユキの言葉を聞き、最も顔色を変えたのはリンだった。

「ユキ、何がわかった?」

「うん。兄さんがその子にサーカスのことを聞いている間に、ぼくはお父さんに話を聞いたんだ。サーカスを見に行った後、今までと違うと感じることはありませんかって」

 ユキが尋ねると、犬人の男性はしばらく考えて首を横に振った。自分たちは何もないが、変なことがあったと言う。

「変なこと?」

「そうなんだ、唯文兄。その人曰く、サーカスを見に行っていた知り合いの魔種の人が、その人の誘いに一切乗らなくなったんだって。昨日の今日で飲みに誘ったら断られて、今後誘わないで欲しいと言われたって悲しんでたよ」

「具合でも悪いのか?」

「ううん、そうじゃない」

 唯文の問いに首を横に振ったユキは、改めて詳細を話し始めた。


 リンが子どもからの聞き取りに四苦八苦している間、ユキは子の父親から話を聞いていた。

「じゃあ、その人との交流は?」

「あれ以来、途絶えてるんだよ。さっきも町で会って挨拶を交わしたが、何処かよそよそしい」

「何でだろう。何か、見た目の変化とかはありませんか? 例えば、目付きが変わったとか、体の何処かに痣が出来たとか」

「痣はわからない。だけど……そうだな。こんなことをきみたちに言うのはどうなのかと思うが」

 子の父親はちらりとリンを見、ユキのことも気まずそうに見た。

 何か重大なことが隠れている。そう直感したユキは、厳しいん表情にならないよう気を付けながら言葉を選ぶ。

「言って下さい。そうじゃないと、ぼくらも対策が出来ません」

「それもそうか。実はな、そいつがきみたち銀の華を見る目が変わったと感じるんだ」

「ぼくらを、見る目?」

「そう。偶然、あいつが買い物をしているジェイスくんと春直くんを見ている所に行き合ったことがあるんだが、その時のあいつの目は、敵意を持つ目だった」

「……」

「でもあいつはすぐに我に返ったかのようにハッとして、頭を何度も振ってその場を去ったよ。もしかしたら、自分でも何でそうなるのかわからないのかもしれないな」

「無意識の敵意……」


 ユキの話を聞き、ジェイスと春直が顔を見合せる。互いに記憶を辿って、ほぼ同時に「あっ」と声を上げた。

「思い出した」

「確かに居たよ。冷たい敵意みたいなのを感じて、身震いしたのを覚えてる」

「確かに、あれは敵意だった。殺気に近いものを感じて振り返ったけど、武器を持つ人も魔力を撃ってくる人もいなかったから気のせいかと思っていた……」

 だけど、気のせいではなかったね。ジェイスが肩を竦め、春直の垂れた耳を撫でた。

「サーカス団が去って一日経たないうちに、変化が出てきている。これは、早急に対処する必要がありそうだ。……サーカスを見た人たちは、もしかしたらわたしたちを敵視するように強制されている可能性もあるし」

「わたしたちを敵視させて、一体彼らに何のメリットが……?」

 晶穂の困惑は、その場にいる全員の気持ちを代弁していた。きゅっと両手を胸の上で握り締めた晶穂の肩に、リンの手が置かれる。

「リン」

「何が起こっているのか、確かめよう。俺とジェイスさんで、あの親子をもう一度訪ねます。晶穂と克臣さんはユキを頼みます」

「わかった。サーカスの行き先をどうやって知ったのかも気になるしね。所謂秘密結社的側面を持つサーカス団なら、もしかしたら」

「俺も、それを危惧しているんです。もしかしたら、あの男の子の命が危ない」

 ジェイスの思い付きは、リンのそれと同じだった。

 サーカスの行き先は、今まで外部の者が知ることはなかったらしい。突然現われ、盛大な催し物であるサーカスを開いて去って行く。神出鬼没を信条としている、とばら撒かれた広告には書かれていた。

 これからの行動が決められ、リンとジェイスは玄関を出て行こうとした。しかし、リンの服の裾を弱々しく引っ張る者がいる。振り返ると、ユキが不安に揺れる瞳で兄を見上げていた。

「……兄さん、ぼく怖いよ」

「ユキ……。克臣さんと晶穂の傍にいてくれ。唯文たちも、今はリドアスで待機だ。ユキを頼む」

「了解です。気を付けて行って来て下さい」

 唯文たちに見送られ、リンとジェイスはサーカスの行き先を教えてくれた子どもに会うためにアラストの町へと向かった。




「全く……公演が終わって一日も経っていないというのに。何故これ程騒々しいのだろうね?」

 ため息をつくイザードは涼やかな目元を指で拭うと、目の前に座り込んでいる団員を見下ろした。

 イザードたちがいるのは、サーカス団が駐留している湖の反対側にある洞穴の中。秘日が沈んでからそれ程時間は経過していないが、既に洞穴の奥は暗い闇に覆われている。

 その洞穴の奥、壁に背中を預けて座り込んでいるのは、イザードの言いつけを守らずに極秘事項を喋ってしまったおっちょこちょいの団員だ。まだ経験は浅く、表舞台に出たことはない。

 軽やかな身のこなしと愛嬌を買われ、サーカスに入った青年は、しかし今暗がりで怯え震えている。なんとか失禁を免れているのは、彼の最期の抵抗か。

 イザードは震えて満足に口もきけない団員の前にしゃがみ、彼の顎に触れた。くいっと自分と目を合わし、冷え冷えとした美しい目で射抜く。

「これから、きみには罪滅ぼしのチャンスをやろう。この一夜の間に、我々の行き先をお前が喋ったという子どもを探し出し、始末してくること。……簡単だろう?」

「ひっ」

「返事は?」

「あ……、はいっ。今出ます!」

「期待しているよ」

 バタバタと洞穴を飛び出して行った青年を見送り、イザードは瞑目した。

 夜風を感じ立ち尽くしていたイザードの背に、何者かの気配が触れる。

「兄貴」

「ジスターか。どうかしたのか?」

「いや……」

 振り返り、イザードは相好を崩した。先程までの怜悧な表情は影を潜め、表に見えるのは彼の人懐っこい笑みだけだ。

 ジスターは逡巡を見せたが、軽く息をついてから口を開く。

「そろそろ定期連絡ミーティングの時間だから、呼びに来た。さっき出て行ったのは、兄貴が懸念していた?」

「そう。我々サーカス団は、神出鬼没。お客様への最初の楽しみを、あの団員は台無しにしそうになっている。だから、逆転の機会を与えただけだよ」

「もし、うまくいかなかったら?」

「その時は、今までと同じことだよ」

 にこりと微笑んだイザードは、自らの右手を開いてジスターに見せた。彼の手のひらからは、不定形の泡が幾つも浮かび上がる。それはどれも美しいが、決して透明ではない。

「紫に象徴される、我が魔力。幼い頃は気味が悪いと敬遠されたものだが、使いこなせば悪いものではない。……世界の何処かでこの力を人工的に創り出した者がいると言うが、わたしの魔力は天から授かったものだ」

「……」

「あの団員が無事に帰ることを祈ろう。――さあ、ミーティングに向かおうか」

「はい」

 身を翻した兄を追い、ジスターは洞穴の外へと出た。既に満月が見上げる場所にあり、彼らを見下ろしている。

「……私たちは、『世界を手にする者たち』。目的のため、利用出来るモノは全て使う。ただ、それだけだよ」

 ジスターの呟きは、夜の風がさらって消えた。



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