第477話 歌声
ゼシアナが大きく息を吸う。そして、彼女の喉から歌声が生まれた。何処からか楽器の音が聞こえ、彼女の歌と並び流れる。
「――――っ」
何処か、異国の言葉だろうか。少なくともソディリスラの共用語ではないなと唯文が考えていた時、誰かに袖を引かれた。驚き目を向ければ、それの手の主はユキだ。
「みんな、聞いて」
ユキの真剣な顔に、三人は思わず頷く。周りの観客は皆ゼシアナの歌に魅了され、こちらの動きに気付いていない。
声を低くして、ユキは三人と肩を寄せ合った。
「今から、ここを出よう。このままじゃ危ない気がする」
「危ない? どう言うことだ」
唯文の問いに、ユキは一瞬の迷いを見せた後に眉をひそめた。
「あの歌声、魔力が強過ぎる。何かしらの意図がある可能性があるよ」
「だったら……」
春直がそっと会場を見渡すと、トイレ等のためにいつでも出入り出来るゲートを見付けた。彼ら四人もそこから入ってきた出入口だ。
「あそこから出よう。幸い、ぼくらは通路側だし」
「だね。子どものぼくらなら、いつ立ち上がってもおかしくないし」
ユーギも賛同し、四人は頷き合う。
ユキの提案で極力歌を耳に入れないようにしながら、そっと移動する。獣人である三人は耳を畳み、ユキは手で耳を塞ぐ。
出入口の前まで行くと、警備員が不思議そうに首を傾げた。
「おや、もう出るのかい? この歌が終われば終演だよ」
「ちょっと……トイレに行きたくてっ」
もじもじとして顔を伏せ、ユーギが耳を垂らす。迫真の演技に、警備員は騙された。
「それはいけない。トイレはここを出て右だよ」
「ありがとうございます!」
もう漏れそう。そうとでも言いたげに急いで頭を下げたユーギは、三人と共に通路へ出る。幸い、トイレの方向はテントの出入口と同じだ。
四人はトイレの横を通り過ぎ、競うようにしてテントを飛び出した。後ろからは強い魔力を含んだ歌声が追いかけてきたが、振り切って建物の影に隠れる。
春直が壁に手をつき、息を整えようとして咳き込む。
「──っはぁ、はぁ」
「こんなに、走ったの、久し振りっ」
「おれたちだけみたいだな、出たの」
「そうだと、思う。だってあの歌に、人を魅了する力も働いてた」
「よくわかったな、ユキ」
冷静に分析するユキに、唯文が驚く。そんな彼を見て、ユキは苦笑をにじませた。
「……ダクトと一体化してた影響か、魔力には敏感なんだ」
「そうか」
唯文はそれ以上追及せず、ざわざわと賑やかになってきたサーカスのテントの方を覗き込んだ。すると、公演を観終わったらしい観客たちがぞろぞろとテントから出てくるところだった。
「面白かったね、ママ」
「あの綱渡り、ヒヤヒヤものだったな~」
「水の輪っかを通る芸、とっても綺麗だった!」
「歌姫、美しい人だったな……」
様々な感想が飛び交うが、そこに不審な点はない。子どもも大人も老人も、老若男女問わず、どの人も「満足」と顔に書いてある。
唯文と一緒に表を覗いていたユーギは、くいっと首を捻った。
「特に、変なところはないけど?」
「ああ。でも……漠然とした何かを感じる」
「何かって?」
「わからないけど……。帰ったら、団長たちに相談しよう」
ユーギに問われても答えられなかった唯文は、そう結論付けて帰宅を選択した。それに否を唱える者は誰もいなかったが、ユキは胸の辺りをさすっている。
「ユキ? 胸が痛いのか?」
「何処かにぶつけた?」
「人に酔ったかな?」
「大丈夫、だと思う。何かあったら言うから」
三人三様に問われ、ユキは笑った。
そんなユキを見詰め、唯文は「わかった」と口にする。そして、リドアスへ帰るために裏道を歩き出した。
同じ頃、サーカスのテントの中。
ゼシアナが喉を潤すために水を飲んでいると、イザードがひょっこりと現れる。
「やあ、ゼシアナ。いつも通り、素晴らしい歌声だったよ」
「ありがとうございます、イザード様。
「十二分に」
満足げなイザードの言葉に、ゼシアナはほっと胸を撫で下ろす。そして、近くで道具の手入れをしていた猫人の女に声をかけた。
「貴女のお蔭で、無事に目的を達せられたわ。感謝します、
「イザード様の為だから」
ツンッとすましながらも、表情は艶かしく喜びに満ちている。夏姫は受付嬢であり、綱渡りを魅せるピエロでもあるのだ。
夏姫はピエロの衣装を脱ぎ、普段の胸の谷間を強調したシンプルなドレスを身に付けていた。女性らしさを強調した衣服は、彼女が好んで選んでいる。
「きみの力もあって、経過は上々だ」
イザードに褒められ、夏姫は微笑むと彼に垂れかかった。
「イザード様ぁ? この町での『布教』はもう良いの?」
「ああ。……次に進もう。あまりここに居座ると、気づかれてしまうかもしれないからね」
「はぁい」
本物の猫のように喉元を撫でられ、夏姫は喉を鳴らす。そして語尾にハートマークが付きそうな声で返事をすると、若干引き気味に様子を見ていた青年をねめつけた。
「何よ?」
「何も」
サーカスで獣と共に曲芸を披露していた青年は、その獣の鬣を撫でながら呟くだけだ。
いつものような閉演後のひとときに、イザードは目元を緩ませる。
その時、他のテントを畳んでいた一団のうちから、屈強な青年がこちらに向かって駆けて来た。彼は夏姫と共に綱渡りを披露したピエロ、猫人のシエールである。
「団長、そろそろこのテントも畳むぜ」
「わかった。では諸君、そろそろ支度に取り掛かろう」
イザードの号令を受け、各人が動き始めた。
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