魅惑のサーカス
第475話 満員の観客席
翌日。ユーギたち年少組は、朝からうきうきと浮き足立っていた。普段比較的クールな唯文でさえ、時々鼻歌を歌っているのだから。
「お前ら、凄い人の数らしいからはぐれるなよ?」
「克臣さん、心配しすぎ! 大丈夫だよ」
「大丈夫だとは思ってるけどな」
朝食後、後片付けをするユーギに向かって克臣が苦笑気味に注意喚起した。しかし、両手を腰にあてるユーギに胸を張られてしまった。
ピョコピョコ動くユーギの耳が忙しない。
ユーギの洗う皿を引き取り布巾で拭いていた春直は、二人の応酬を見て小さな笑い声を上げた。
「ふふっ。克臣さん、ユーギは昨日から楽しみで寝られなかったみたいなので、勘弁してあげて下さい。ぼくらもいますし、夕方には帰ってきます」
「春直、ばらすなよ!」
「全員感付いてるから問題ないだろ。お前とユキが分かりやす過ぎる」
「むーっ」
春直の暴露に慌てたユーギは彼の口を塞ごうと手を伸ばすが、その手を唯文に掴まれ苦笑されてしまう。頬を膨らませたユーギに、丁度食事を終えたジェイスが笑いかけた。
「素直で良いじゃないか。楽しんでおいで」
「うん!」
くるくると変わるユーギの表情は、年齢よりも幼く見える。しかし彼も他の三人と同じく、ただの少年ではない。
克臣もジェイスも、ユーギたちがか弱くないことは身をもって知っている。しかしそれでも、可愛い後輩のことは心配なのだ。
「サーカスの開演は何時?」
「午後一時からです。だから、外に出ている屋台でお昼を食べて行こうって話してました」
食器の片付けを請け負っていた晶穂が問うと、皿を手渡しながら春直が答える。
昨晩ユキの部屋に集まり、一日のスケジュールを決めた。午前中はそれぞれに過ごし、正午に玄関ホールへ集合。それからアラストへ繰り出そうという算段だ。
目をキラキラさせながら語る春直に、晶穂の気持ちも明るくなる。
「わたしも、みんなの感想楽しみにしてるから」
「はい。詳しく話せるように、全部覚えて帰りますね」
「うん、待ってるね」
使った食器の片付けを終えると、丁度テーブルを拭き終えたユキとリンが台所にやって来る。ユキは兄から台拭きを引ったくると、それを持ってシンクへとやって来た。台拭きを洗うのかと思いきや、何故かユキは晶穂の顔をじっと見上げる。
「どうしたの、ユキ……?」
「晶穂さん、なんか兄さんが変なんだけど、何か知ってる?」
「えっ!?」
ユキの質問に、晶穂は咄嗟に答えることが出来なかった。思わず顔を上げれば、少し離れた所に立つリンと目が合う。
「――っ」
「……っ」
二人は互いの顔を見た途端、思い切り視線を逸らす。その行為が露骨過ぎ、その場にいた全員が『何かあった』ことを察した。勿論、質問したユキも同様である。
ニヤニヤと歯を見せて笑うと、兄を振り返った。
「あー、成程。何となくわかったぁ」
「……頼むから、そんな顔するな」
「兄さんのその顔、説得力皆無だよ」
ケラケラと笑うと、ユキはそれ以上言及せずに年少組と連れ立って食堂を出て行った。去り際、ユキはリンの背中を小突いて行く。突然のことで別のことに気を取られていたリンは、一歩前に出ざるを得なくなった。
「おい、ユキ。まっ……」
「残念だったね、リン。逃げられたな……くくっ」
「ジェイスさん、笑い声が堪えられてないんですけど」
ユキを呼び止められなかったリンに肩に手を置いたジェイスは、肩を震わせた。それを指摘しつつも、リンの意識は台所でわたわたしながらも作業を続ける晶穂に向けられる。
二人に何があったのか克臣とジェイスが知るのは、それから十分後のこと。
食堂を出て行った年少組は、そのまま別れて正午前に玄関ホールへ集合した。
「よし、行こうか」
全員の顔を確認し、唯文が号令をかける。四人で拳を振り上げ、一斉にアラストの町へと繰り出していく。
「わあっ、人だらけだ!」
ユーギの歓声の通り、アラストの町は人でごった返していた。
普段の町で見る人数の倍以上は通行人がいる。四人でその人波を縫いながら進むと、広場に出た。その広場の大半を覆うような形で、見たこともない鮮やかな赤色のテントが張られている。
テントの前には人だかりが出来ており、当日券を買う人の列も長く伸びる。並ぶのは退屈だろうに、その誰もがワクワクと楽しそうな顔だ。
「みんな、ぼくらと同じみたいだね」
「だな。何が起こるのか楽しみっていう顔だ」
春直と唯文が言い合い、四人は事前に商店街の福引で当てていたサーカスの入場券を受付で見せる。
受付にいたのは、妖艶な雰囲気を持つ猫人の女性だ。彼女はチケットを受け取ると、美しく微笑んで半券を唯文に返す。
「楽しんで行ってね、坊やたち」
「はい、ありがとうございます」
ぺこりと行儀よく挨拶し唯文たちが立ち去ると、女性は別の女性と役割を交代する。そして近くの壁に背中を預け、じっと年少組の背中を見詰めていた。
そんなこととはつゆ知らず、テントの中に一番乗りしたユーギは、その規模の大きさに歓声を上げた。
「おっきいっ! 広い!」
「ユーギ、他のお客さんもいるだろ」
ユーギに注意しながらも、唯文は誰もこちらのことなど気にしていないことに気付いた。誰もが自分の席でテント内やパンフレットを凝視し、一緒に来た友人や家族とのおしゃべりに夢中だ。
「唯文兄、こっちがぼくらの席みたい」
先に進んでいた春直が、三人を手招く。年少組の指定席は、どうやら中央のステージの真ん前の特等席だ。
通路側から、唯文・ユキ・ユーギ・春直の順に座る。春直の隣の席には家族連れが座っており、小さな男の子が身を乗り出して楽しそうに笑っていた。
「満員だね」
「うん。何が起こるんだろ、楽しみ!」
ぐるっとテントの中を見回したユキが言い、ユーギが満面の笑みを見せる。
そうしてお喋りをしていると、開演時間になったのだろう。急にテント内の照明が消え、ステージの真ん中にスポットライトがあたった。
観客が固唾を呑んで見守る中、ライトの下に銀色の長い髪を揺らす人影が現れる。容貌は中性的で、男女どちらかは見た目からはわからない。
シルクハットを被り、燕尾服に似た服を着こなすその人は、会場全体を見渡して声を張り上げた。聞いていて気持ちの良い、低音の声が響き渡る。
「こんにちは、お客様方。今日は
盛大な拍手を受け、その人はくいっと唇の端を吊り上げた。
「わたくしの名は、イザード・ベシア。このサーカスを率いる支配人でございます」
支配人イザードの挨拶を受け、テント内を割れんばかりの拍手が響き渡る。その拍手に手を振って応え、イザードはスポットライトの外へと下がっていった。
これから始まる。誰もがそう思った時、突如会場が明るくなった。
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