第474話 それが何であっても
「『じきに、呪いが起こる。お前たちは試される』か。不穏な言葉だな」
中庭のベンチに腰掛け、リンは腕を組んで天を仰いだ。隣には膝の上で拳を握り締めたユーギが座り、頷く。
「そうなんだ。怖くなって、団長たちには話しておこうと思って。……ねえ、呪いって何なんだろう?」
「呪い……」
ユーギの声が震えている。本当に、老婆から囁かれた時は恐ろしかったのだろう。傍に立っていた晶穂がユーギの頭を撫でると、ペタンと垂れていた耳が少しだけ立った。
その様子を横目に、リンはジェイスから聞いた銀の華に対する感情の良くない連中についても合わせて考えていた。銀の華にとって良くない風が吹き始めている、そう感じられる。
(でも、これは確かな話じゃない。まずは情報を集め、何が正しくて何が間違っているのか判断しないとな。……何より)
リンは、そっと自分の周りにいる仲間たちに目を向ける。自分自身で守りたいと願う、大切な人たちだ。
「正直、呪いが何なのかは俺にもわからない。ただ俺たちを怯えさせたいだけの狂言という可能性もある。俺も調べてみるから。そんな顔するなよ、ユーギ」
「そうだよ、ユーギ。貴方の心配事は、わたしたちにも共有された。だから、もう一人で怖がらなくて良いの。わたしたちなら、絶対大丈夫だから。試されるというのなら、今までだって何度も乗り越えてきたでしょう?」
「団長、晶穂さん……」
左右からリンと晶穂に励まされ、ユーギは新たに目を潤ませる。そしてゴシゴシと目元を袖で拭うと、にっこりと微笑んだ。
「ありがと、元気出た。必要以上に心配しても、敵の思う壺だもんね? ぼくは、もう独りじゃないんだ」
「そういうことだ。ほら、明日は四人でサーカスを見に行くんだろ? 俺も見に行ったことはないから、どんな風だったのか、帰ってきたら詳しく教えてくれ」
「わかった。任せて!」
パッと顔を明るくしたユーギを見て、唯文たち年少組が明らかにほっとした表情をする。一緒に行動することの多い四人は、互いのことを大事な友だちだと思っている。だからこそ、誰か一人が悲しむ思いをさせたくないのだ。
ユーギの後ろに立っていたユキが、ベンチの背から身を乗り出す。
「ユーギ、夕食まで森に行こう! 頭使ったし、兄さんみたいに鍛練するんだ!」
「良いね! 絶対負けないよ」
グイグイとユキに腕を引かれ、ユーギはガッツポーズを作って立ち上がる。彼らが走っていくのを見て、春直と唯文は苦笑し合った。
「なら、ぼくも。……ちょっと本気出す」
「おれも負けてられないな。──じゃあお二人共、お邪魔しました」
「また後で」
そう行儀よく挨拶すると、先に行くユキたちを追って行く。二人は年少組の中でも大人しい少年たちだが、こういうところは年相応だ。
リンは四人が中庭からいなくなり足音も遠ざかったことを確かめ、ほっと息をついた。
「行った、か」
「よかったね。ユーギ、元気になってくれて」
「ああ」
「……リン?」
晶穂はベンチの前へと回り込み、難しい顔をして考え込むリンの顔を覗き込む。何処か遠くを見詰めて考え事をしていたリンは、ふと顔を上げると目を見張った。
「──うわぁっ」
「わあっ! って、本当にどうしたの?」
まさかリンに本気で驚かれるとは思わず、晶穂も声を上げてしまう。しかし、リンが眉間にしわを寄せたのを見付け、不安げに眉を下げた。
「多分、わたしの知らない何かをリンは知ってるんだよね? それは、わたしが知ってはいけないこと?」
「そうじゃ、ない。ないけど、まだ確かな話ですらない、噂の域を出ない話だ。晶穂を不安にさせたくはない」
「リン……」
頑ななリンに対し、晶穂はじっと彼の目を見詰めた。銀の華に入る前の彼女ならば、ここで引き下がっただろう。
しかし、もう昔の晶穂ではない。幾つもの修羅場を仲間と共に乗り越え、大切な人たちに守られるだけではなく守りたいと願うくらいには自負がある。自惚れではなく、これは彼女の意志だ。
晶穂はリンの手を取ると、優しく包み込むように握る。そして、祈りを籠めるように額をくっつけた。
「わたしも、銀の華の一員だよ。みんなを、リンを助けたいっていつも思ってる。だから、お願い……リンの苦しさも、わたしに分けて?」
「わけて、か。……晶穂、隣に座ってくれないか?」
「え? あ、うん」
リンの求めに応じ、晶穂は彼の手から自分の手を離すと、そっとリンの隣に腰を下ろした。リンは未だに何かを迷っているのか、晶穂と目を合わせようとはしない。
「リン、どうし……っ」
「ごめん」
どうしたの、と問う前に、晶穂の腕が引かれた。そのままリンの胸に落ち、抱き締められる。大切にきゅっと抱き締められ、晶穂の頭はパニックを起こしていた。
「あ、あのっ! だ、誰かに見られ、たらっ」
「ごめん。今は、このまま」
「――っ」
切なげに耳元で聞こえる声。晶穂はリンの低い声に身を震わせ、声が出そうになるのを必死に堪えた。そしてようやく、リンがわずかに震えているのを感じる。
「……」
晶穂はそっとリンの背中に腕を回すと、優しくさすった。自分に何が出来るのかはわからなかったが、晶穂はリンが自ら話してくれるのを待つ。
どれくらいの時間が流れただろうか。晶穂は自分の肩に額をくっつけていたリンが身じろぎをするのに気付き、そっと「リン?」と呟いた。
「……町で、銀の華を追放しようという動きがあるらしい。極一部の者たちだというけれど、そういう噂が立つくらい、目の敵にする人たちがいる。……それが、今無性に辛いんだ」
「うん」
「わかっているんだ。銀の華を全ての人に受け入れてもらうことは出来ないし、全てが敵になることもない。ジェイスさんから聞いて、そういうものだって割り切っている部分もあるんだが、俺もまだまだらしい」
「……うん。でも、わたしはそんな風に辛いって思えるリンが素敵だと思うな」
「どういう、意味だ?」
顔を上げ、戸惑いを見せるリン。晶穂は柔らかく微笑すると、彼の胸に額をくっつけた。
「だって、リンは『銀の華を全ての人に受け入れてもらうことは出来ないし、全てが敵になることもない』って言ったよね? つまり、リンは仲間が
それって、とっても優しい気持ちだと思う。晶穂はそう呟くと、驚き目を丸くするリンを抱き締めた。
自分でも気付いていなかった本心を突かれ、リンは思わず声を上げる。
「おい、晶穂っ」
「もしかしたら、これから辛いこともあるかもしれない。あの予言みたいなことが、嘘か本当かわからないんだから。……でも、それが何であっても、何が相手でも、わたしたちは負けないよ。負けないって信じてる」
「……ふふっ。なんか、晶穂には励まされてばかりだな」
「リン?」
首を傾げた晶穂の腕を解かせ、リンは隣に腰掛ける晶穂の顎に指を触れさせた。自分と目が合うように上を向かせると、扇情的にすら見える晶穂の揺れる瞳に見入られる。真っ赤に染まった晶穂の頬は、熟れた林檎のようだ。
「あの、リ……んふっ!?」
「……ちょっと、口開けて」
「待って、リ……ンッ」
ガクンッと晶穂が背中から崩れ落ちる。彼女の背中を支えたリンの舌は、ほんの僅かの間だけ、晶穂の舌と触れ合う。
その瞬間、晶穂は体に電気のようなものが走ったのを感じた。びくっと体を震わせた晶穂は、リンの唇が離れてからもしばしの間呆然と指で自分の口元に触れていた。
リンは晶穂と同じくらい赤面していたが、ハッと我に返って口を手で覆う。
「これ以上は、歯止め利かなくなるな……」
「~~~っ、リ、リン!? 今の」
「どうしても、したくなって……。悪い」
茹でだこのように真っ赤になった晶穂が言葉に詰まるのを見て、リンは自分がしようとしていたことを思い出す。思わず立ち上がり、混乱のままに立ち去ろうとしたリンだが、服の裾を引かれて立ち止まった。
「あ、きほ……?」
「あの……腰抜けたみたい……。き……キス、で」
「――っ。ごめん、部屋まで運ぶ」
ひょいっと晶穂を抱き上げたリンは、彼女が顔を隠すように自分にしがみつくのを感じながら後悔していた。
(俺は、何であんなこと!? ――きっと、克臣さんのせいだ)
昨晩、克臣がニヤニヤしながらリンに恋愛から結婚にかけて変わる触れ合いの段階を何故か話して行ったのだ。
克臣からすれば、あれから半年も経ったのに何をしているのかとけしかけたかっただけ。しかしリンには、その話題は早過ぎた。
自分の自然な行為を兄貴分のせいにして、リンは暴れる心臓をなだめすかしながら、晶穂を彼女の部屋に連れて行ったのだった。
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