第473話 中庭鍛錬
ジェイスが部屋を出てから数分後、リンは一人リドアスの中庭で剣を振っていた。陽の光は頭上より少し傾いた場所に位置し、日毎に柔らかくなる光が紅葉を始めた庭を照らす。
リンは黙々と素振りを繰り返していたが、突然背後から何かが高速で迫っていることに気付き、すんでの所で体をよじって躱す。彼の傍を通り過ぎた光の弾は傍の低木にあたると、四散して木の幹に浅い穴を開けた。
「……何するんだ、シン」
「へへっ、よくボクだってわかったね? 気配は消したはずなのになぁ?」
「あんな剛速球、気付くなと言う方が無理があるんだけど」
仕方がないな、とリンは肩を竦める。彼の視線の先にいたのは、小さな龍のシンだった。
シンはリンの指で顎を撫でられ、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らす。それに満足すると、スイッとリンの手を離れて距離を取り、好戦的に目を細めた。
「鍛練してたんでしょ? なら、ボクが相手になってあげる!」
「祠を守る役目に飽きたか? ……ふふっ、そうだな。時にはお前と一戦交えるのも悪くないか」
「じゃ、いっくよー!」
号令をかけると同時に、シンの魔力が跳ね上がる。歯の間から炎が噴き出したかと思うと、真っ赤な炎がシンの口から吐き出された。
「ばか、庭が燃える!」
延焼を危惧したリンは、剣に魔力を籠めて横凪ぎにした。炎が地面に届く前に斬って霧散させたのだ。
火の粉も全て斬り裂き火を消したリンに、シンは「ピュイッ」と鳴き声を上げた。口笛を吹いた、と言っても差支えない。
「やるぅ」
「マジで燃やす気だっただろ、お前……。今度は俺から行く!」
リンは嘆息すると、手にしていた剣を構え直す。地面を蹴り、一気に加速する。シンの顔面で寸止めするつもりで振り下ろしたが、それよりも速く、シンがリンの鳩尾にタックルをかました。
「――っ、けほっ」
「スピードじゃ、ボクには敵わないよ?」
「だろうな」
捕まる前に素早く逃げ出したシンを見上げ、リンは苦笑する。
シンは、ソディリスラ大陸の中央部より南側に位置する大樹の森に封じられていた龍である。その姿は少し大きなぬいぐるみ程度だが、本来の姿は体長十メートルを超える巨大龍。その魔力の大きさから住民たちに恐れられ、大昔に封印されていた。
シンの封印を解き、名を付けたのはこの場にいない晶穂だ。それ以来、銀の華の仲間としてリドアスに住み着いている。
(だからって、真剣勝負で手加減はしない!)
先程まで寸止めの予定だったが、リンはそれを百八十度変更した。大人げないが、この小さな龍は齢何百年の大先輩だ。本気でやらなければならないだろう。
リンは腹をくくり、シンも可愛らしい大きな目を細め、一層魔力に磨きをかける。二つの魔力がぶつかる瞬間、リンの目の前で何かがぶれた。
そのぶれたものが急旋回して進む方向を変えたシンだと知ったのは、すぐ後である。
「え……。うおっ!?」
「きゃっ」
聞き馴染んだ声がして、シンが彼女の胸に飛び込んでいく。いつの間に開けられたのか、リドアス館内側の窓が一つ、全開にされていた。
ぎりぎりのところで庭の地面を割りかけたリンは、剣を引き足を踏ん張ってそれを力業で止めた。「おい」と怒りを籠めてシンの姿を探したリンは、彼が何処にいるのかを知って硬直した。
窓の内側、リドアスの廊下に晶穂がこちらを見詰めて立ち尽くしている。
「……晶穂」
「あの、リン、そのっ」
「わーい、晶穂! いつから見てたの!?」
「えと……」
無邪気なシンの問いかけに応じられず、晶穂はじゃれついて来る彼を抱き、真っ赤に染まった顔をリンから隠すように顔の前に上げる。シンはリンと顔を合わせることになり、不思議そうな顔で首を傾げた。背中越しに晶穂を見る。
「晶穂~?」
「ごめん、シン。ちょっと待って」
「ええっ?」
不満げに頬を膨らませるシンが文句を言うが、晶穂はシンを下ろす気配がない。
晶穂はシンを盾にしながら、バクバクとおさまらない心臓の音を鎮めようと躍起になっていた。半年前の一件以来、リンのことが今まで以上に格好良く見えてたまらない気持ちになる。
「……」
リンもまた、不意打ちを喰らって晶穂と目を合わせられる状況になかった。シンとの鍛錬に夢中で周りが全く見えていなかったことも不覚であるし、更に晶穂にそれを見られていたと思うと、顔から火が出そうになる。
そしてあの模擬結婚式以来、何となくお互いに顔を合わせるのが恥ずかしい。半年も経つのだから長すぎると克臣たちには笑われるが、リンはどうしてもあの時の晶穂の純白ドレス姿が忘れられずに照れが先行してしまう。
深呼吸を繰り返してようやく落ち着いたリンは、未だに顔を見せない晶穂をシン越しに見た。何となく、静かにしているシンの顔がにやついているのは気のせいか。
「……晶穂、いつからそこに?」
「…………リ、リンとシンが戦い始めたくらい、から。図書館に行く途中だったんだけど、音が聞えて来たから窓越しに見てたの。そうしたら、シンが」
「シンが飛び込んで来たってわけか」
シンに目を移すと、彼は「えへへ」と悪気なく笑う。そして身をよじると、晶穂の手から逃げ出した。
「あ、シン!」
「リン、鍛錬楽しかった! またやろうね。晶穂もまたね!」
「え? あ、ああ」
手を伸ばす晶穂の指をすり抜け、シンはニコニコ笑いながら飛び去って行った。
「……」
「……」
突然二人きりにされたリンと晶穂は、何を言って良いかもわからずに顔を見合わせるしかない。
「「あのっ」」
「「あ、ごめん」」
「……」
「……ふっ」
「ふふっ」
さざ波のような笑い声は、徐々に大きくなっていく。いつしか涙目になるほど笑っていた二人は、顔を見合わせ再び小さく微笑んだ。
「まさか、あんなにハモるとは思わなかったな」
「本当に。でも、楽しそうだったから声かけられなくて」
「そんなにか?」
「うん。本気でシンと戦ってて、でもお互いぎりぎりのところを探っていて。……悪いかなって思ったんだけど、見惚れてた」
「……そう、か」
晶穂の言葉がこそばゆく、リンはふいっと目を逸らした。
そんな彼の照れた顔を可愛く思えてしまい、晶穂は一歩だけリンに近付いた。たった一歩だが、リンの顔がそれだけ近くなる。胸の奥が痛い程鳴った。
「あ、きほ?」
「あのね、リン。わたし……」
晶穂が胸に手を当てながら口を開けた、丁度その時。
「あ、団長!」
「兄さん、やっぱりここに……って」
「あ、すみません。邪魔しましたか?」
「お前ら、わかっててやってるだろ」
突然、年少組が中庭に乱入してきた。ビクッと体を震わせたリンと晶穂は、顔を赤くしたままゆっくりと彼らの方を向く。すると、年少組は肩を竦め唯文を含め、してやったりというニヤつき顔だった。
「こほん。――お前ら、何か用か?」
咳払いをして誤魔化したリンが、傍に寄って来たユキに尋ねる。
兄の問いに頷いたユキは、春直たち三人に目で確認を取ると、一転して真剣な面持ちに変わった。
「あのね、ユーギが町で変なこと言われて来たみたいなんだ」
「変なこと? 何があったんだ、ユーギ」
弟の口ぶりに危機感を感じ、リンは顔の赤みを消す。真面目な顔でユーギに目を移すと、彼は頷いて話し始めた。
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