第471話 何処かで予感が
神庭とスカドゥラ王国の一件が落ち着いてから半年後、季節は秋。十一月に差し掛かっていた。
あの頃の忙しさと危機が嘘のように、リドアスでの時間は穏やかに過ぎていく。
リンはいつものように書類整理を終わらせると、うーんと伸びをした。時計を見れば仕事を始めてから数時間が経っており、どうりで肩が痛いはずだと苦笑する。
その時、廊下側から戸がノックされた。
「リン、ちょっと良いかい?」
「ジェイスさんですか? どうぞ、丁度一段落ついたところです」
「お邪魔するよ」
丁寧に戸を開けたのは、リンの血の繋がらない兄・ジェイスだ。銀髪を後頭部で括り、聡明な光を持つ黄色の瞳をリンへと向けて微笑む。
「書類の山だね、リン。お疲れ様」
「なんとか終わりましたよ、ジェイスさん。まあ最近はユキたちも休みの日には手伝ってくれますから、そこまでの負担ではなくなりましたが」
リンの言葉を受け、ジェイスはくすくすと笑う。先週末、リンの仕事を手伝っていたユキたち年少組が、書類をばらまいていたことを思い出したのだ。
「そうだね。……ああ、そうだ。リン、これに目を通しておいてくれるかな?」
「追加の書類ですか?」
「噂程度で済む話だと思うんだけど、ね」
「?」
言葉を詰まらせるジェイスに首を傾げ、リンは彼から受け取った数枚の紙に目を通す。文字を追う毎に、リンの視線が険しくなった。
「これは……噂の域を出ないんですよね?」
「ああ、今はね。ただ、受け入れてくれる人々ばかりではない、ということだ」
ジェイスが書類を受け取り、悲しげな顔をした。
書類には、商店街のとある店主から銀の華を心配する内容が書かれている。銀の華のこれまでの功績を疎み、アラストから追い出せと叫ぶ者たちがいることを報告するものだ。
銀の華は、自警団である。本来の仕事はアラストの町の安全を守ることだが、銀の華の行動範囲はそれだけにとどまらない。時には国さえ越え、世界さえ超えて戦い続けてきた。
戦う目的は、主に仲間のためだ。それが意図とは反対に、守るべき町の人々からの反感に繋がっているならば悲しい。
リンは痛みを堪える顔をして、それから肩を竦める。
「全ての人に好かれることはありません。反対に、全ての人に嫌われることもない。……現に、これを送って下さった人は、俺たちを心配して下さったんですから」
「そうだね。そして、リンの味方はここにもいる」
ジェイスが自分を指差し、微笑む。
「銀の華は、皆が皆のことを大切に思うからこそ存在する自警団だ。だから、何があっても大丈夫」
「はい。……これまでだって、何度も危機を乗り越えてきましたから」
「その意気だ」
ぽすっとリンの頭の上に何かが置かれる。それがジェイスの手だと彼が気付くより早く、ジェイスは弟の頭を優しく撫でた。
「子ども扱いしないで下さいよ」
「私にとっては、大切な弟分だからね。よく頑張っているから、撫でたいんだよ」
「……」
大人しく髪を乱されていたリンに、満足したジェイスが最後にぽんぽんと軽く頭をたたく。
「じゃあ、私はまた別の仕事をしてくるよ。リンもあまり根を詰めないようにね」
「はい、ありがとうございます」
パタン、と戸が閉まる。
リンはジェイスの足音が遠ざかる音を聞きながら、剣の鍛練をしようかと椅子から立ち上がった。
「ジェイス」
廊下を歩いていたジェイスを、後ろから呼び止める声がある。振り返ると、そこには一仕事終えたのか汗だくの克臣の姿があった。
「克臣、お疲れ。屋根の修理は終わったのか?」
「ああ。一昨日の強風で屋根が飛んだと聞いた時は驚いたが、あの店がなくなっては困るからな。唯文とユーギに手伝わせて終わらせたよ」
「彼らは?」
「風呂」
克臣の言う唯文とユーギとは、銀の華のメンバーだ。四人組のうちの二人であり、ユキと春直を加えれば、年少組が完成する。
年少組はリンたち年長組を助ける存在であり、時には彼らだけで問題を解決出来るほどの力と経験を持ち合わせているのだ。先日のように、手伝うはずが仕事を増やしてしまうこともあるが。
「そう。唯文のおじいさんも喜んで下さっただろう?」
「まあな。次に買い物に来た時はまけてくれるって言ってた」
「それは有り難い」
唯文の祖父が営むのは、銀の華御用達の文具店・
「そろそろ、あいつらも風呂から出たかな? ジェイス、俺も……」
「克臣、その前に訊きたいことがある」
「……あの噂か?」
ジェイスの言葉に勘づいたのか、克臣の目が細く鋭くなる。三白眼の彼の目は、それだけで迫力を増す。
しかしジェイスは幼い頃から慣れっこだ。淡々と頷き、話を進める。
「そうだ。出どころはわかるか? 商店街の店主とは書いてあるが、差出人の名前が書かれていないんだよ」
「残念だが、俺も知らない。少し、時間をくれないか?」
「わかった。私の方でも調べてみよう」
「そうしてくれ。──さて」
深刻な話は終わりだと言わんばかりに、克臣がいつもの笑みを浮かべてジェイスの背を叩いた。パンッと乾いた音が鳴る。
ジェイスは目を丸くした後、ジト目で克臣を見詰めた。
「痛いんだけど?」
「辛気臭い顔すんな。俺たちがそんな顔してたら、子どもたちが不安がるだろ? こういうのは、さっさと裏で片付けるのが吉だぜ」
「そう、だな。表ではいつも通りにしておこうか」
「それが良い」
カカッと笑い、克臣がジェイスに背を向ける。風呂場の方でバタバタと走る音がしたから、年少組が風呂からあがったのだろう。その後に汗を流すつもりだ。
無二の友を見送り、ジェイスは壁に肩を預けた。ふむ、と考える素振りを見せて、彼自身も廊下を反対方向へ歩いていく。
(町に行ってみようか)
アラストの様子を見れば、何かわかるかもしれない。この胸の奥の嫌な予感の意味が。
玄関ホールで出会った春直に出掛ける旨を伝え、ジェイスは外へ出た。
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