誓いの言葉
玄関の扉の前で待機するように命じられたリンは、ユキと春直によって開かれた扉を振り返った。
「……っ、晶穂」
リンは、玄関から出て来た晶穂を見て、言葉を失った。
「リ、ン……?」
光に慣れた晶穂が目を開き、そっとリンを見上げる。そして、彼女の目が大きく開かれた。
リンの格好は、白を基調として濃い青を襟やパンツの色としたスーツだ。藍色のネクタイと胸元には銀色の花をあしらった刺繍が入っていて、よく似合っている。
対する晶穂は、同じく白を基調としたウエディングドレスだ。基本は膝上丈のフリルスカートだが、腰から背後を包むように半透明の布が広がっている。胸元は谷間が見える程度には開き、首元には銀色の花をモチーフとしたネックレスが輝く。緩く巻いた髪を覆うベールには白い花の飾りがカチューシャ状についていて、晶穂の可愛らしさを更に引き立てている。
(な、何だこれっ)
これまでにないほどに、リンの心臓が暴走していた。理性の手綱が緩みそうになり、慌てて引き締めなければならないほどの動揺だ。
周りから囃し立てる声が聞こえているが、それが遠退いていくようにすら感じられる。
(え、ど、どうしたらっ)
リンと同じく、晶穂も混乱と恥ずかしさでおかしくなりそうだった。目の前で自分を見詰めるリンのかっこよさに、心臓が止まりそうな程だ。
助けを求めようにも、晶穂はリンから目を離せない。のぼせたような感覚が、彼女を支配しつつあった。
「おい、二人共。こっちに来いよ」
硬直してしまった二人を呼ぶのは、苦笑する神父役の克臣だ。近くには
「か、克臣さん」
「そんなにひ弱な雛みたいな顔すんなって。二人で手を繋いで、ここまで歩いて来い」
事も無げに言われてしまい、リンと晶穂は互いの手にそっと触れた。そしてキュッと握ると、ゆっくりとした足取りで克臣の待つ前まで進む。
そこはまるで、小さな結婚式場のようだった。
リドアスの玄関先は様々な色の花束で飾られ、白いテーブルクロスが日の光に輝く。テーブルにはマカロンなどのお菓子が置かれ、花と共に会場を華やかに彩る。
ジェイスや唯文たちは立っていたり座っていたりと好きなようにして、二人を見守っている。更に克臣の後ろには、花々で作られたアーチが置かれていた。
緊張の面持ちで進む二人を見ながら、アルシナはぼそっと呟いた。
「綺麗。いいな、私も……」
「憧れる?」
「……うん。いつかはって、思っちゃうな」
ジェイスに問われ、素直に頷いた。しかし、すぐに悲しそうな顔をする。
魔種よりも寿命の長い竜人であるアルシナは、憧れはするものの諦めが勝っている。それでも、隣にいてくれるこの人と、と願わずにはいられないのだ。
「でも……」
「……わたしは、アルシナと共にいたいから。近いうちにと思うけどな」
「――!」
驚き目を見張ったアルシナが、ジェイス立っているジェイスを見上げる。その瞬間、影が重なった。
「――――ッ、ばか」
「わたしにばかだと言うのは、克臣とアルシナくらいのものだね」
真っ赤になったアルシナにポカポカと叩かれながら、照れたジェイスは笑っている。そこには、平気な顔をし切れていない朱に染まった青年の姿があった。
「―――よし、来たな」
リンと晶穂が目の前に来て、克臣は満足げに頷く。そして手元のカンペを読み上げようとして、リンに小声で止められた。
「あのっ、これってもしかしなくても……」
「唯文たちが説明しただろう? これは、お前たちへのサプライズだ。まだカッコ仮だがな。予行練習だと思え」
「予行……」
「練習って……」
二の句が継げないリンと晶穂の背後から大きな声が聞こえたのは、その時だった。
「兄さん、晶穂さん。ぼくらのサプライズ、驚いてもらえた?」
「ユキ……。やっぱりお前らが」
「そうだよ。だって、兄さんたちに感謝してるからね」
ユキは照れくさそうに笑うと、両手を胸の高さまで挙げた。そして、それぞれ握り締める。目を閉じれば、ダクトに乗っ取られていた頃の曖昧な記憶が蘇る。
「ぼくは、もしかしたらこの世に残っていなかったかもしれない。ダクトに支配され、やがて自我も消えて……。でも兄さんは見付けて、連れ戻してくれた。その後も自分のことは二の次にして、たくさん戦ってきたよね? 今回のサプライズ、企画立案はぼくだけど、みんなすぐに協力してくれたんだ」
ね、とユキは仲間たちを見回す。すると唯文や春直、ユーギが頷いた。
「おれは団長に憧れて日本を目指したけど、天也を帰すことが出来たのは、団長たちがいてくれたからです」
「ぼくは、孤独から救われました。一緒にいてくれる人がいるって、こんなにも心強いことなんだってわかって、自分と向き合うことが出来たんです」
「村が狩人に襲われた後、一緒に家族を助けてくれてありがとう。ぼくにとって、二人は恩人で、大好きな人たちだよ」
「唯文、春直、ユーギ……」
年少組の素直な気持ちは、リンの心に響く。彼らはいつも誰かの為にと動く二人を驚かせ喜ばせようと、随分前から計画を練っていたらしい。
「神庭の件がある前から、相談されていたからね」
そう言ったのはジェイスだ。彼はふふっと微笑みながら、リンと晶穂を見やって頷く。アルシナはまだ体の熱が取れないのか、手をパタパタとさせている。
「きみたちは、ずっと戦ってきた。その結果が、この時に繋がっているんだと思えばいいと思うよ。な、克臣」
「ああ。頑張り過ぎたから、少しぐらいいちゃついても、誰も文句は言わないさ。それに、本当の結婚式は、その時にもっと準備万端でやってやるから楽しみにしとけ」
「ジェイスさん、克臣さん……」
二人の気持ちが嬉しくて、晶穂は瞳を潤ませる。彼らはずっと晶穂たちを見守り、時に叱りながら共に歩いてくれた。きっと、今後も同じだろう。
「泣くなよ、晶穂? ここからがメインなんだからな」
そう笑った克臣は、それ以上の異論は認めずにお決まりの台詞を並べていく。
「……汝、リンは、晶穂を病める時も健やかなる時も、愛し続けることを誓いますか?」
「―――ッ」
言葉に詰まり、リンは晶穂を見る。彼女の瞳が潤み、まだ戸惑っているのが見て取れた。そして晶穂と自分が何を望んでいるのかも、わかってしまった。
リンは呼吸を整え、真っ直ぐに晶穂を見詰める。答えは決まっているじゃないか、と覚悟を決めた。
「誓います。俺は、晶穂を誰よりも愛しています」
「ッ、リン……」
式場内のざわめきが、大きく賑やかになる。口笛や囃し声が響くが、リンを見詰める晶穂には、それらは全て聞こえていない。早鐘を打つ胸が破れそうな程痛い。
克臣は内心口笛を吹いて茶々でも入れてやりたかったが、真剣に告白したリンには遠慮した。その代わり、これ以上ない程に赤面している晶穂にも尋ねてやる。笑いを噛み殺すのが辛い。
「では、晶穂。汝はリンを病める時も健やかなる時も、愛し続けることを誓いますか?」
克臣に問われ、晶穂はきゅっと胸の前で両手を握り締める。そして、真っ赤な顔のままで素直な気持ちを言い放った。
「――はい。わたしも、リンのことが誰よりも大好きで……誰よりも愛してますっ」
――おおっ。
外野のボルテージが再び上昇した。拍手と歓声が式場を包み、リンと晶穂を祝福する。
「……」
「……」
渦中にあって、リンと晶穂は互いを直視出来ずにいた。それぞれに相手の告白が響き、恥ずかしさと喜びでどうにもならないのだ。
しかし、最も面白がっている克臣はそんな二人にあの言葉を言い放つ。にやり、と口端が緩むのが止められない。
「では、誓いのキスを」
「「!?」」
同時に克臣を見たリンと晶穂だが、克臣はニヤニヤ笑うだけでそれ以上何も言わない。晶穂は恥ずかしさで目を彷徨わせるが、リンはそっと晶穂のベールに手をかけた。
「え、あの、リン……」
「晶穂、いつか覚えとけよ?」
「リッ……」
明瞭になった視界の中で、リンが何かに耐えるような瞳で晶穂を見ているのが見えた。彼の言葉の意味を問う前に、唇が塞がれる。
それは撫でるように優しくて、熱に浮かされるような触れ合いだった。
「……」
「……」
唇が離れ、晶穂のぼおっとした顔がリンの目に映る。その表情に、リンの中の何かが強烈に刺激される。しかし、リンはそれを全力の理性で鎮めた。
代わりに、晶穂を抱き締める。リンになされるがままだった晶穂だが、遠慮がちに、しかし確かにリンの背に手を回す。
「愛してる、晶穂」
「うん、わたしも。……愛してるよ、リン」
大好きだという気持ちを籠めて、晶穂は言葉を口にする。リンも同じかそれ以上の想いを胸に、決して離さないと誓うように腕に力を籠めた。
雲一つない晴天の空に、銀の花びらが舞う。それは、創造主と姫神からの贈り物だ。それに最初に気付いたユーギが、空を指差す。
花びらが地面に着きかけた時、不意に爽やかな風が吹き上げる。リンと晶穂は抱擁を解き、風にあおられ舞い踊る花びらに包まれた。
―――よかったな。
(……ッ、ケルタ?)
風の中に喪った友の声を聞いた気がして、リンは思わず風に手を伸ばす。近くにいると笑った友の意志を、こんな時に感じることになろうとは。
「……ありがとう」
聞こえるかもわからないが、リンは友に呟く。それを聞いていた晶穂が、そっとリンの手に自分の手を触れさせた。
「晶穂」
「リン、手のひらを見て」
晶穂に言われた通りに伸ばしていた手を引き寄せると、手のひらに五つの花びらを持つ銀色の花が落ちていた。
「銀の華。わたしたちと同じだね」
「ああ。……必ず、守り通してみせる」
大切なものを、護りたい。もう、泣き顔などさせないために。
新たな決意を胸に、リンはちらりと晶穂を見た。晶穂はひらひらと舞う花びらに夢中で、リンに見られていることに気付いていない。
更に周りを見ると、誰もが舞い躍るものに目を奪われていた。
ジェイスはアルシナの髪に付いた花びらをとってやり、克臣は真希と共に明人に花びらを見せてやっている。ユキは一部の花びらを凍らせ、ユーギと春直が落ちて来るそれらを受け止めている。唯文もまた、その様子を見て笑っていた。
サラとエルハは、リンたちに負けず劣らず花びらの中でいちゃついている。一香も、文里も、テッカも、皆こちらを気にしていない。
誰もリンと晶穂に注目などしていない。だからリンは、そっと晶穂に手を伸ばす。
「―――晶穂」
「ん? 何、リン―――!」
晶穂の唇を塞ぎ、リンは彼女をそのまま抱き締めた。今度は一度ではなく、もう一度だけ
唇を離して見詰めていると、リンの腕の中で、晶穂が真っ赤に染まった。その潤んだ瞳に「気分を害したか」と危ぶんだリンだったが、ぎゅっと抱きつかれて反対に平静を失う。
「え、あ、晶穂……」
「お返し。―――リン、だいすきだよ」
その花が咲くような笑みに、リンは晶穂に負けないくらいに赤面した。
「―――ッ」
(必ず、俺から言うから。それまで……待っていてくれ)
白いドレスに身を包んだ愛しいひとを強く抱き締め、リンは固く心に誓う。
銀の華は、扉の向こうに。
ここに
―了―
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