秘密のイベント
食堂には、普段と変わらない景色がある。
リンがざわめく食堂を見渡すと、年少組が集まっているのを見付けた。そして、彼らの傍にはエルハの姿もある。晶穂は食堂の女性に捕まって話しかけられているため、先に向かうことにした。
「ユキ、みんなおはよう。エルハさんと何してるんだ?」
「うわっ! に、兄さんおはよう」
和定食のお盆を持ってリンが近付くと、ユキが驚いてこちらを見上げた。まさかそれほど驚くとは思わず、リンは「すまない」と謝る。
「わるかった。そんなに驚かれるとは思わなかったんだ……って、何広げてるんだ?」
「こ、これは……」
テーブルの上には、食べ終わって空になった皿と共に何かの図面が広げられていた。それが何かを確かめる前に、ユーギが乱暴にそれを引き寄せてしまう。その行為に、リンは不審の目を向ける。
「ユーギ……?」
「あ~。これはさ、今度アラストでやるっていうイベントの地図なんだよ! ぼくらが頼まれて、スタンプラリーをやることになったから、その打ち合わせで……」
確かに、アラストで夏前にイベントをやりたいという話は聞いたことがある。商店街店主の数人から、リンも最近相談されたばかりだ。
「なら別に、隠す必要もないだろ? それに、何でエルハさんと……」
「え、エルハさんは王国でお祭りの計画と実施をしたことがあるって言っていたので、相談に乗ってもらおうと思ったんです!」
「そう、そうなんです。そうしたら、色々話を聞かせてくれたから長くなっちゃって」
「……ふうん? まあ、良いんだけどな」
春直と唯文が異様に焦っているのが気にかかったが、これ以上言及するのも可哀想な気がして、リンは矛先を収めた。とりあえず、どんなことをするのかは当日の楽しみとしておく方が良いのだろう。
ふと見回すと、少し離れたところにジェイスと克臣の姿があった。晶穂もそちらに向かっていたため、リンはその場を離れることにする。
「じゃあ、俺は向こうで食べるよ。あまり根を詰めるなよ? エルハさん、お願いします」
「ああ、任せてよ」
リンがその場を離れてこちらの声が聞こえない距離になったのを見計らい、ユキは長いため息をついた。
「び、びっくりした……」
「ナイスアシストだったな、ユーギ」
「うん、ギリギリセーフ」
「ぐっちゃぐちゃになっちゃったけどね」
唯文と春直に
その紙は、勿論商店街やアラストの地図などではない。リドアスの玄関前の図だ。ただの草地であるはずのそこに、幾つかの四角や丸が描かれている。
年少組の動揺を楽しげに見守っていたエルハは、手元の紅茶をすすって「さて」と仕切り直した。
「時間はもうないからね、最後の詰めをしてしまおうか」
「はい、お願いします」
唯文が軽く頭を下げ、三人もそれに倣った。
幾つかの書類を片付け、自主的に始めた経営や経済の勉強の今日分を終わらせる。リンが椅子に座ったまま伸びをすると、掛け時計が十一時を差した。
「もうこんな時間か……。昼錬、するかな」
昨日は午後から窃盗犯を捕まえたり甘音から送られてきた手紙に返事を書いたりして過ごしたのだが、今日は比較的落ち着いている。誕生日ということもあってか、ジェイスも克臣もリンにあまり仕事を回していないのだ。
誕生日だからといって、ゴロゴロしているのも性に合わない。リンは晶穂に貰った箱に仕舞っていたペンダントを首にかけると、中庭に向かおうと自室の戸を開けた。
「わっ」
「きゃっ」
正確には、開けると目の前に人影があって驚いた。リンは目の前にいた晶穂に、どうかしたのかと尋ねる。
「うん。特にこれといってあるわけじゃないんだけど……。あ、鍛錬?」
「ああ、暇というか手が空いたからな。何なら、晶穂も一緒にするか?」
「そうしよっかな。ふふっ、誕生日なのにリンはいつもと変わらないね」
「変わるも何もな。二十一になっただけで、俺自身には別に……あ」
手のひらを広げ、天井の照明にかざす。晶穂に出逢って二年経った。あの春から、様々なことが動き出したのだ。
「どうかした?」
ふと何かに気が付いたように声を出したリンに、晶穂は首を傾げる。
「いや。ただ、晶穂と初めて会ってから二年以上経ったんだなって思っただけだ」
「そういえば……。あの頃は、自分がこんな風に過ごしてるなんて思いもしなかったな」
狩人との戦いは、晶穂がやって来る前から始まっていた。それこそ、親より前の代から。しかし狩人との決着もその後の戦いと出逢いも、今の銀の華以外では起こりようもないだろう。
ユキを取り戻し、春直を迎え入れ、唯文が加わって、他国の大地も駆けた。新たな関係性が結ばれ、変わり、今がある。
晶穂がそっとリンの指に触れ、リンも応じて絡ませる。はにかむ晶穂の姿に、リンの中で何かがどくんと音をたてる。それを押し殺し、リンは前に進むことに集中した。
「俺もだ。……でも、今は会えなかったらなんて考えられないな」
「うん、わたしも」
リンも変わった。晶穂も、皆何か変化した。年齢以上の何かが進化していく。
「ま、だからって変わらないものもたくさんあるわけで……ん?」
中庭に向かっていた二人の前に、十字路を駆け抜けようとするサラの姿が目に入った。何か探しているのか、キョロキョロと周りを見渡している。しかし、こちらにはまだ気付いていないようだ。
パッと同時に手を離す。まだ人前で手を繋ぐのは恥ずかしさが勝る。そして、晶穂が真っ直ぐ走って行こうとするサラに手を振った。
「サラ! どうし……」
「あっ、いた! 二人共いた!」
「え?」
「は?」
サラがリンたちを指差して叫ぶ。するとその声を聞きつけたのか、十字路の先からユキとユーギが走ってきた。
「あ、兄さん何処行ってたの!」
「探したよ、二人共」
「いや、何でだよ」
「良いから、晶穂はあたしと一緒に来て。リン団長はユキたちについて行ってね!」
リンの冷静なツッコミを見事に無視し、サラは晶穂の腕を引いた。その反対側では、ユキとユーギがリンを何処かに連れて行こうとする。
「えっ、サラ?」
「お、おいっ。お前ら何を」
「まあまあまあまあ~」
ニコニコと笑うユキたちを気味悪く思いながらも、リンは素直に二人に連行されていく。その後ろ姿を見送り、晶穂も白旗を揚げた。
「わかった。ついて行くからそんなに引っ張らないでよ」
「わかれば宜しい。悪いようにはしないから、ついて来て!」
「はーい」
楽しそうにスキップしながら歩くサラの後を追い、晶穂は胸に不安を抱きながらついて行く。何処へ向かうのか告げられないまま歩くが、その途中に誰にも会わないことに気が付いた。
食堂も会議室も個人の部屋も通り過ぎたのに、誰とも会わない。
「ねえ、サラ」
「ん~?」
「何で誰もいないの……?」
「ふっふっふ。ひーみつっ」
「じゃあ、食堂の人に『今日は楽しんでね』って言われたのと関係ある?」
「それも秘密!」
「えぇ……」
明らかに面白がっているサラに、晶穂はため息をつきたくなった。しかし、ぐっと
「ここ」
サラが立ち止まったのは、玄関近くの個室の前だ。そこは客間として使用されていて、普段は風を通すのみの部屋である。
「ここ?」
「うん、ここ。入って」
サラに促されるままに部屋に入ると、ベッドの上に袋が置かれていた。その横には、今朝サラが持っていた鞄が置かれている。その鞄の中に入っていたのだろうか。
入口で戸惑う晶穂の背中を押し、サラは彼女をベッドの前まで進ませる。そして、袋を持ち上げて晶穂の胸に押し付けた。
ぼふっと手渡された袋は思いの他軽い。何か柔らかいものが入っているようだ。
「それ開けて、中に入ってるものを着たら教えて。部屋の外にいるから」
「えっ!?」
「つけ方がわからないものはあたしがやってあげるから、とりあえず、出来る所まで」
「あの、サラさん? 意味がちょっと」
意味がわからない。晶穂がそう口にし終える前に、サラは「じゃ、待ってるね」と部屋を出て行ってしまった。
「……」
置いて行かれた晶穂は、仕方なく袋を開ける。そして、中に入っているものを出して絶句した。
「これって……」
「え、何だこれ」
同じ頃、晶穂と同様に部屋に閉じ込められたリンも動揺を隠し切れていなかった。
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