結び

大切なあなたに

 神庭から戻って十日が経ち、今日は五月二十日。リンの誕生日だ。

 別段、誕生日だからといって何かあるわけではない。両親が存命の頃は誕生日会など開いてもらったものだが、今ではそれが気恥ずかしい。

「リン、おはよ」

「おはよう、晶穂」

 いつものように中庭で鍛練を積んでいたリンのもとに、晶穂が姿を見せた。彼女もしばしば氷華ひかと名付けた矛の練習をしに来るが、今朝はそれだけではないらしい。

「どうした?」

「あ、あのね……」

 背中に隠した何かを気にしながら、晶穂は逡巡する。そして、首を傾げるリンの目の前に何かを突き出した。

 晶穂が両手を添えているのは、プレゼント包装がなされた箱だった。手のひらより少し大きなそれを、リンは喜んで受け取った。流石に満面の笑みではなく不器用で控えめだが、十分に嬉しさが伝わる。

「たっ、誕生日でしょ? おめでとう」

「ありがとう。……開けても?」

 晶穂が首肯したため、リンはベンチに腰掛ける。晶穂もリンの隣に座り、彼の手元をじっと見つめていた。

「……晶穂、近くないか」

「え? あ、ごめんなさいっ」

 一香について来てもらって時間をかけて選んだが、気に入ってもらえるかどうかわからなかった。緊張もあって凝視していたが、近過ぎたらしい。頬と頬が触れそうな程近付いていたことに気付き、晶穂はパッと顔を上げる。

 その瞬間、間近で二人の目が合う。

「~~~っ」

「あっ……」

 カッと顔に熱が上り、のけ反るように距離を取る。ただ、体の位置は変わらないため、姿勢を正せば二人が隣同士であることに変わりはない。

「……」

「……わるい」

 真っ赤な顔できゅっと目を閉じ硬直してしまった晶穂に、リンは罪悪感を感じて呟いた。すると晶穂がぶんぶんと首を左右に振り、そっと瞼を上げる。

「わたしこそ、近過ぎてごめんなさい。……どうぞ、開けてみて?」

「ああ」

 空色のリボンをほどき、群青色の包み紙を剥がす。すると、中から箱が現れた。シンプルでメーカーの名前も書いていない黒い箱だ。

「?」

 リンはそっと箱を持ち上げ、蓋を外す。するとそこには、黒地に銀の花がデザインされた万年筆と同じようなデザインの四角いケースが入っていた。

 ケースは万年筆よりも小さく正方形で、二つを同じ店で買ったようには見えない。不思議に思ったリンが顔を上げると、晶穂が俯き加減で種明かしをしてくれた。

「それね、同じようなデザインのを探したんだ。ケースは、リンのペンダントを入れるのに丁度良いかなって。ほら、リンはそれを机とかに放置するか首にかけたままにするでしょ? 失くさないように入れ物があった方が良いかなって……思って……」

「違う店で買ったなら、何で箱が同じ―――もしかして」

 何かを察したリンに頷き、晶穂は「わたしが包んだんだ」と説明した。

「リボンも包装用紙も、ほんとに安いものなんだけど……二つも箱があったら遠慮されちゃうかなって思って。箱の中の仕切りとか、工夫してみた……んだけど」

 少しずつ自信が無くなっていった晶穂の声は、小さくなっていく。これでは重たい女と思われるかもしれない、と怖くなって膝の上で手をきつく握り締めた。

「―――嬉しいよ、晶穂。ありがとう」

「えっ」

 パッと目を開いて顔を上げると、晶穂の目の前には照れ笑いを浮かべたリンがいた。早速ペンダントを外し、ケースに収めてみせる。剣のトップが丁度良い具合に収まり、晶穂を安堵させる。

 再びペンダントを取り出して首にかけたリンは、万年筆を撫でて微笑した。

「時間かけて選んでくれたんだろ? それにデザインも良いし、俺としてはとても嬉しい。……ありがとう、晶穂」

「よ……よかったぁ~」

 ほぉっと息をついた晶穂は、苦笑いに近い表情でリンを見た。

「もしも引かれたらどうしようとか考えてたから、喜んでもらえて嬉しい」

「……引くわけない。むしろ、俺が何も出来てないから申し訳ないくらいなのに」

「それこそ、考え過ぎだよ」

 リンの言葉に、晶穂はクスッと笑った。何も出来ていないなんてことが、彼に限ってあるだろうか。誰よりも他人の為に動いて、傷付く人なのに。

「リンの周りには、優しい人がたくさんいるよ。ジェイスさんも克臣さんも、ユキもユーギも唯文も、春直も。銀の華にいる人たち、みんな。……きっとそんな人たちが集まるのは、中心にいるリンが誰よりも本当に優しいからなんじゃないかな」

「……じゃあ、多分優しくなれる理由が隣にいるからだな」

「リン?」

 リンの指が、晶穂の頬に近付く。緩く撫でられ、耳にリンの指先が触れた。

「ひぁっ」

 思わず声を上げた晶穂は、自分のその声に驚く。なんて声だと手で口を覆った。

 しかし、リンは真剣な顔で晶穂を見詰めている。その深いあかに魅入られ、晶穂はそっと瞳を閉じた。唇を覆っていた両手は、遠慮がちにリンの服に触れる。

 爽やかな朝の風が、髪を揺らす。この時間ならば、近くで小鳥が朝の挨拶をしているはずだ。しかしドキドキと鳴り響く心臓の音にかき消され、何の音も聞こえない。

「晶穂……」

 切なくて苦しくなる声が、近付く。どちらのものともわからない鼓動が、ただ世界を支配した。

 その時。

「晶穂ーーー!」

「「!?」」

 何者かの叫び声を聞き、リンと晶穂は目を開けると同時に距離を取った。

 どっくんどっくんと五月蠅いほど鳴る胸に手を置きながら、リンは手早く晶穂からのプレゼントをまとめる。包み紙を丁寧に折り畳み、リボンをその周りに巻いた。

 晶穂も、暴走する胸の奥を鎮めようと深呼吸を繰り返す。そして、バタバタという足音を聞きながら、自分を呼ぶ声に聞き覚えがあるなと首を傾げる。

 疑問の答えは、思いの外早くわかった。バタン、と中庭に繋がる戸が開かれる。

「ここにいた、晶穂! リン団長も!」

「えっ……サラ!?」

 目を瞬かせ、晶穂は思わず親友の名を叫ぶ。ぴょこぴょこと黒い猫耳を動かし、サラは笑顔で手を振った。茜色の髪と同系統のワンピースがふわりと風に浮き上がる。がばっと晶穂に抱きついたサラが、嬉々とした様子でしっぽを振る。

「久し振りだね、晶穂。元気にしてた?」

「あ、うんっ。元気だよ。……でもどうしてサラが」

「僕もいるよ」

 そう言って姿を見せたのは、ノイリシア王国の略式服を着たエルハだった。黒髪に合う同色の詰襟がよく似合う。

「サラに、エルハさんまで。どうして……」

「ふふっ、流石にリンも驚いてくれたかい?」

 目を丸くするリンに、エルハが悪戯の成功した顔で笑う。当然でしょうと眉を寄せ、頭の中でエルハからの連絡があったかどうかを思い出そうとする。

「記憶にないでしょう? 僕からもサラからも連絡なんてしていないからね」

「ええ。何かこっちに用事が? 遊びに来たというのでもないでしょうし。エルハさんは、次期国王の側近だ」

 エルハは今、王位を継ごうとしている兄イリスの傍に仕えている。その多忙な中、帰って来られるはずがないとリンは推測した。

 リンの考えに、エルハは「そうだね」と肯定する。

「だけど、約束があったから。こっちの準備も出来たし、決行するって連絡を受けたから来たんだよ」

「約束?」

「誰と……?」

 リンと晶穂が首を傾げるが、エルハもサラもにこにこと微笑むだけで答えを教えてはくれない。

 そういえば、と晶穂はサラの腕に下げられた大きな鞄を指差した。何が入っているのかわからないが、大きく膨らんでいて重そうだ。それに、背中にはリュックサックもある。

「それ、大荷物だね。部屋に置くなら手伝おうか?」

「ううん、いいよ。晶穂に持たせるわけにはいかないから」

「??」

 どういうことかと頭をひねるが、答えは出て来ない。リンも不思議そうにしている。

 エルハとサラはそんな二人を見て、楽しそうに笑うと踵を返した。

「じゃ、そろそろ行くね。。邪魔してごめんね?」

、二人共」

「え? あ、ああ。また」

「え、サラ?」

 ぽかんとした二人が取り残された。嵐が去り、リンと晶穂は顔を見合わせる。

「何だったんだ?」

「さあ……」

 兎に角、再び二人きりになった事だけは確かだ。しかし先程の出来事のお蔭で、もう最初のような雰囲気にはならない。

 二人は苦笑して、朝食を食べるために一緒に食堂へと向かった。


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