第465話 ただいま、リドアス
天也が日本に帰り、今度はリンたちの番だ。
「レオラ、ヴィルさんも元気で」
「我らは神だ。いつでもお前たちの前に現れてやろう」
「ふふっ。皆さんも、お元気で」
一抹の寂しさを感じているのか、レオラがそっぽを向く。その仕草を見て、ヴィルは小さく微笑んだ。
彼らの傍に立っていた甘音は、濡れた瞳で瞬きをしながら、必死に笑顔を作っていた。
「たくさん、ありがとうございました。また、絶対遊びに来てね!」
「勿論。元気でね、甘音」
「はいっ」
これ以上居ては、折角泣くのを我慢している甘音の頑張りが無駄になりそうだ。晶穂は甘音を離すと、そっと頭を撫でた。
「わたしたちこそ、ありがとう」
「晶穂さん……」
潤む目をこすり、甘音は笑う。
二人の様子を見ていたリンは、晶穂に頷かれて出発を決めた。
「そろそろ行きましょう。文里さんたちも待ってます」
「そうだね。ユキたちも行くよ」
ジェイスに呼ばれ、年少組は名残惜しげに頷いた。それぞれにリュックを背負い、年長組の傍に駆けて来る。
「じゃあ、また」
「ああ。リドアス近くに扉を開こう」
レオラが指を鳴らすと、何もなかった場所に扉が一つ現れた。それを開き、レオラは微笑む。
「お前たちならいつでも歓迎する。古来種の里に、神庭直通の扉を設けておくから、そこから来い」
「わかった」
今度こそ、お別れだ。すぐに会うことが出来るとはいえ、頻繁というわけにはいかない。
甘音はこれからしばらく、姫神としての修業期間に入るのだとか。その間、クロザたち三人以外は彼女と会うことが出来なくなる。
今は里に戻っているが、リンたちと入れ替わりでクロザたちはここへ来る手筈だ。甘音が寂しさに圧し潰されることのないように。
「またね、甘音」
ユーギが扉の縁に手をかける。甘音を最初に気にかけたのはユーギであり、年の近い友人でもある。だからか、寂しさは
その寂しさをぐっと堪え、ユーギは笑顔と共に扉の向こうに姿を消した。彼に続き、春直と唯文、ユキも甘音に手を振って扉を潜って行く。
「クロザたちに言っておいてくれるか? 甘音を泣かせるなって」
「承知した」
「頼む」
そう言って歯を見せると、克臣も姿を消す。幼馴染の後に続いたジェイスは、甘音の頭を一撫でして行った。
「今度は、一緒にお料理しよう。お菓子がいいかな?」
「うん! 楽しみにしてるね、おねえさん」
「ふふっ、またね」
甘音と小さな約束をして、晶穂は手を振って扉を越えた。型抜きクッキーがいいかな、と甘音と作るものを考えながら。
そして、最後に残ったリンは甘音と目線を合わせるために膝を折る。大きくて美しい水色の瞳を見詰め、目を細めた。
「またな、甘音。元気で」
「うん。リン……おにいさんも」
甘音の頭をぽんぽんっと軽くたたき、リンは立ち上がった。そして、レオラとヴィルに会釈をして扉を越える。
目の前に広がったのは、見慣れたリドアスの建物だった。
振っていた手を下ろし、甘音は呟いた。
「行っちゃった」
「寂しいか? 甘音」
レオラに問われ、甘音はしばし考えて頭を振った。リンが潜ると同時に消えた扉の跡を見詰め、微笑んだ。
「寂しくない。また会えるから」
「そうだな」
甘音はレオラとヴィルに手を伸ばし、彼らの手を取った。そしてぶら下がるようにして、二人と手を繋ぐ。
少し驚いた表情をしたレオラとヴィルだが、甘音の嬉しそうな顔に何も言えなくなってしまった。顔を見合わせ、クスリと笑う。
「……行くか」
「はい」
「うんっ」
さわさわと風が巨木の葉を揺らす。まるで本物の親子のように、三人は庭の奥へ向かって歩いて行った。
リンは眩しい光にさらされ、目を閉じた。しかしすぐに、懐かしさをはらむ優しい風が体を打つ。そっと目を開けると、リドアスが立っていた。
「帰って、来たのか……」
「なんだかずっと帰って来なかったような気すらするよね、リン」
「晶穂」
風に弄ばれる灰色の髪を押さえながら、晶穂が微笑む。彼女の背後では、ユキたち年少組が伸びをしていた。
「兄さん、文里さんたちには連絡したの?」
「いや、してない。……したほうがよかったか」
今更端末を取り出すのも変だろう、とリンは弟に苦笑を返す。そもそも、神庭で端末の通信は使い辛かったはずだ。
それもそうだね、とユキは大きく一歩リドアスに近付いた。
「じゃあ、驚かせちゃおう」
「あ、ぼくも!」
ユキと共にユーギがリドアスの玄関の前にスタンバイする。彼らの様子を面白そうに見る唯文と春直は、最早止めもしない。
ジェイスと克臣はといえば、消えゆく扉を見送っていた。
「やっぱ凄いな、神ってやつは」
「もう何でもありって感じだったね。かなり助けてもらったけど」
感心する克臣と、苦笑を禁じ得ないジェイス。彼らも憎まれ口をたたく余裕が出て来る程度には、帰って来たことに安堵しているのだろう。
「よし、行くよ……」
ユーギが合図をし、ユキが頷く。二人は同時にリドアスの戸を開けようとして、内側から開かれてしまった。
「うわっ」
「えぇっ」
内開きの戸が不意に開き、ユーギとユキは見事につんのめった。二人して部屋の中に倒れ込むと、頭上からクスクスという笑い声が聞えてきた。
「へへへっ、だいせいこう!」
「あーっ、シン!?」
「お前の仕業か、シン!」
二人よりも先に玄関の戸を開けたのは、龍のシンだった。サプライズに失敗したユーギとユキは、悔しそうに立ち上がった。そして、キッとシンを睨む。
「何でわかったんだよ、シン!」
「だって、まどからみえたんだもん。それにおおきなまりょくをかんじたから、きっとみんながかえってきたんだとおもったんだ」
だから、驚かせようとした。大成功だとくるくる飛び回るシンを追いかけ、ユーギとユキが廊下を走り出す。
「あ……」
「行っちゃったね」
止めようと手を伸ばした唯文が固まり、春直は肩を竦めた。それから顔を見合わせ、苦笑いを交わす。
「リン団長、あいつら捕まえて来ます」
「ああ、頼んだ」
リンに見送られ、唯文と春直が走り出す。待てーという声が響き、こちらへやって来た文里とテッカが驚いて廊下の端に寄った。
「なんだなんだ?」
「ああ、お帰り。みんな」
「ただいま帰りました。文里さん、テッカさん」
「留守をありがとうございます」
リンと晶穂に挨拶され、二人は嬉しそうに笑った。
「みんなが無事で何よりだ。ああ、一香もきみたちを心配していたよ」
「じゃあわたし、知らせてきますね」
文里に一香の居場所を聞き、晶穂が駆け足で奥へと向かう。一香は今、封珠を置いていた祠のあった中庭にいるという。
「リン、ユーギは?」
晶穂を見送り、テッカが息子の行方を尋ねた。ユーギは
「そうか。話を聞きたいと思ったが、後にしよう」
「テッカさん、文里さん。報告は一応、わたしたちからもさせて下さい」
「二人のお蔭で、スカドゥラ王国の動向も知ることが出来たしな」
ジェイスと克臣が言い合い、文里が「役に立てたならよかったよ」と言った。その隣で、腕を組むテッカが呆れ声を出した。リドアスの奥からは、ユーギたちの騒々しい声が響いて来る。
「ったく。お前らが帰って来た途端、騒がしくなったな」
「嬉しそうですけどね、テッカさん」
リンの指摘に、テッカは虚を突かれた顔をした。しかし、すぐに頷く。
「まあな、普段は旅の空だ。だからこの五月蠅さが懐かしくて嬉しいんだよ」
「……俺も、帰って来たなって感じます」
日常を感じる。おそらく、今後もあり得ない程大変な出来事は幾らでも起こるだろう。しかし、きっと何があっても乗り越えられる。
「リン、行くぞ」
物思いに
「リン、わたしたちも行くよ!」
「あ、お帰りなさい。皆さん」
晶穂と一香も合流し、リンたちはリドアスの奥へと移動する。近くから、ユキたちの声も聞こえてきた。唯文と春直に見つかって、引っ張られているらしい。
「ふふっ」
「何だよ、晶穂?」
ジェイスたちは先に行き、リンと晶穂は並んで歩いていた。その途中、突然晶穂が笑い出したのだ。不審に思ったリンが尋ねると、晶穂は柔らかい笑みを浮かべた。
「ううん。……幸せだなって思っただけ」
みんなが笑顔でいる。近くで、話している。気配がする。それだけのことがたまらなく愛おしくて、嬉しく思えたのだ。それらをまとめて、晶穂は幸せだと表現した。
「……そっか」
「―――!」
リンの手が、晶穂の手に触れる。びくっと反応した晶穂の指に自分の指を絡め、強く握った。
真っ赤に染まった晶穂の顔を見ながら、自分もきっと赤面しているのだろう、とリンは思う。心臓が疾走し、苦しいほどだ。
「行くぞ、晶穂」
「あ、うんっ」
リンは恥ずかしさを紛らわせるように、晶穂の手を引く。
晶穂はリンが手を繋いでくれたことが嬉しくて、心が浮き上がる。リンの後姿しか見えないが、耳が赤いことから照れているのだとわかってしまった。
「……大好きだよ、リン」
「何か言ったか?」
小さく蚊の鳴くような声で呟かれた言葉は、リンには聞こえなかったようだ。それでも、少し強まった手の力に、晶穂は花開くような笑顔で応じた。
「何でもない」
「そうか」
リンはそれ以上詮索することなく、晶穂の手を引いて食堂へと向かった。食堂では、お茶とお菓子を準備して、ユキたちが待ち構えている。
二人は手を繋いだまま、仲間たちの元へと駆けて行った。
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