第462話 世界を隔てた友

 年少組の部屋は、廊下を挟んで向かい合っている。

「じゃ、おやすみ」

 唯文は三人が部屋に入るのを見届けると、自分も欠伸をしてドアノブに手をかけた。その時、背後に気配を感じてサッと振り返る。

「おお、びっくりした」

「びっくりしたのはこっちだ、天也。夜遅くに何の用だよ」

「つれないなあ、唯文」

 ククッと控えめに笑ったのは、唯文の親友である天也だ。どうやら後ろから肩を叩いて振り向かせ、指で頬をつつくという遊びをしたかったらしい。

 しかし、唯文は気配を察して体ごと振り向いた。作戦が上手くいかず、天也は大げさに落胆してみせる。

「あ~あ。折角おちょくってやろうと思ったのに」

「人をおもちゃにするな。……そもそも、お前の用事はそれじゃないだろ」

 呆れてため息をつく唯文に、天也は手招きした。少し表情を改め、来た道を戻ろうとする。

「ちょっと話したくてさ。来いよ」

「わかった」

 即答し、唯文は天也について行く。天也は廊下を真っ直ぐに進み、先程唯文たちが会合を開いていたスペースで立ち止まった。

「お前の部屋でもよかったけど?」

「それでも良いけど……。何となく、こういう場所を使ってみたかったんだ」

 天也にあてがわれた部屋は、唯文たちの部屋が集中するのと近い一角にある。今通ってきた廊下の途中にあって、唯文はそこで立ち止まらなかったことを不思議に思っていたのだ。

 天也はソファーの一つに腰を下ろし、唯文には彼の真正面に位置するソファーを指定する。素直に唯文が座るのを見て、天也は話し出す。

「明日、日本に帰すって言われたんだ。唯文たちが帰るのと同時に」

「……ああ、だからか」

 床を見詰めるように俯き、天也は少し開いた膝の上に肘を置き、指を組んでいる。その声色が沈んでいることから、唯文は彼の気持ちを何となく察した。

 そして天也の気持ちは、唯文自身にも繋がるものがある。

「寂しくなる、な。折角会えたのに」

「……ああ」

「……」

「……」

 しんみりとした空気が流れる。夜の静けさも手伝って、少年と青年の間を生きる二人には、気恥ずかしさが勝る。

 それでも、時は無情にも過ぎていくのだ。

「天也」

「……何だよ」

 意を決した唯文の声に、天也は少しぶっきらぼうに返す。それでもめげず、唯文は言葉を続けた。

「初めて会った時のこと、覚えてるか? 季節外れの転校生で、おれは他のクラスからも注目された」

「覚えてる。転校生は何処も同じようなもんだろうけど、俺は『転校生』だからじゃなくて、普通とは何か違うって思ったから声をかけたんだ」

 注目の的になり、休憩時間の度に質問攻めにされていた唯文。模範的な回答で全て返答し、放課後になるといつの間にか帰っている。そんな日々が続いたある日、放課後の靴箱で待ち伏せていた天也に、唯文は捕まった。

「あの時は、本当にびっくりした。まさかおれより先に靴箱まで行ってるやつがいるなんて思わなかったから」

「そうでもしないと、お前とは話せないって思ったんだよ。授業は真面目に受けるしクラスメイトに話しかけられれば喋ってたけど、緊張してる感じがあったからな」

 天也に声をかけられ、唯文はびっくりした。更に深く自分のことを訊いて来る天也に困惑し、模範解答も思いつかずに逃げてしまったのだ。

 しかし、天也は翌日も、その翌日も同じように話しかけてきた。朝の教室で、教室移動の途中で、そして放課後の廊下でも。

「……何度も何度も同じようなことが続いて、おれはようやく天也とちゃんと話そうって思った。ジェイスさんや克臣さんにもアドバイス貰ったから」

「へえ、それは初耳だ。どんな?」

「―――『もしもその子が本気でお前と仲良くなりたいと望んでいると思ったら、お前も本気で向き合ってみろ』『そうしないと、リンが見た景色を見ることは出来ないぞ』って」

 リンに憧れ、唯文は彼と同じく日本の学校に行く選択をした。ジェイスは克臣と出逢い、リンもまた後に運命的な出逢いを果す。自分も異世界で何かを学び出逢いを得られるかもしれない、と期待していたのだ。

 だが、現実は甘くない。受け身ばかりでは周りから人はいなくなり、親しい友も出来ない。ただの興味本位で近付いて来るクラスメイトたちは、何となく怖かった。

 しかし、天也は何かが違うと感じた。だから、唯文は彼に自分のことを知って欲しいと願った。

「話すようになって、一ヶ月くらいしてからだったよな。唯文が『自分は異世界の人間なんだ』って明かしてくれたのは」

「そうだったな。その時、獣人ってことも言ったっけ」

「言ってた言ってた。流石に耳としっぽを見た時は驚き過ぎて声も出なかったけど、なんか「ああ、なんだ」って思って受け入れちまったな」

 天也にとって、唯文は不思議な存在だった。何処か、この世界とは浮いていて、交わり切れていないと感じていたのだ。その不思議な感覚の正体に、その時初めて触れた気がした。

「それからだよな。昼とか一緒に食べるようになったのは」

「うん。おれの知らない日本のこととかたくさん話して、楽しかったな」

「……そうだな」

 再び、静寂が降りる。唯文がちらりと天也を盗み見れば、ばっちり目が合ってしまった。

「ふ……」

「くく……」

 まさか目が合うとは思わず、二人は顔を見合わせると笑い出した。冷涼な夜に、明るい笑い声が響く。しかし防音が完璧になされているこの館では、いくら騒ごうと隣人に迷惑がかかることはない。

「はーっ、はーっ」

「わ、笑い疲れた……」

 腹を抱えてひーひー言っていた二人は、ようやく落ち着くを取り戻す。天也の目には、笑い過ぎたために涙が浮かんでいた。

「……天也」

「何だよ、唯文」

「また、絶対会おうな」

 唯文の目は真剣だ。真っ直ぐな黒い瞳で、天也を見詰めている。

 冗談のように返そうとしていた天也だったが、それは止めた。代わりに、真面目な顔をして頷く。

「ああ。約束だ」

 そう言って、右手の小指を突き出した。唯文も自分の小指を立て、天也のそれに絡ませる。

「「ゆーびきりげんまん、嘘ついたら針千本のーます……指切った!!」」

 パッと勢いよく手を上に挙げ、二人は約束を交わす。それは、いつ果されるともわからない、無期限の約束。

 だとしても、この約束が支えをくれる。唯文と天也は笑い合って、もう少しだけとたわいもない話をし続けていた。

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