第461話 刹那と約束

 リンたちが神庭へ戻る一時間程前のこと。

 甘音は一人、次代の姫神を待つ女性のもとへと向かった。向かうと彼女は、変わらずに大樹の根元に座っていた。

「こんにちは……こんばんは、ですか?」

 時間は夕刻に差し掛かっており、甘音は首を傾げた。すると姫神はくすりと笑い、軽く首を左右に振る。

「まだどちらでも良いでしょう。こんにちは、姫神」

「……まだ、そう名乗れませんよ?」

 甘音が肩を竦めると、姫神は「いいえ」と頭を振った。

「あなたはもう、決めている。決意は、自覚と共にある」

「ばれましたか」

 てへっと苦笑した甘音は、表情を改めて姫神と向き合った。体の半ばまでクリスタルと同化した姫神と、立って見下ろす甘音の視線が交わる。

「……わたし、姫神になります。なって、大事な人たちを見守って、世界と神様を繋いでいきます」

「引き受ければ、待っているのは途方もなく長い時間です。それは今のあなたが思うより、きっと大変で退屈な時間となりましょう。だとしても、姫神として生き続ける覚悟がありますか?」

「……」

 一見厳しいことを言っているようだが、姫神の瞳は揺れている。まだ幼い甘音にこの役割を押し付けてしまうことが、本当は後ろめたいのだ。

 しかし、彼女に時間は残されていない。残酷なようだが、体と大樹との融合は、確実に進んでいた。

 甘音は、虚を突かれたように目を見開いた。しかしすぐに微笑し、頭を振った。

「正直に言えば、永遠に近い時間を生きる覚悟はまだないです。……だけど、守りたいって気持ちは本物だから。短い時間だったかもしれないけど、大事なものがたくさん出来たから。だから……だからわたしは、ここに残ります」

「……揺るがない決意、か」

 姫神は、何処か安堵の表情で微笑した。甘音を手招き、そっと彼女の頬に両手を添えた。

「冷たい……」

「ふふ。もう時間は残されていないから、温かさは必要ないの」

「でも、あなたの心が暖かいから気持ちいい」

「……そう。ありがとう」

 甘音の嬉しそうな言葉に、姫神は驚く。そしてゆっくりと手を離し、寂しげに微笑んだ。

「もう、お別れのようね」

「えっ」

 見れば、姫神の姿が透明感を増している。パキパキッとクリスタルが急速に成長し、彼女の体を包み込んでいく。

「待って!」

「ごめんね、甘音。この世界のこと、どんな未来があっても諦めないでいて」

「わたしまだ、あなたの名前もっ」

 手を伸ばす甘音の手を取り、姫神は優しい顔をした。

「名は、刹那せつな。初代姫神の孫よ」

「せつな、さん」

 甘音は初代姫神の血を引いている、とレオラたち言っていた。ならば、刹那も自分と血が繋がった人なのだ。もしかしたら、初代の子──二代目には子どもが複数いたのかもしれない。

 そんな想像を膨らませて、甘音は目の前の姫神の名を呼んだ。

「そう。……いつか、また会えたら良いわね、甘音」

「はい!」

 甘音は溢れる涙を噛み殺し、精一杯笑った。彼女の笑みに笑顔で返し、刹那は結晶となって消えた。

 後に残ったのは、透明なクリスタルと大樹のみ。結晶は人の形をしておらず、一見するとただ美しいだけの宝石だ。

「……また」

 さわさわと、大樹の葉が風に揺れる。甘音はくるっとクリスタルから背を向けると、もと来た道を駆けて行った。




 甘音の行く末が決まり、一行は当初の役割を終えた。もうスカドゥラ王国が攻めてくることもなく、エルハからの連絡ではソディリスラから戦艦も撤退したという。

「今夜はここで休んでいくと良い。帰るのは明日で良いだろう」

「ありがとう、レオラ」

 レオラの提案を受け、リンたちはしばしの休息を得ることになった。各人に部屋が割り当てられ、相部屋の多かった年少組を喜ばせた。

「こんなに部屋があるんだ……」

 神庭の一角に建てられた館には、数えきれない程の部屋が用意されていた。個室の他、図書室や調理室など多岐に渡る。

 晶穂が感嘆の声を漏らすと、ヴィルが「凄いでしょう?」と微笑んだ。

「一階と二階を合わせて……何部屋あるのかしらね」

「ヴィルさんも把握してないんですか?」

「ええ。館自体は大昔から姿を変えていないけれど、レオラ様が無から創り出したものだから」

「……成る程」

 レオラはソディールの創造主だ。彼ならば、どんなものでも創り出してしまうに違いない。

 思わず納得してしまった晶穂の素直さに、ヴィルは和まされた。自然と笑みを浮かべる。

「ふふ。じゃあ、晶穂さんの部屋に案内するわ」

「え? あ、ありがとうございます……」

 晶穂がヴィルについて行くのを見送り、リンはふとエルハに言われた伝言を思い出す。

「ユーギ」

「何、団長?」

 自分の部屋を把握した後に、年少組は館を探検していた。あまり遅くならないようにと言い含めてあるが、次回いつ来るかわからない場所だ。大目に見よう。

 探検の最中らしいユーギを捕まえたリンは、エルハの伝言を伝える。

「ユーギ、エルハさんがお前たちに『任された』と伝えてくれって言ってたんだが、これは……」

「さっすが、エルハさん!」

 これはどういう意味だ。そうリンが問う前に、ユーギが指をパチンと鳴らした。

 嬉々とした後、ユーギはリンが見ていることに気付いて慌ててその場を離れようとした。しかし、そう簡単に離してもらえるわけもない。

「ユーギ、何を企んでるんだ?」

「え? えーっと、何のこと?」

「しらばっくれるの下手か」

 何かを必死で隠そうとするユーギに呆れつつ、リンはどうにかしてその『何か』を聞き出そうと試みる。

「エルハさんに、何か相談したのか?」

「あーっと、うん……」

「俺の不得手な方面のことか? 何か悩みごとでも……」

「違うんだ!」

 ユーギはぶんぶんと首を横に振り、ペコッと頭を下げた。

「ごめんなさい。まだ、団長に言うわけにはいかないんだ。……でも、エルハさんからの伝言ありがとう!」

「お、おお……?」

 今度は呼び止める隙も与えず、ユーギはリンのもとから走り去っていった。置いてきぼりにされたリンは、呆然とその場に立ち尽くすしかない。

「何なんだ?」

 しかし、ここで考えていても仕方がない。いずれ必要となれば、ユーギたちの方から話してくれるだろう。

 そう結論付け、リンは自分にあてがわれた部屋へ向かって歩き出した。

「行った、ね」

 リンがその場からいなくなったことを確かめ、ユーギは息をつく。傍には唯文と春直、ユキもいて、互いに「静かに」と言い合った。

 彼らが集まったのは、館の空きスペースに設けられた空間だ。四つの一人掛けソファーが向かい合って置かれている。それらに一人ずつが座っていた。

 ほっと胸を撫で下ろしたユーギに、唯文が苦笑する。

「まだバレるわけにはいかないからな」

「うん。あ、エルハさんから『任された』って返事が来たって」

「なら、大丈夫だな」

 にやっと笑った唯文は、頷く春直に「な」と同意を求めた。

「うん。エルハさんなら、絶対受けてくれると思ってた」

「正しくは、サラさんだけどね」

 ユキの的確なツッコミに、春直は「そうだけどさ」と応じる。

「絶対、他の人には頼めなかったでしょ?」

「まあね。……ふふっ、楽しみだなあ」

 伸びをして、何かを想像するユキ。この打ち合わせは後日またとして、四人は寝るためにそれぞれの部屋へと向かった。



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