第459話 心を守りたい

「追っ手は来ない、か」

 スカドゥラ王国の王城を出たリンたちは、そのまま城下町を突っ切って港近くの空き地に集まっていた。いつの間にか日が沈み、辺りに人影はない。

 息を切らせてその場に座り込んだユキが、あっと小さな声を上げた。それに気付いたジェイスが、ユキに体を向ける。

「どうした、ユキ?」

「あの。兄さんが王城で、牙獣について話したいことがあるって……」

「牙獣について、か」

 ジェイスは牙獣に何か思うところがあるのか、少し眉を顰める。ユキは頷き、立っているリンを見上げた。

「ねえ、兄さん。追っ手もいないし、人気ひとけもない。……ここで、その話をしてくれないかな」

「ここで、か」

 晶穂を除いた全員の視線が、リンに集まる。晶穂は目線を落とし、両手を重ねて胸の上で握り締めた。

 リンはしばし考えに落ちた後、何かを決意した顔で「わかった」と頷いた。そして息を吸い、空気と共に言葉を吐き出す。

「メイデアは言いました。……牙獣は、創った存在だと」

「つくっ、た?」

「そうだ、ユキ。牙獣は生命としては存在しておらず、メイデアが創り出した概念として存在した。……だから、柱として異空間を支え、倒されて消えた」

「……!」

 思い当たる節があるのか、年少組が揃って目を伏せる。彼らが何を見たのか想像するしかないリンだが、おそらく簡単に共感してはいけないことだろう。

「……俺たちが戦ったのは、概念、か」

「メイデアの言葉を信じるならば」

 ぽつりと呟いた克臣に、リンはそう言うしかない。克臣は大きく息を吸い、吐き出した。

「気がかりだった。唯文と共にジウを戦闘不能にしたまではよかったが、あいつが『殺せ』と何度も言うもんでな、腹が立ち紛れに『好きにしろ』って置いてきたからな」

「克臣さん、機嫌悪かったですもんね」

 一部始終を目撃していた唯文が笑う。少し、涙声を含んでいる声だった。

 ジェイスも遠くを見る目で夜空を見上げていたが、目を細めてそっと口に出す。

英大えいだいは、大した弓使いだった。……わたしの魔力を封じて、接近戦に持ち込んできた」

「ずっとヒヤヒヤしてました。ジェイスさんが戦えなかったら、ぼくがって」

「心配させたね。銀の華最強って言われるだけの力も技術も備えてるつもりだよ」

 ユーギの苦笑に、ジェイスは笑みで応じた。

「アリーは、人らしかったです」

「うん。……空間が消える時、ぼくらの背中を押してくれた。だから、帰って来られたんだ」

 春直とユキが言い合い、切なげに眉を寄せて短い邂逅を思い出した。

「でも、全部存在しなかったなんて信じられないよ」

「……そこに確かにいたのは間違いない。そして、俺たちをまた戻してくれたのも彼らだ」

「ああ。命を持たないからと言って、生きていなかったと断じる必要はないとわたしは思うよ」

 ユキの言葉に、克臣とジェイスが応じる。そしてリンも、彼らは人間ではないにしろ、彼らとして存在していたのだと信じている。

「俺も晶穂もその場にはいなかったから、慰めも嘘っぽくなる。……的外れかもしれないけど、俺は何があっても味方だから」

「うん、わたしも。……話を聞いている限りは、牙獣の人たちは皆さんと戦ったのが最後でよかったのだと思います」

 晶穂の言葉に、春直がハッと顔を上げた。

「アリーが、アリーが言ってました」

「あっ……」

 春直の言葉に、ユキも思い出したのか顔をこわばらせる。晶穂は何か怖いことでも言われたのかと思い、震える春直の手を取る。立ったままの彼の前に膝をつき、顔を見上げる。

「春直……?」

「アリーが、最期に戦ったのがぼくらでよかったって……」

 ぽたり、と晶穂の手に雫が落ちた。

 春直はボロボロと涙を溢し、しゃくり上げている。晶穂は彼の手を包む自分の両手から右手を挙げ、春直を抱き寄せた。

 ぐっとしがみつく春直の背を軽くポンポンとたたき、晶穂は「そっか」と呟いた。

「春直も、ユキも……みんな、よく頑張ったよ。安い言葉かもしれないけど、どうか自分のせいでなんて言わないで。これが、最良の選択だったんだって、信じて」

「あき、ほさん……」

 とうとう泣き声を上げた春直を、晶穂は彼が泣き止むまで優しく抱き締め続けた。

「……兄さん」

「どうした、ユキ?」

 服の裾を引かれ、リンは弟の前に中腰になった。そうすることで、ユキより少し低い位置にリンの目線が来ることになる。

 リンがユキを見ると、真っ赤な顔をしている。目が潤み、何か我慢しているようだ。

「……」

 察したリンは、ユキの頭を撫でた。そして、倒れ込むように抱き付いてきた弟を抱き止めてやる。

「お前たちは間違ってない。よく、頑張って戦ったよ。……辛かったな」

「兄さん……っ」

 記憶を取り戻して以来、ユキはほとんど泣かなかった。しかし実兄の体温に触れて、緊張の糸がほどけてしまったらしい。

 わんわんと泣き始めた二人を見比べ、克臣は傍にいた唯文の顔を覗き込む。

「お前は良いのか? 唯文」

「……はい。全部、あの二人が代わりに泣いてくれてますから」

 そう言いながらも、唯文の目元は赤い。

 唯文とて、ジウが死を彷彿とさせることばかり口にすることに複雑な思いを抱えていた。だがこちら側に戻ってきてすぐ、克臣に言い聞かせられたのだ。「俺たちは、不殺を貫いたからな」と。

 きっと克臣は、ジウが死んだとわかっていたのだろう。だから、その事実を唯文が知る前に予防線を張ってくれたのだ。

「優しいですよね、克臣さん」

「今更か?」

 克臣はニヤッとわざとらしく笑い、唯文の頭を乱暴に撫でてやった。

「ユーギ」

「何、ジェイスさん」

 春直たちが泣くのを見る前からジェイスの服を握り締めていたユーギが、ジェイスに声をかけられ返事をする。しかし、その声は平坦だ。

「ジェイスさんは、わかってたの? 英大たちがぼくらとは別の存在だって」

「わかってた訳じゃないよ。生身の人間だと思っていたさ。……ただ何となくわかっていたのは、異空間と強く結び付いた存在だってことだけだ」

「……それでも、彼らは生きてた」

「ああ、そうだ」

 決して否定せず、ジェイスはユーギの言葉に耳を傾ける。すると徐々に、ユーギの言葉が震え出した。

「あれだけ、生きてたのに。生きても死んでもなかったんだってわかって……ほっとしたんだ。でも、それが嫌なんだ。助けられなかったのが、悔しいんだ」

「そう、だね。ユーギは……いや、ユーギもみんなも、優しい子だ」

 肩を震わせ涙するユーギの肩を抱き、ジェイスはユーギが落ち着くまでぽんぽんと軽くたたいて待ち続けた。


 年少組それぞれと向き合いながら、リンたちが願うのは一つだけだ。

 ―――どうか、心を守れるように。

 何があっても、味方でいると。泣く時も笑う時もあって良いのだと。そんな気持ちが少しでも伝われば、それで良い。

 経験が傷ではなく、かてになるように。リンたちはただじっと、夜風の中で願い続けていた。

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