守りたい世界

第458話 一時的な和解

 何処かから、自分の名を呼ぶ声がする。体が揺すられ、複数の慣れ親しんだ声が聞こえる。

「……ン、あき……。目を……せ!」

「……ちょう、起きて」

「あ……さん」

 どうやら、自分以外にもう一人も名を呼ばれているようだ。

「……んっ」

「あ、兄さん!」

 ぼんやりと目覚めたリンの目の前に、ユキの顔が覗く。兄が目覚めたとわかり、嬉々として仲間に報告した。

「みんな、兄さんが目覚めた!」

「こっちも大丈夫。晶穂も無事だ」

 ユキに応じたジェイスが、上半身を起こした晶穂の背を支えている。リンと晶穂は隣り合って倒れていたらしく、ジェイスの声がリンのすぐ傍で聞こえた。

「ユキ、俺はどうなったんだ?」

「兄さんと晶穂さんは、ぼくらの後にこっちに戻って来たんだ。最初が克臣さんと唯文兄、ジェイスさんとユーギ、それからぼくと春直。他のメンバーは最初から起きてたのに、二人共気を失っていたからどうしようかと思ったよ」

「し、心配かけたみたいだな……すまない」

 ぐいっと弟に詰め寄られ、リンはその勢いに圧されて謝った。ユキはふんっと鼻を鳴らすと、ぺたんとその場に座り込む。少し俯き気味になって、ユキは頭を振った。

「心配は勿論したけど、みんなそれぞれに頑張った結果だから。ちゃんと帰って来たし、それでいいよ」

「ありがとう、ユキ」

 弟の頭を撫で、リンは立ち上がった。そして、未だにぼんやりとしている晶穂の前に膝を折る。

「晶穂、気分は?」

「だ、大丈夫。―――っ、熱なんてないって」

「良いから」

 前髪を上げて額に手をあてられ、晶穂は赤面する。一気に体温が上がり、目も覚めた。

 ぶんぶんと手を振ってリンの手を退けようとする晶穂だが、リンに軽く押さえられてしまう。一先ず体調に変化がないことに安堵すると、リンはぐるっと周りを見渡した。

 どうやら、きちんと現実世界に戻って来られたらしい。こちら側で最後に見た、女王の私室の前にいた。風がそよぎ、大きな変化などはない。

「───あっ」

「リン!」

 克臣に呼ばれたが、リンは振り返らずに渡り廊下の手すりを飛び越える。ユキが彼の後を追い、晶穂も手すりから身を乗り出した。

「あれは……」

 晶穂が見たのは、美しい庭の一角に横たわるメイデアの姿だった。彼女に近付き、リンが呼吸を確かめている。

「息はある、な」

「……ここで死なれたら、アリーが浮かばれない」

 ユキがぼそりと呟いたのは、彼が対峙した牙獣の名だ。親しい誰かを思い出しながら散った男を思い出し、奥歯を噛み締める。

 そんな弟を見るに耐えられず、リンは立ち上がってユキの頭を胸に抱き寄せた。

「ユキ……。牙獣に関して、俺からみんなに話さなきゃいけないことがある。だから、それまで待っていてくれないか?」

「兄さん?」

 驚き目を見開くユキの瞳は、わずかに揺れている。彼が何を見たのかはっきりとはわからないが、リンは自分が知る牙獣の真実を伝えようと決めていた。

 ユキはしばらく考えた後、こくっと頷く。そして「みんなにも、絶対ね」と念押しした。

「勿論だ。……約束する」

「お願いだよ」

 重ねて頼み、ユキはまばたきを数回繰り返した。そうすることで気持ちを落ち着かせ、再び目覚めないメイデアに目を向ける。

「この人、どうするの?」

「俺たちに、罪を罰する権利はない。だけど、目覚めないことには約定することも出来な……」

「約束はしただろう」

 リンの言葉を遮った声に、兄弟はぎょっとした。二人の前で、目を覚ましたメイデアが身を起こす。

「!? 起きていたのか、メイデア」

「ああ。ただ、さっきまで体が思うように動かなかったのも事実だがな」

 メイデアは首や肩を回し、軽い動作で立ち上がる。そして警戒するリンとユキの顔を順に見て、苦笑いを漏らす。

「別に、ここから更なる奥の手を出す……なんてことはないから、心配するな」

 ひらひらと手を振って無策であることをアピールし、メイデアはこちらへ近付いてくる兄弟以外のメンバーを見据えた。

「……良い仲間を持ったな」

「お前も道さえ間違えなければ、今後仲間を得られる」

「どうだかね」

 メイデアは肩を竦めると、さて、と腰に手を当てた。

「銀の華のリンとやら。私は向こうで、神庭から一度手を退くと約束した。それを違えることはない」

「……だが、あくまで『一時的』だと?」

「私が二度と手を出さずとも、将来誰かが気付くだろう。そして、もう一度神庭を巡る争いが起こらないという保証はない。だから、それを踏まえた上での『一時的』だよ」

 神庭の存在は、伝説的な物語の中に生きている。それで終われば良いがな、とメイデアは笑った。

 メイデアは、己は二度と手を出さないと誓った。今はそれを信じる他はない。

 リンは仲間たちを振り返り、彼らにそれで良いかと無言で尋ねた。すると、ジェイスを始めとした全員が首肯する。

「また手を出そうってんなら、俺たちがもう一度追い返せば良いだけの話だろ?」

「克臣……」

「何だよ、間違ってないだろ?」

 頭を抱えそうなジェイスに、克臣は心底不思議だという顔で首を捻る。

「間違ってはいないよ。……うん、やることは同じだね」

「ええ。何度だって、守ってみせます。……あそこには、もう大切な友人たちがいますから」

 ジェイスに同意した晶穂が、ね、とリンに微笑む。リンも頷き、メイデアと向き合った。

「聞いた通りだ。何度だって、俺たちは守り通す。……それが、もしも世界を相手にしたとしても」

「大きく出たね。だけど……うん、お前たちならやり遂げてしまうのだろうな」

 負けたよ、とメイデアは両手を挙げて降参のポーズを取った。同時に、遠くからバタバタという足音が複数聞こえてくる。

 メイデアは何気なく振り向き、困った顔をした。

「さて、衛兵たちがこちらへ向かっているようだ。どうやら散々お前たちにいたぶられたらしいからな、見付かればただでは済むまい」

「また見付かっても返り討ちにするよ」

 勇ましく答えたユーギの頭を、唯文が軽く小突く。

「何言ってんだ。無用な戦いはしなくて良いんだよ」

「唯文兄の言う通りだよ、ユーギ。ぼくらはここから消えないと」

 唯文と春直に叱られ、ユーギは文句を言うことなく「まあ、そうだね」と同意した。

「これ以上、あっちの人たちを待たせちゃだめだ」

「ああ、そうだな」

 ユーギが言う「あっちの人たち」とは、神庭で彼らの帰りを待つ四人のことだ。気を揉んでいるであろう彼らに、無事を知らせなければならない。

「――――おうさま、女王様!」

 複数の足音が聞えて来る。リンたちはメイデアに示された裏口を通り、王城の外へと出て行く。メイデアによれば、もしもの時に王城から脱出出来るようにと備えられた秘密の扉なのだという。

「メイデア」

 殿しんがりとなったリンは、扉の前で立ち止まって呼び掛けた。彼に背を向けたまま、メイデアは「何だ」と問う。

「もう一つ、約束してもらう。……『扉』を封じろ。今後一切使うな」

「良いだろう。ソディリスラに用はないからな、封じて聖域として扱うこととしようか」

「頼むぞ」

 リンが扉を閉めるのと同時に、メイデアの前に十数人の衛兵たちが集まる。彼らのリーダーとなっていたヨーラスが、メイデアの前にひざまずいた。後に控えていた衛兵たちもそれに倣う。

「女王様におかれましては……」

「堅苦しい挨拶はいい。何か用か?」

「はっ。実は、この城に不審者が複数名侵入致しまして、追っていたのですが捕まらず……。こちらに来ているという目撃情報が」

「来ていないぞ」

「は……?」

 ヨーラスの台詞に被せ、メイデアははっきりとした口調で言い放った。それに虚を突かれたヨーラスたちに、重ねて「侵入者など来ていない」と首を横に振った。

「ここも問題はない。いつもの仕事に戻ってくれて構わないぞ。……もしもその侵入者たちを捕えられたならば、連れて来い」

「は、はぁ……」

 ぽかん、と口を開けたヨーラスたちをその場に残し、メイデアは私室の戸を閉めた。そして始めたのは、いつもと変わらない女王としての仕事だ。

「ああ、そうだ」

 ベアリーとダイたちが戻って来たら、口留めしなくては。今後一切、銀の華と神庭に関することを公の場で口にしてはならない、と。

 そんなことを考えながら、メイデアは可笑しくなって小さく笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る