第454話 小さな勇者たち

 ――ドシュッドシュッ

 何本もの矢が春直とユキを襲い、二人はそれらをかろうじて躱していた。しかし数本は肌を掠り、じんっとした痛みを感じる。

「わっ」

 矢を躱した直後に木の枝の上に登ったユキは、その足下を矢に狙われて軽くジャンプした。着地の際に足を滑らせました慌てて近くの枝を掴む。

 木にぶら下がったユキは、アリーの追撃を避けるためにくるっと鉄棒の逆上がりの要領で回った。

「素早いね、流石に」

「これくらい、朝飯前だ!」

 敵に褒められても嬉しくないとばかりに、ユキは食い気味だ。更に空中に氷柱を出現させると、気迫と共に撃ち出した。

「そんなもの、私の敵ではない!」

「なっ」

 ユキの放った氷柱は、アリーの弓矢に遮られて落下する。ドスッと床に突き刺さり、じわりと溶けた氷がしみを作り出す。

「危なかった……」

 刺さった氷柱のすぐ傍で、春直が冷や汗をぬぐった。丁度アリーに向けて駆け出そうとした直後だったためによかったが、走るのが後数秒早かったら下敷きだ。

「ごめん、春直!」

「気を付けてくれればそれで良いよ」

 終わったことは蒸し返しても仕方がない。今後の方が大事なのだ。

 春直の言葉に頷き、ユキは再び氷柱を開いた手のひらに創り出した。十本の鉛筆程の大きさのそれは、くるくるとユキの周りを回る。

「何だ……」

 警戒を解かないで氷柱を凝視するアリーに、ユキは右の手のひらを向けた。

「ただ氷柱を飛ばすだけじゃないってことだよ!」

「うおっ!?」

 小さな氷柱はその鋭利な面をアリーに向け、順番に発射された。小さくて素早く、完璧に躱すのは難しい。

 アリーは軽い身のこなしで避けていくが、流石に全てから逃げることは出来ない。一本がアリーの頬を傷付け、二本が服を裂いた。

 タンタンッとステップを踏んで体勢を整えたアリーが、もう一度得意の弓矢をつがえる。手には三本の矢があって、何と三本同時に射とうというのだ。

「この矢は、特別製なんだ」

「特別製?」

 春直の問いに、アリーはそうだと頷いて見せる。

「魔力のない猫人である私でも、より殺傷能力の高い魔力を含んだ武器を扱えるように、と女王様が下さった。……ここには三本しかないように見えるだろうが、この三本は、使っても失われない」

 つまり射って何かを傷付けた後、戻ってくるということだ。ほぼ永久的に射ち続けられるという、アリー秘蔵の矢である。

「奥の手を使わせたんだ。きみたちは、誇っても良い」

 アリーは口端を片方だけ上げて、皮肉げに笑った。そして、小さな敵である二人の真ん中に照準を合わせる。

「この矢は、私があてたい場所に飛んでいく。さあ、逃げ切れるかな?」

 パンパンパンッと立て続けに射られた矢は、青い炎をまとってぐんぐんとスピードを上げる。一本がユキに、一本が春直に、そして最後の一本が縦横無尽に部屋の中を駆けていく。

「わっ」

 真正面に飛んできた矢を避けるために、春直その場にあった椅子を蹴ってバリケードにする。椅子に突き刺さりほっとする間もなく、矢は姿を消した。

「なっ……! 何処に」

「ここだ。言っただろう、何度でも使えると」

 再びつがえられ、放たれる。春直は操血の力を使い、矢を叩き落とした。

「それはっ」

「?」

 春直の爪が赤く染まって伸びる様子を見て、アリーは少し興奮した声を出す。それに驚き見た春直と目が合い、アリーは目を逸らした。

(何だ……?)

 首を傾げたくなったが、春直はすぐさまその場を離れなければならなかった。自由に飛び回る矢が、春直に狙いを定めたからだ。

「くっ。こんな狭い所で……負けてたまるか!」

「そうだ!」

 ユキもまた、青い炎をまとった矢から逃れるために魔力を行使していた。幾つもの氷の壁を配置し、進路を妨害する。

 しかしそれらも突破され、壁際へと追い詰められる。たった一本の矢だが、それが狙うのは心臓だ。

「くっ……」

「もう終わりか? 呆気なかったな」

「ユキッ!」

 春直が手を伸ばすが、届かない。走っても間に合わない。アリーが春直より速く、その矢を届かせてしまうから。

 アリーの指を鳴らす合図で、バラバラに飛んでいた三本の矢が一点を狙う。その先にいるのは、壁を背にしたユキだ。

「……さよなら。小さな氷使い」

「───っ」

 悔しげに顔を歪めるユキに、アリーは容赦ない一矢を与える。これにより、アリーの敵は一人になるはずだった。

「は……?」

 しかし、ユキは倒れない。彼の手前に三本の矢が落ちて折れ、それを見たアリーが目を見開いた。

「ど、どうして」

「流石だね、春直」

 狼狽えるアリーを横目に、ユキがにこりと微笑む。その目線の先にいた少年は、赤く染まった長い爪を軽く振った。

「操血の応用だから。『赤花せっか』を矢相手に使うことになるなんて思ってなかったけどね」

 春直の操血の技の一つ『赤花』は、相手を斬り裂いてその血で花を描くというものだ。しかし今回、瞬発力と破壊力が必要であったために使用した。

 ユキを襲う三本の矢を空中で叩き折り、ユキに届かせないようにしなければならなかった。更に、何度も使えるはずの矢を折るという前代未聞の荒業もやり遂げる必要があった。それらが可能なのが、春直の操血なのである。

「そうか、きみか」

 無敵と思われた自身の矢を使用不能にされたにもかかわらず、アリーは怒りを露わにすることなく、むしろ感動を覚えているように見えた。彼の反応にぎょっとした春直だが、アリーの次の言葉に納得する。

「最近、猫人のネットワークの中で小耳に挟んだ。……十代の少年が、未知の力を使いこなしていると。その力は自らの血を媒体にしているんだと。本当にいたんだな」

「ぼくは、この力を欲しいと思って手に入れた訳じゃない。だけど手に入れてしまったから、それを大切な友だちのために、仲間のために使いたいと思っているだけだ」

 羨む気配を見せるアリーに、春直は釘を刺す。そして折られて動かなくなった矢を踏み越え、アリーの前に立った。彼の隣には、ユキもいる。

「これで、決着はついたんじゃないか? お前の奥の手も出させた。……さあ、ぼくらを元の世界に返してくれよ」

「……ああ、終わりか」

 詰め寄るユキに、至極残念そうな顔でアリーは呟く。その瞳に愁いと諦めを見て取り、ユキと春直は顔を見合わせた。

「あんた、ぼくらに負けたら何かペナルティーでもあるのか?」

「……どうして、そう思った?」

 アリーに問われ、ユキは目を瞬かせた。

「あんたは戦っている時、決死の覚悟をしているように見えた。だからこそ、奥の手も使ったんだろう。……ぼくらに帰りたい場所と仲間がいるように、あんたにも守りたい場所があって、大事な人がいるんじゃないかって思ったんだ」

「そう、か」

 降参だ。そう言って苦笑いを浮かべ、アリーはわざとらしく両手を軽く挙げた。そのままペタンと座り込むと、やれやれと首を左右に振る。

「私たち牙獣は、メイデア様が創り出す異空間と一心同体。つまり、世界が壊れる時に運命を共にする。この意味がわかるだろう」

「まさか……」

 さっと顔色を変えた春直と、険しい表情をするユキ。彼らの前に、天井から剥がれたタイルが落ちてきた。その数は徐々に増えていくが、頭にあたっても痛くない。まるで、この異空間を構成する要素に重さはないとでも言うように。

 気付けば、ユキと春直の前に胡坐をかくアリーの姿が薄くなっている。驚く二人以上に、アリー自身が驚いていた。

「……女王様にも、慈悲があるらしい。私は消えて死ぬのだな」

「―――ッ、僕らの前で死ぬなんて許さない!」

 ユキは手を伸ばし、アリーの腕を掴んで立たせようとした。そして彼を手伝おうと、春直も反対側の腕を掴んで引っ張る。

「ぼくら銀の華は、誰も殺さない!」

「そうだ。手を下さないし、下さないための努力を惜しまない」

「……くうっ。この世界の出口を教えてよ。早く、そっちに向かわないと」

「きみたち……」

 アリーは、不思議で仕方がない。どうして目の前にいる少年たちは、命を狙って来た敵の命を救おうとするのか。どうして、共に戻ろうというのか。

「……」

 残念ながら、アリーの下半身は動かない。異空間と一体である彼の体は、世界に引っ張られて失われようとしていたのだから。

 それでも踏ん張り必死に手を引く二人の少年だが、そろそろ出口へ送らねばなるまい。何処か昔亡くなったアリーの弟たちに似た面影を持つ二人は、生きて帰らなければならないのだ。

「……最期の戦ったのが、きみたちでよかったかもしれないな」

 ぼそっとか細い声で呟くと、アリーは二人の手を振り払った。そして驚く少年たちの体を、部屋の出口へと突き飛ばす。

「わっ、何するんだ!?」

「お前も来いよ、アリー!」

 開け放たれた扉の向こう側に消えながら、春直とユキは叫ぶ。しかし、アリーがそれに応じることはなかった。

「さよならだ。小さな勇者たち」

 アリーの声はかすみの向こう側へと消え、全てが消え失せた。

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