第452話 魔力を使わなくても 

 ジェイスの『気』の魔力を封じ、英大えいだいは余裕をもって二人の敵と対峙していた。

 ジェイスの魔力は全て、空気というこの世界において何処にでもあるものを源としている。だからこそ強いのだが、環境を真空にしてしまえば話は別だ。

 資料によればユーギは狼人であり、その特徴として脚力に優れている。接近戦になれば、英大側が不利になると思われた。

 英大は一度二人から距離を取ると、長剣をしならせ殴りつけるように横凪ぎにした。衝撃波が生まれ、ユーギが踏ん張りきれずに転倒する。

「くそっ」

 膝から血がにじんだが、それを痛がっている暇はない。痛みを堪えて立ち上がったユーギは、次にはなたれた衝撃波を跳んで躱す。

 そして、体のバネを利用して回し蹴りを放った。だが、技の精彩は欠く。

「はあっ」

「動揺が技に出ているぞ? そんな力で我に勝てるはずもない!」

 ユーギの心の揺れを感じ取り、英大はさっきのお返しとばかりに煽り立てる。

「くそぅ」

 英大の煽りに乗ってしまい、ユーギは眉を潜めた。そして、苛立ちと不安をまとめて跳び蹴りに上乗せしようとした。

(ぼくがやらなきゃ。ジェイスさんの分まで!)

 ジェイスの真骨頂は、気の魔力だ。魔力を封じられた今、動けるのはユーギだけだった。

 そう思うからこそ、ユーギはひとりで奮闘した。しかし跳び蹴りは長剣に阻まれて、反対に吹き飛ばされる。

「がっ」

 思い切り背中を砂浜に打ち付け、ユーギは呻き声を上げた。

「はぁはぁ。……とどめだ」

 ほとんどの蹴りを防いでいたとはいえ、英大は何発かを腹や腕に受けていた。そのダメージに顔をしかめつつ、英大は仰向けになったユーギを見下した。

 英大の長剣の切っ先が、ユーギの胸に照準を合わせる。ユーギは英大を睨み付けるが、既に勝ちを確信した英大には響かない。

「お前を終わらせれば、後は何も出来ないジェイスのみ───っ!?」

「悪いけど、まだ終わっちゃいないんだ」

 カシャン、と長剣が落ちた。

 いつの間にか英大の後ろを取ったジェイスは、静かに彼の体を拘束した。羽交い締めにされ、英大は足をジタバタと動かすしかない。

「くそっ、離せ!」

「きみはわたしが気の魔力を失えば無力だと思ったようだが……勘違いも甚だしいぞ」

 ジェイスが銀の華最強と目される理由は、何も魔力の強さだけではない。魔力に頼らずとも、己の力と技で戦えるからこそだ。

 幾ら英大が暴れても、ジェイスは余裕を持って拘束し続ける。

「ジェイスさん……」

 体を起こして砂の上に座ったユーギは、ぽかんとジェイスを見上げた。その眼差しには、安堵と尊敬が籠められている。

 ユーギの視線に気付いたジェイスは、柔らかく微笑んだ。

「ユーギ、よく頑張ってくれた。ここからは──一人では戦わせない」

「はい!」

「この野郎、離せっ!」

 無理矢理ジェイスを引き剥がした英大は、荒い呼吸をしながら長剣を拾う。そして、腰を落として剣を構えた。

「はぁ。……我は、胴斬りの異名を得る戦士。お前らの体も真っ二つに斬ってやる」

 口の中で呟くように、英大は決意を述べる。スラッと長い剣の切っ先をより弱そうなユーギに向け、ぐんっと加速する。

「まずはお前だ!」

 長剣を横に構えて胴を狙う英大は、まさに二つ名に相応しい。

 しかし、ユーギもやられるわけにはいかない。刃があたる前に上半身を反らして躱し、そのままバク転して下がった。

 宛が外れた英大だが、そのままの勢いを利用してジェイスへと襲い掛かった。スピードは倍近くなり、普通の人なら撫で斬られて命はない。

「───はっ」

 ジェイスはといえば、決して普通という枠には収まらない。

 剣を躱し、更にバランスを崩した英大の長剣を蹴り跳ばす。ジェイスの足があたったらしく、英大は手の甲を押さえて悶絶した。

「ぐっ……」

「骨くらいは折れているかもしれないが、命に別状はない。さっさと手当てしないと、長剣を握れなくなるぞ」

 暗にこれ以上傷付けるつもりはないと示し、波のないトーンでジェイスは英大と向き合った。ジェイスの背に隠れ、ユーギも英大を見上げる。

「……」

 英大は手の甲を押さえながらも、何処か別の空間を見るような空ろな目で足元を見つめている。長剣は砂の上に落ちたままで、拾おうともしない。

「……我には、もう時間はない」

「は? 何言ってるの、この人」

 ぼそりと諦念の思いを呟かれ、ユーギは困惑する。しかしジェイスは、英大の言葉から彼の真意を導き出して目を見張った。

「成程。……わたしたちに敗れれば、お前たち牙獣は殺されるんだな?」

「――殺される!?」

 ジェイスの言葉に素っ頓狂な反応を示したユーギだが、英大が肯定も否定もしないために目を左右に彷徨わせた。答えを求めてジェイスの服の裾を引くと、ジェイスはユーギの頭を撫でて話し出す。

「こういうことだろう。……メイデアは、わたしたちを分断させることで戦力も分断し、個別に牙獣を使って倒させることにした。しかし万が一牙獣側が敗れるようなことがあれば」

「……命を賭して、我らはメイデア様に仕えている。戦場で散るはずだった命に役割を与え、ここまで長らえさせて頂いたのだ。これ以上、望むものなどありはしない」

 ジェイスの言葉を遮り、英大は言い切った。つまり、甘んじて殺されるということだろう。

 英大の覚悟は固い。そこに他人がとやかく言えるものではない、とジェイスもわかっている。しかし、割り切ってしまうには重過ぎた。

 ガシガシと頭を掻き、それで本当に良いのかと英大に問う。ユーギも納得出来ないのか、ピンッと耳を立てて顔をしかめている。

「ああ、良いのだ。……この浜辺の先、洞窟がある。その入り口に足を踏み入れれば、お前たちは元の世界に戻れるはずだ」

「お前は?」

「我は、この世界から出られない。牙獣はメイデア様の手で作られた精鋭部隊。あの方との結びつきは何よりも強く、異空間と我らは一心同体だ。……空間と結びついた我らが敗北すれば、異空間はやがて壊れる。そして我らは、その世界の崩壊と共に命を終えるのだ」

「ジェイスさん、見て!」

 ユーギに引っ張られたジェイスが振り返ると、この世界の出口だという洞窟があるのと反対方向の景色が歪んでいた。この現象が、世界の崩壊なのだと察する。

「行け」

 英大の声は、震えていない。ただ事務的に、ジェイスとユーギを崩壊の余波から逃がそうとしている。

 ジェイスは救えない虚しさを、姿のないメイデアにぶつけるように息と共に吐き出した。

「……銀の華は、不殺を貫く。例え、どれだけ揺さぶられようとも」

「ジェイスさん?」

「何でもない。……わたしたちは、帰らなければ」

 ジェイスはユーギの手を引き、砂に足を取られそうになりながらも洞窟へ向かって走った。

 二人を見送り、英大はふと足下を見た。そこには長剣が落ちている。

「折られたのは、こちらの方か」

 長剣の刃が真っ二つに折られている。恐らく、ジェイスが蹴り飛ばした際にひびが入ったのだ。そのひびが、地面に落ちた衝撃で広がったと考えられる。

「……最期の戦いは、面白いものだったな」

 足下から駆け上がってくる何者かの殺気を感じつつ、英大はその場で目を閉じた。

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