第451話 染まる白砂

 ユーギとジェイスが目を覚ましたのは、美しい海辺だった。白砂の浜はバランスを取るのが難しく、気を抜けば転けてしまいそうになる。

「おっ、と」

「大丈夫、ジェイスさん?」

 砂に足を取られたジェイスがバランスを崩すのを見て、半歩先を行くユーギが駆け寄って来た。

「大丈夫。ありがとう、ユーギ」

 踏み留まってほっと息を吐き出したジェイスは、体勢をもとに戻した。そしてふと、空を見上げる。

 頭上にあるのは、白濁とした空だ。メイデアの異空間展開の力は、様々な景色を作り出すことが出来るのだろう。しかし、景色はあってもその景色全てが再現されている訳ではない。

「ということは、ここに牙獣が」

「ジェイスさん、あれって」

「ん?」

 ユーギが指差すのは、彼らがいる場所から百メートル程先だ。海と浜辺の境界線に、裸足の男が一人立っている。

 黒い短髪焦げ茶の瞳で、一見日本人のようにも見える。しかしその目に宿る殺気は、平凡な生活を送ってきた者には獲得しえない類いのものだ。

「ユーギ、わたしの後ろに」

「うん」

 素直に背後へとユーギが隠れたユーギことを確かめると、ジェイスは空気から幾つものナイフを生成してから男に近付いていく。

 サク、サク、サク。砂浜が奏でる音は、少しずつ三人の距離が縮まっていくことを示している。

 後、五メートル。その地点で立ち止まったジェイスは、男を真っ直ぐに見た。

「きみは、牙獣の一人か?」

「左様だ。我が名は英大えいだい。牙獣のニ、胴斬りの英大とはわれのことだ」

 そう胸を張って名乗ると、英大は長剣を背中の鞘から引き抜いた。彼の身長と同等の長さを持つ刀身は鈍く光り、その刃にジェイスの顔を映す。

 何処か、血を吸うことを喜びとする者の気配を漂わせ、英大はニヤニヤと頬を綻ばせる。人差し指を伸ばし、ジェイスとユーギを交互に指差した。

「珍しい銀の髪のお前はジェイス、そしてもう一人の坊主はユーギだな? 女王様が見せてくださった資料に載っていたからな、知っているぞ」

「知ってるってさ、ジェイスさん」

 だから何かという顔で、ユーギはジェイスに言いかける。欠伸でもしそうな顔に、ジェイスは失笑を隠しきれない。

「ユーギ、もう少し感心してあげてくれ」

「えー? だって、女王の側近なら見ていて当然だと思って。まあ、資料があるのには驚いたけどね」

「だからって、あまり煽るのは……」

 煽るのは良くない。ジェイスがそう続けようとした直後、黙って二人の掛け合いを見ていた英大の顔が朱に染まった。目だけしか見えない覆面であろうとも、わかる程だ。

 それが照れたからではなく、怒りによるものだということは誰にでもわかる。

「き……貴様、牙獣を愚弄するのか!?」

「愚弄? してないよ。本当のことを言っただけだ」

 あくまで強気な姿勢で挑むユーギに、英大はプルプルと拳を震わせた。そして、唐突に長剣を振るう。

「牙獣を愚弄すること、女王様を愚弄することと同じ! 許せん!」

「うわっ」

 ひらりと身軽に振り下ろされた長剣を躱すと、ユーギは次いで横凪ぎにされた刃の腹を狙って蹴りを放った。

「ぐっ!?」

 子どもとは思えない蹴りの重さに、英大は目を見張った。そして、その子どもをただ見守り何もしない青年にも興味が向く。

 二十数年の間、牙獣として血を見る日々を送ってきた英大にとって、彼らは本能が訴える強敵なのだ。

 数歩後ろによろめき、英大は体勢を整える。見れば、ユーギはジェイスのもとに戻ってこちらの出方を窺っているようだ。

「簡単には斬り伏せられぬか。そうでなくては、面白くない」

 黒い覆面を取り、切り傷だらけの顔を晒す。そして、長剣を再び構えて嗤う。

「お前たちは、我に敗れる。それは、決まっていることだ」

 やけに自信満々な英大を気味悪く思いながら、ジェイスは無言で生成したナイフをランダムに投げる。手から投げるのではないために意表を突きやすいが、英大はそれらを余裕で避けていく。

「……やるな」

「お褒めに預かり光栄。……しかし、まだまだだ」

 英大はタンッと跳躍すると、長剣の長さを活かしてジェイスたちより少し離れた位置から剣を振り下ろす。切っ先がユーギの頭を直撃しかけ、ジェイスが障壁を張り跳ね返した。

「まだまだぁっ」

 一閃、一閃。鈍光が追撃を繰り返す。それにズボンを斬られたユーギが、危険を顧みずに英大の懐に突っ込んだ。

「隙あり!」

「ガハッ」

 長剣は長さを活かして遠くに攻撃出来るが、反対に近くの敵には的を絞れない。案の定、ユーギの回し蹴りが鳩尾みぞおちにヒットし、英大は砂に足を取られてバランスを崩した。

 その好機を見逃さず、ジェイスのナイフが英大を襲う。ランダムに飛んで来るナイフ全てを叩き落とすことは出来ず、英大の腕が斬られた。

 ボタボタと赤い血溜まりが白砂を染める。しかし、英大は身を引かずに前に出る。

「ここからだ。……お前たち、ここが何処だか忘れた訳ではあるまい?」

 腕から出血しつつも不敵に嗤い、英大は問う。尋ねられ、ジェイスとユーギは顔を見合わせた。

「忘れるも何も、ここはメイデア女王が創り出した異空間の中だろう」

 何を言っているんだと眉を寄せるジェイスに、英大は楽しげに笑って頷いた。

「正解。だが、お前たちはまだ知らんのだ」

「知らない? どういうことだよ」

 ユーギの問いに、英大は「愚かなことだ」と言うだけだ。いらっとしたユーギが、英大目掛けて跳び蹴りを放った。まさにその瞬間だ。

 ───パキンッ

 何かが切り替わる音が鳴り、ジェイスは警戒して英大に向けてナイフを放とうとした。

「消えた……?」

 ジェイスの周りを回っていたはずの何本ものナイフが、かき消えた。それどころか、新たに武器を空中から創ろうとしても何も生まれない。

「もしや……」

「気付いたか。早かったな」

 英大はニヤッとして、自慢げに答えを投げて寄越した。

「今この瞬間から、ジェイス、お前は武器を創り出せない。何故なら……この空間には呼吸のため以外に空気が存在しなくなったからだ」

「え……どういうこと?」

 いまいち理解出来ていないユーギに、ジェイスは実践で説明する。

 いつも通りに手のひらを広げてナイフの形を念ずるが、手のひらには何も現れない。

「嘘でしょ……」

「残念ながら、本当らしい」

 ジェイスは手を握り締め、氷の眼光で英大を見据えた。

「この一帯をある意味真空状態にすることで、わたしの武器を封じたということか」

「その通り。資料にもあったぞ。ジェイスは空気中から無限に武器を創り出せるのだと。だから、女王様は、この策を講じられたのだ!」

 女王の手柄を自分のことのように誇り、英大は長剣を構えた。

「だから、坊主の蹴りさえ警戒しておけば、我の勝ちは揺るがない!」

「ジェイスさんッ!」

 英大の長剣がジェイスに襲い掛かり、ユーギが悲鳴を上げる。障壁さえも空気から創り出していたジェイスはなす術なく、左頬と右上腕に傷を負った。

「くっ……」

 ポタリと血の雫が砂の上に落ち、染みを作る。

 珍しく追い詰められる様相を見せるジェイスを見て、ユーギはぐっと爪が食い込む程手を握り締めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る