第449話 暗き森の斧
克臣が目覚めた時、薄暗いと感じた。そしてふらつきが収まったことを自覚して、ゆっくりと立ち上がる。
「森、だな」
目の前にあったのは、鬱蒼とした森だ。木々の間隔が狭く、中に入れば陽の光は得られないであろう常闇。くるりと後ろを振り返るが、そこには白濁とした霧のようなものが溜まっているのみ。
「リンたちは……」
見回すが、彼らの姿は見えない。自分一人かと思った直後、ガサリと近くの草むらが音を鳴らした。
「っ、誰だ?」
「よかった、克臣さん」
「唯文」
頭に葉っぱをつけて立ち上がったのは、唯文だ。プルプルと頭を振って葉を落とすと、驚く克臣の前まで駆けて来る。
「おれ以外、誰もいないのかと思いました」
「それは俺も。……他は?」
「いえ、いません。おれたちだけみたいですよ」
唯文は少し不安そうに耳を折った。しかしすぐに持ち直し、話題を転じる。
「克臣さんはここが何処かわかりますか? みんなの所に戻らないと」
その問いに対し、克臣は正直に首を横に振った。わからないのにわかるふりをしても仕方がない。
「わからん。……だが、ここを出る方法はわかるつもりだ」
「その方法は?」
「聞こえるだろ?」
克臣に言われ、唯文は耳をそば立てる。すると、無風の中で何かを振り回すブンブンッという音が混じることに気が付いた。
音の発生場所を特定しようと、唯文の耳がせわしなく動く。その様子を見ながら、克臣は静かに大剣を取り出していた。
「―――あっ」
「わかったか、唯文」
「はい。……この、森の奥です。距離にして、二キロ程」
真っ直ぐに唯文が指差したのは、暗く深い森の中だ。その奥に潜む何かに、唯文は喉を鳴らした。
「正解」
「わっ」
克臣は唯文の頭を軽く撫でると、ポンッと背を叩いた。そして数歩前に出て、顔だけを唯文の方へと向ける。
「俺たちはそいつを倒す。そうすることで、この異空間から出られるんだろう。……勘だけどな」
「いえ、その勘に間違いはないと思います。それしか、この変な場所を出る方法はありません」
克臣の勘を唯文は全面的に信じ、頷く。何も理由もなく信じたわけではない。
この場所に飛ばされる前にメイデアが唱えた「異空間展開」という言葉は、現実世界とはまた異なる空間を創り出す力ではないかと考えたのだ。そしてその特異的空間を破るカギは、彼女が放った牙獣が握っているはずだ。
唯文は唾を呑み込むと、迷いのない足運びの克臣の後を追った。
森に入ると、その重苦しさを全身に受けることとなった。
上を見上げてもわずかな木漏れ日が照らすのみで、重なり合った葉が空を隠してしまう。青空など見えないのだが、空が見えないというだけで圧力が増したようだ。
克臣と唯文は敵の気配を探りながら、ただ無言で歩き続けていた。しばしば進路を妨害してくる蔦や枝を切り、気配の方向へと向かう。
異空間であるためか、生き物の気配はない。それが、敵の殺気をより鮮明なものとして伝えてくれる。
「……克臣さん」
「ああ、いるな」
二人が立ち止まったのは、丁度森に入ってから二キロ地点だ。数本の木々を越えれば、殺気の主と出逢うことになるだろう。そして、同じ方向からは風が流れて来る。
唯文は手のひらから魔刀を取り出し、克臣は大剣を構えた。二人は息を合わせ、臨戦態勢で木々の間を突破する。
「!」
「くっ」
突然明るくなり、二人は眩しさに目を細めざるを得なくなった。
「―――よく、来たな」
明るさに目が慣れると、そこは緑の原っぱだった。振り返ると、あの薄暗い森の影も形もない。退路を断たれた克臣と唯文を待っていたのは、人一人分はあろうかという大きさの斧を担いだ男だった。
鼻の下にひげを生やした大男だ。眼光鋭く、何処か血のにおいを漂わせる。間違いなく、その斧は多くの血を吸い取っていることだろう。
低く聞きやすい声だが、そこには害意が付きまとう。
「あんた、誰だ」
単刀直入に克臣が問う。目を全く相手から逸らさず、隙を作らない。
大男はニヤリと笑うと、大きな斧を振り下ろすようにして地面に突き立てた。ドスンッという音が響き、地面が揺れる。
「オレの名は、ジウ。牙獣の
ジウはそう名乗ると、お前らも名乗れと顎をしゃくった。ジウの態度はいけ好かないが、克臣はそれを抑え込んで口を開く。
「俺は銀の華の克臣」
「……唯文」
ぼそりと呟くように名乗った唯文が、魔刀を正眼に構えた。彼の隣で、克臣も大剣を担ぐように構える。そして少し陽気な声を出し、克臣はジウに尋ねた。
「俺の考えじゃ、おまえを倒せば元の世界に戻れるはずなんだが、それであっているのか?」
「そうだ。だが、帰れるなどと思わぬことだ」
「―――何故?」
問われ、ジウはクックックと嗤う。そして何も知らぬ哀れな子羊を見る目で、克臣と唯文を舐めるように見た。
「可哀そうに。オレの二つ名を知らぬことが、お前たちの生死を分けた。これから、我が斧の餌食としてやろう」
ブンッと地面から引き抜いた斧を振ると、ジウは吹けば折れそうな刃を構える唯文に目をつけた。彼との体格差は歴然としている。更にはまだ子どもだ。
「死ね」
その巨漢からは想像も出来ない程身軽な動きで地を蹴ると、ジウは唯文に向かって斧を振り下ろした。空気を引き裂くビュンという音が鳴り、唯文の脳天を叩き割ろうとする。
「―――ッ」
唯文は魔刀を横向きにし、防御の構えを取る。しかし、刀の薄さでジウの斧に抵抗出来るとは思えなかった。唯文は歯を食い縛り、防御から攻撃に切り換えようとした。
その時、唯文の刀から何かが溢れ出した。それは光となってたなびき、刀を持つ唯文へと伝わっていく。
「これは――」
「なっ、何だこれは!?」
唯文のみならず、そこに斧を振り下ろそうとしていたジウも驚愕の声を上げる。何故ならその光の帯は、ジウの斧をそれ以上進ませないからだ。幾ら力を入れようとも、唯文の頭上五センチ以上進めない。
「ぐ……あああぁぁぁっ」
無理矢理力を入れるが、ジウの手がぶるぶると震えるばかりでびくともしない。
「なんだ、これ」
唯文は呆然と顔を真っ赤にして頑張るジウを見上げていたが、克臣に「唯文っ」と鋭く呼ばれて我に返る。
「唯文、いけ!」
「――っ、はい!」
唯文は右足を後ろに伸ばし、同様に刀を持つ右手を後ろに移した。更に左足を軸としてジウに斬りかかる。
「魔刀、おれに力を貸してくれ。――『飛び
途端に、魔刀から溢れていた光が煉獄の炎へと姿を変えた。更に飛翔する朱雀のごとく、鳥のような形を成して舞い上がったのだ。
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