第448話 異空間

 視界が揺れ、像がぶれ、足元がおぼつかなくなる。それはリンだけの感覚ではないらしく、晶穂がその場に座り込むのが見えた。ジェイスと克臣、唯文は何とか立っているが、ユキとユーギ、春直はそれぞれ年長者にしがみついている。

「くっ」

「……初めての者にとっては眩暈や不快感を起こさせるらしいが、安心しろ。この場で殺しはしない」

 近いようで遠い場所から、メイデアの勝ち誇った声が聞こえる。

 リンは晶穂を庇うように抱き締めながら、自分の周りの空間が歪むのを見ていた。そして、暗転すると同時に意識をも失うのだった。


「……ん、リン!」

「ん……、晶穂か」

 肩を揺すられ、リンは目を覚ました。そこには涙目の晶穂が座っていて、リンが目覚めたことにほっと息をつく。

「―――っ、ここは!」

 唐突に意識が覚醒し、失神する前のことを思い出す。確か、自分たちはメイデアの力によって異空間へと誘導されたのではなかったか。

 上半身を起こし、周りを見渡す。すると、そこにいるはずのジェイスや克臣の姿がない。

 あるのは、ただただ広い砂地の荒れ地だけ。何処までも広がるそれは、混迷した灰色の空のもとにある。

 晶穂はリンが誰もいないことを不審に思っていることに気付き、ゆるゆると首を横に振る。

「誰も、いないんだ。わたしたち以外」

「なん……」

 何でだ。そう口にしようとして、リンは言葉を止めた。晶穂に詰め寄って、回答など出て来るはずがないではないか。晶穂もまた、不安でどうしようもない顔をしているのに。

 リンは数回深呼吸して混乱を収めると、現状に対する推測を口にする。そうすることで、これ以上のパニックを起こさないために。

「俺たちだけが、ここに連れて来られたのか」

「だと、思う」

「大正解」

 晶穂が頷くのとほぼ同時に、彼女の後ろで声がした。晶穂が振り向き、リンが同じ方向を覗くと、そこにはメイデアの姿があった。

 愛用の剣を持ち、ドレスではなく軍服に似た身軽な服装をしている。彼女の好戦的な雰囲気に、それは見事に合っていた。

 リンは立ち上がると、晶穂を背後に庇う。そして周囲への警戒を怠らないまま、メイデアと対峙した。

「『大正解』とはどういうことだ?」

「そのままの意味だよ。この異空間に落としたのは、お前たち二人だけだ」

「……他の、みんなは?」

 リンの腕を掴み、晶穂が尋ねる。するとメイデアは、よくぞ聞いてくれましたとばかりに両手を広げる。

「他の奴らは、それぞれに牙獣がじゅうが相手をする空間へと飛ばした。生き残れれば元の世界へと戻るだろうが、死ねば終わりだ」

 牙獣は三人、対してジェイスたちは六人だ。素直に計算すれば二対一であって、こちら側が数的には有利だとわかる。だが、そんな簡単な計算がわからない程、メイデアは愚かではない。

「我が精鋭は、弱くはない。この国において―――否、この大陸に置いて負けはない。それでも、お前たちの仲間は生き残れるかな」

 無理だろう、とメイデアは確信している。幾度も敵をほふってきたこの異空間に囚われたが最期、無事に生還した敵などいないのだから。

 メイデアの力『異空間展開』は、一種の魔力だ。自分がいる空間に干渉し、亜空間を創り出す。それだけと言えばそれだけの能力だが、メイデアはこれをいくさにおいても利用してきた。

 例えば、歴戦の猛者と呼ばれるような敵を相手にしたとする。その時、メイデアが創った異空間に転移させるのだ。そうすることで、幾らでもいたぶることが出来る。

 異空間では、生死以外のルールはメイデアによって作られる。何もない場所から刃物を出して敵に突き刺すことも出来るし、精神力の弱い者ならば、捕縛して滅多刺しにすることも可能だ。

 この力を使い、メイデアはスカドゥラ王国を大きくしてきた。戦姫であり死神とも称せられる彼女の戦い方の真骨頂である。

 メイデアの頭の中では、どうやって目の前の生意気な敵を殺そうかという思考が巡っている。その中に、彼女が敗れるというシナリオはない。

 剣を構えて微笑むメイデアに、リンは強い口調で言い返す。

「……生き残るさ。誰一人として、欠けずに」

「ええ。わたしたちは、負けない。必ず帰る」

 リンの手に剣が現れ、晶穂の手には氷華が携えられる。この状況になっても希望を失わない二人に、メイデアは若干の苛立ちを覚えた。

「―――やってみろ」

 メイデアが望むと、剣の刃が二倍に伸びた。その分重くなるはずだが、それも半分以下に設定する。

 軽々と長剣を扱うメイデアに目を見張るも、リンと晶穂は互いに頷き合う。どれほどの強敵だとしても、二人の思いは同じだ。

「「一緒に帰ろう」」

 リンだけでも、晶穂だけでもいけない。まして、別の空間に飛ばされたというジェイスや克臣、ユキ、ユーギ、唯文、春直も欠けてはいけない。共に帰るのだ。

 二人は並び立つと、メイデアを真っ直ぐに見る。その目の力の強さに、メイデアは一瞬身を引きそうになる。しかし、そんなことをすれば女王の名折れだ。

 隔世的に力を得たただの人間であるメイデアだが、既にこの力を使いこなしている。この力と出逢い、初めて使ってから半世紀だ。

 空間に命じ、無数の刃が宙を舞う。これで、魔種だという青年の行動範囲は狭めた。

「私にも、譲れぬものがある。押し通させてもらおう」

 空気を斬るような刃の音が響く。軽いステップから、メイデアは急加速した。




「さて、ここは何処だ?」

「……とりあえず、あの王城ではないみたいですね」

 克臣と唯文が目を覚ますと、彼らの前には深く暗い森が広がってた。

「ジェイスさん、大丈夫?」

「ああ。……ここは何処かな」

 ユーギとジェイスが見たのは、何処までも続きそうな浜辺である。

「ユキ、ここにはぼくたちだけみたいだよ」

「だね。―――勝てってことかな?」

 春直とユキは、何処かの廃ビルの一室に。

 それぞれが亜空間にて、牙獣との対峙を控えていた。

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