第446話 女王の門番

 ジェイスと克臣が三階の窓を蹴破るより少し前。

 リンと晶穂は幾つかの部屋の前を通り過ぎ、足音を立てないようにゆっくりと進んでいた。何度か見回る兵士に見付かりそうになったが、物陰に隠れてやり過ごしてきたのだ。

 リンは端末を取り出し、地図を確認する。このまま真っ直ぐ進んで、二つ目の角を右に曲がって行けば目的の部屋にたどり着くはずだ。

「リン、こっち?」

「ああ。このまま直進して……っ」

 晶穂の腕を引いて、柱の裏に身を潜める。丁度進行方向から、剣を持つ兵士が二人、警戒しながら歩いてきていた。

 二人が身を寄せた柱は廊下の壁側に半分めり込むように立っていて、二人が並んでは隠れられない。リンは晶穂を抱き締めて影を重ね、気配を殺した。

「行った、か」

 コツンコツンという靴音が遠退き、リンはほっと息をついた。こんなところで捕まる訳にはいかない。

 周辺に人影がないことを確かめて、リンはようやく腕の中にいる晶穂に意識を向けた。

「あっ……ご、ごめん」

「っ……」

 隠れるためとはいえ想い人に抱き締められて、晶穂の心臓は爆発寸前だった。何度か経験しているにもかかわらず、一向に慣れる気配がない。

「……」

 真っ赤になって固まる晶穂に影響され、リンも頬を染める。同時に彼女に触れた時の感触まで遅れて思い出してしまい、羞恥心が加速する。

 普段ならこのまましばらくお互いが落ち着くのを待てば良いのだが、今そんなことをしていれば捕まって終わりだ。

 リンは深呼吸をして少しだけ心臓を落ち着かせると、晶穂の手を取った。ピクッと反応はしたものの振り払われるようなことはなく、ほっとする。

「急ごう」

「う、うん。……ね、リン」

「なんだ?」

 走り出そうとして呼び止められ、リンは怪訝な顔で晶穂を振り返った。彼女はわずかに逡巡した後、リンの手を握り返して必死な顔をした。

「嫌、とかじゃないから。違うからね?」

「……わかってる。知ってるよ、そんなこと」

 晶穂の細く小さな手をきゅっと握り、リンは赤みのある顔で笑った。

「ありがと」

 晶穂ははにかみ、リンの心臓が再び冷静さを失う。そんな素直な自分の反応を知らないふりして、リンは前を向く。

「……行こう」

「うん」

 互いの手を離さずに、リンと晶穂は王城の更に奥へと向かった。

 しばらく進むと、ホールのような広間に出た。幾つもの絵画が壁にかけられている。地図を確認すると、この先に目的の部屋がある。

 しかし、こういう時は油断してはいけない。リンは晶穂に警戒を促し、そっと手を離した。晶穂も頷いて氷華ひかを手に取った。

 ガシャン、と重い音が奥から響く。次いで剣を鞘から抜く音がして、衣擦れする。

「お前たちは何者だ」

 反響する男の声は、リンよりも高い位置から発せられた。

「名乗るほどの者ではないな。ただ、貴国の女王様に話があるだけだ」

 リンが晶穂の前に自然と立ち、声の主を睨む。そして剣をいつでも抜けるようにペンダントを握り、用件のみを答える。

 すると前方から「ククッ」というこちらを小馬鹿にしたような笑い声が聞こえた。ガシャン、と再び近付いてくる。

 まだ影になってよく見えないが、相手はかなり大柄の男のようだ。

「では我が名を名乗ろうか。その方が貴公も名乗りやすかろう」

「……」

 リンの無言を肯定と受け取ったのか、男が影から姿を現した。

 身長はジェイスや克臣よりも高く、二メートル近くはあるだろうか。更にたくましい体つきで、その筋肉をひけらかすタンクトップのような服装だ。

 男は片手にメイスを持ち、それを軽々と肩に乗せた。自分よりも小柄な青年たちを見下ろし、余裕の笑みを浮かべる。

「我が名は、ダンパース。スカドゥラ王国最強の門番にして、メイデア女王様のボディーガードを務めている」

 ダンパースはメイスを勢いよく地面に振り下ろし、廊下に穴を空けた。どうだ、という顔でリンたちを見るが、それ程の衝撃を受けた様子がなくて怪訝な顔をする。

「何だ、お前ら。このメイスの力を目の前にして、動じないのか?」

「そういう棍棒のような武器は、攻撃が粗い。……俺たちは割りと経験があるから、お前の脅しは効かないな」

「ちぃっ」

 己よりも更に余裕のある顔で話す青年に、ダンパースは怒りを覚えた。これまで、彼に真っ向から立ち向かってくる恐れ知らずはいなかったのだ。だからこそ、メイデアに信頼されてボディーガードを務めてこられた。

 メイスを穴から引きずり出し、大きく振りかぶる。目の前にいる二人の頭を潰し、殺す心積もりでいた。

「女王様に用がある? 不敬も甚だしいぞ。そんな奴らには、このメイスを見舞ってやる!」

 そう言うが早いか、ダンパースはメイスでフルスイングした。空気を切り裂く音がして、一瞬音が失われる。

 しかし、手応えはない。あの、潰した時の手応えは何処だ。ダンパースが目を瞬かせると、背後で声がした。

「俺たちは、ソディリスラの自警団・銀の華。女王が俺たちの世界に土足で踏み込んだ。……即時撤退を要求する」

「お前たち、いつの間に……!?」

 驚愕に顔を染めるダンパースに、リンは剣の切っ先を向けた。メイスと比べれば薄く弱い武器に見えるかもしれないが、使い方次第だ。

 ダンパースのメイスが振られた瞬間、リンと晶穂はその軌道を読んで左右に分かれた。そして、男の背後に回り込んだのだ。ダンパースが大柄で緩慢な動きしかしないことが功を奏した。

 しかし、ダンパースはそれに気付かない。現在、彼の意識はリンの剣へと注がれている。

「そんな剣ごとき、我がメイスの敵ではない!」

「確かに、金属のメイス相手じゃ分が悪いと考えるのが普通だろうが」

 リンは切っ先を動かさず、わずかに目を細めた。

「残念ながら、俺は一人じゃないからな」

「なっ」

 今更ながらもう一人の存在に気付き、ダンパースは顔を上げた。しかし、もう遅い。

 ダンパースが顔を上げても、晶穂の姿は見えない。何故なら彼女は、ダンパースの背後にいたのだから。

「たぁっ!」

 ───ドコッ

「くっ。──おのれ!」

 晶穂の氷華の石突が、ダンパースの膝裏にヒットする。思わぬ攻撃に体のバランスを崩したものの、ただでは倒れない。

 ダンパースは倒れる自分の反動を使ってメイスを振り上げ、晶穂に打撃を与えようとした。

「負けないっ」

 晶穂は両手を突き出して結界を創り出すと、メイスを弾き返した。

 振り下ろした反動を使って体を戻そうと考えていたダンパースは、目論見が外れて横転する。

 ドスンという音が響き、巨体が倒れ込む。それでも立ち上がろうとしたダンパースの首もとに、リンは切っ先を当てた。

「これ以上は無意味だ。諦めて、を通せ」

 リンの後ろには、いつの間にかジェイスと克臣、それからユキとユーギ、唯文と春直が立っていた。晶穂も氷華を収め、尻餅をつくダンパースを見詰めている。

 そんな状況を見て、ダンパースは苦々しく呟く。

「……くそ。女に助けられるような奴に負けるなど」

「俺がやれば、お前の手は一生メイスを持てなくなると思うが、良いのか?」

 この言葉は脅しでもおごりでも何でもなく、事実である。それは、ダンパースが一番わかっていた。目の前の青年にはそれだけの腕前がある、と本能が気付いていた。

「申し訳ありません、女王様……」

 膝を屈したダンパースの両手を、克臣が持っていた組み紐で縛って柱にくくりつける。万が一メイスを持って乗り込まれれば、こちらとしても不都合だ。

 リンは全員の無事を確認し、少し表情を和らげた。

「全員、集まりましたね」

「そりゃあ、こんなところで立ち止まれないもんね」

「ユーギ、威張るところ?」

 ユーギが胸を張り、春直が苦笑する。そんな日常の風景が、彼らを安堵させる。

 しかし、まだ終わっていない。それどころか、最後の始まりだ。

「行こうか、リン」

 ジェイスに促され、リンは頷いた。

 彼らの目の前には、煌びやかな装飾と彫刻が施された扉がある。スカドゥラ王国女王・メイデアの自室へと繋がる扉だ。

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