第441話 外乱の行方
「ノア!」
ノアの鋭い爪がそんな怯える兵士の腕を狙う。剣を無我夢中で無茶苦茶に振り回す兵士の腕を引っ掻き、悲鳴を上げさせた。
「凄いな。うん、僕も負けてられないね」
梟のノアの活躍に触発され、エルハが
エルハの和刀は、以前日本で雑貨店「アレス」を経営していた頃に手に入れたものだ。経営の傍らで警護の仕事をしていたこともあったのだが、その時の依頼主を守った礼として、無銘の日本刀を譲り受けたのだ。
手に入れてから使う武器はこれだと決めて、幾つかの戦場を共に潜り抜けてきた。
エルハを迎え撃とうと緊張感をはらむのは、二人の兵士だ。どちらもまだまだ実戦経験に乏しいのか、体の動きが硬い。
「……来ないのなら、こっちから行くぞ」
宝と呼ばれる何かを運搬することだけを目的に編成されたためか、てんで手ごたえがない。それを少し残念に思いつつ、エルハは刀の峰を返す。
「ひぅっ」
エルハはため息をつきたくなる衝動を抑え、小さく独り言ちた。
「……弱い者をいじめるのは、好きじゃないんだがな」
「す……」
「ん?」
対する兵士のうちの一人が、何かを言いかける。どうしたのかと見れば、もう一人の兵士も少し驚いたらしく相方の肩を叩いていた。
「おいっ」
「……スカドゥラの兵は、弱くなんかない!」
――ドンッ
「おっと」
少しバランスを崩しかけ、エルハは足を踏ん張った。小石や雑草が爆風で吹き飛ばされ、肌を切る。
「エルハ?」
他の三人を相手にしていた融が、風圧に驚いて振り返る。彼に、エルハは苦笑して応じた。
「ごめん。煽ったらちょっとやり過ぎた」
エルハの前には、風を纏ってこちらを睨みつける青年の姿がある。
シーヤは風属性を持つ魔種なのだ。その鎌鼬を起こしそうな鋭い風の刃は、同僚ですら寄せ付けない。
「
「わかった。後のはおれに任せてくれ」
「ああ。シンも頼むよ」
「おっけー!」
融とシンが遠ざかった気配を感じ、エルハはシーヤと正面から向き合った。
「はあっ!」
シーヤは剣に風を纏わせ、突っ込んで来る。それを紙一重で躱し、エルハは足払いを仕掛ける。
しかし、シーヤは見事な反射神経でそれを跳び躱した。更に、怒号と共にエルハに向かって魔力を放ってくる。
「馬鹿にするな!」
「それは謝る。悪かった」
素直に謝りながら、エルハはシーヤの風牙を斬り果す。峰を返した刀であっても、打撃力があるのだ。
斬り捨てられても諦めず、シーヤは風の魔力を連投する。それらは全てエルハに躱されるか斬られるかして、徐々にシーヤの体力は奪われていった。
そして怒涛の攻撃に陰りが見え始めた時、エルハが突然懐に斬り込んで来た。
「なっ」
「健闘したが、終わりだな」
シーヤはさっとエルハから距離を取ったが、もう遅かった。シーヤと離れたことで自由になる範囲が広くなり、エルハはまた一歩力強く踏み出す。
エルハは地を蹴り、くるっと回転すると同時に背後を取った。そして、動けずにいるシーヤの背を峰で撃つ。
「ぐ……」
「峰打ちではないから。あれ、骨折れるらしいしね」
あくまで気絶させるくらいの力加減で。崩れ落ちたシーヤの昏倒を確かめると、エルハはもう一人の方を見た。
「ひっ」
こちらはシーヤほどの気概はないらしく、剣を正眼に構える手も震えている。エルハはふうっと息を吐くと、背を向けた。
「シーヤを介抱してやってくれ。そして、仲間と共にこの地を去れ」
カチッと和刀を鞘に戻し、エルハはシンと融を探す。
ここまで倒したのは、戦い喪失を含め十人中三人。後七人残っている。
「あ、エルハー」
「……シン」
苦笑いしか出て来ない。エルハの前に、宙に浮いて六人を己の体で締め付けるシンの巨体があったのだから。兵士たちは泡を吹いたり気を失ったりもがいたり、と苦しそうにしている。
「これは……もう良いんじゃないか? 解放してやって、睨みを利かせておけば何もしないと思うよ」
「わかった」
素直に頷いたシンが、音もなく着地する。そして六人を開放すると小さな姿に戻った。真の姿は大量の魔力を消費して維持するため、ここぞという時にしか変化しないのだ。
六人のうち一人が着地のわずかな衝撃で目を覚ましたが、エルハとシンに見られていると気付くやいなや「ひっ」と声にならない悲鳴を上げた。
ここは、シン一匹で問題ないだろう。
シンに全てを投げ、エルハは融を探す。すると、少し離れた場所から上から圧しつけられるような力の波動を感じた。
「シン、ここは宜しく」
「はーい」
脱力しそうになるシンの声に送られたエルハが駆けて行くと、行真と対峙する融の姿があった。
フードを脱ぎ、水色の髪と紫の右目を
融の力は、魔力とは少し違う。念力や超能力と言った方がしっくりとくるが、波動や圧力に近い。
その力を使い、融は行真を拘束していた。行真は足をばたつかせて逃げようとしているが、腕を自由に使えなければ無駄だ。後ろ手に縛られている形なのだから。
「融、腕を上げたね」
「エルハ……」
近付いて来るエルハに気付き、融はその眉間のしわを少し和らげた。しかし力の強さは変えず、行真は動けないままだ。
「あんたの方はもう終わったのか?」
「ああ、他もシンが片付けてくれたから。彼さえ戦闘不能に出来れば、ミッションコンプリートかな」
「そうか」
先程まで手にしていたはずの剣を、融は既に仕舞っている。最初は斬り合いもしたのだが、傷つけることを目的としない融はその手段を自ら消した。
「ぐ……かはっ」
「あ、落ちたな」
カクリと行真の頭が支えを失う。気絶したらしく、だらんと肢体が力を失った。少し、きつく締め過ぎたらしい。
力から解放し、その辺りの木の根元に寝かせてやる。それから、シンを呼んだ。
「なに?」
「シン、悪いんだけど彼らを全員戦艦に送り届けてくれないかな?」
「わかった!」
くるんっと真の姿に戻ったシンは、エルハと融の手で行真たちが乗せられるのを待ち、大空へと飛び上がった。この辺りの住人たちは、シンを見慣れている。騒がれることはないはずだ。
「これでよし、か」
シンが空の彼方に消えるのを見送り、エルハはほっと息をつく。これで、行真たちがスカドゥラ王国に帰ってくれればそれで良い。
「帰るのか?」
「ああ、いや……彼らが港を離れたとわかった後で良いだろう」
「そうか」
ほどなくして、シンが帰って来るはずだ。気絶した兵士たちが目覚めるのには時間がかかるだろうから、シンが戻り次第港を見に行こう。
そこへ、空を飛んでいたノアが戻ってくる。バサバサと翼を動かして融の差し出した腕に止まると、毛づくろいを始めた。
「エルハ、あんたは絶対に負けたくない奴がいるか?」
「どうしたんだい、藪から棒に?」
「良いから」
融にせっつかれ、エルハは腕を組む。残念ながらそういう相手には出会ったことがなかったが、そう言っても融は納得しないだろう。
(融の念頭にあるのは、リンだな)
リンと張り合う融が少しかわいく思えたが、エルハはそれを顔には出さない。そして、ふと師匠の姿を朧げに思い出した。
「僕に刀を教えてくれた、師匠かな」
「あの人に恥じないよう、生きたいと思うよ」
「恥じないよう、か」
剣の柄を握る融の手に力が入る。彼が何を思うのか、エルハには知る由もない。
「ふたりとも~」
そこへ、呑気な声が響いた。二人が顔を上げると、シンが小さな体を旋回させて降りてくるところだった。
僕らが出来るのはここまでだ。エルハは港に向かいながら、心の中で遠くにいる仲間たちに呼び掛ける。
(帰って来いよ。そうじゃないと、彼らの計画が頓挫してしまうからね)
それをエルハたちに教えてくれた時の彼らの顔を思い出し、エルハは少しだけ口元を緩めた。
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