第434話 魔犬戦

 ――ウォォォォーン

 何処からか、狼の遠吠えが聞こえる。しかも、それは一つではない。二つ、三つ……やがて十以上の咆え声がこだました。

 ジェイスと克臣は背合わせになって、互いの死角を守る。

「おい、狼を相手にするの二度目じゃねえか?」

「あれは女神の使った化け物に呼び寄せられていたけど、こちらはベアリーに呼び寄せられたってところかな」

 冷静な分析をする二人に、ベアリーは鼻で笑った。

「正解だ。私は何も、一人でお前たち二人を相手にするとは言っていない。犬人は、犬と狼どちらの血も入っているから。これくらいのこと、造作もない」

 指笛を鳴らしていた指を唇から離し、ベアリーが右手をさっと挙げる。すると、それに応じるようにして、五頭の狼が姿を現した。

 狼の内の一頭の顎を撫でてやり、ベアリーは笑む。狼は敵意を剥き出しにして、ジェイスと克臣を睨みつけた。

「いや。同じ犬人の唯文は出来ないぞ、こんなこと」

「ならば、そいつの鍛練が足りないんだろ」

 克臣の冷静なツッコミは、当然のごとく切り刻まれた。ジェイスはお前だけだろ、という反論を飲み込む。

「……なんにせよ、狼たちをどうにかしないことには仕方がないか」

「これ、虐待にはならないのか?」

「正当防衛を主張しようか」

 乾いた笑みを見せるジェイスに、克臣は「だよな」と苦笑を返す。野生の狼だろうが魔物だろうが、先に襲ってきたのは向こうだ。

「……お話は済んだか?」

 待ちくたびれたとでも言うように、ベアリーが肩をすくめた。そんな仕草すら、美女がやるとさまになる。

「悪いが、さっさとお前たちを殺して女王様に報告したい」

「残念ながら、わたしたちも殺される気なんてサラサラない。それに、わたしたちはお前を殺さない」

「殺さずに、この戦いが終わると? 笑わせる」

 少しも可笑しくなさそうに吐き捨て、ベアリーは鼻を鳴らす。同時に狼たちをけしかけ、更に指笛を鳴らした。

「証明してみせろ、殺さずに」

 狼たちが飛び出し、ジェイスと克臣を取り囲む。唸り声を上げて吠えかかる彼らに、克臣は「しかたねぇな」と大剣を振りかざす。ジェイスは魔法陣を展開し、何本もの見えないナイフを円上に並べた。

「克臣」

「おう」

 それだけで、二人の会話は十分だ。

 ジェイスがその場で跳躍すると同時に、克臣がすぐさま「竜閃」を繰り出す。輝く金色の竜が、狼たちの足元をすくうように駆け抜ける。

 竜閃が走った後には、倒れて呻く狼が五頭いた。

「終わりか?」

「───っ、まだだ!」

 ニヤッと笑って煽ってくる克臣に乗り、ベアリーは再度指を唇に当てる。そうして呼び出された新手は十頭。半分が前衛に出て、残りはベアリーを守るように防御を固めている。

「いっ……!?」

「ごめんね」

 ベアリーが前衛五頭に命令しようとした直後、ジェイスが落下のスピードを利用して高速で落ちてくる。そして謝罪と同時に回し蹴りを繰り出し、狼を一掃した。

 ナイフを使えば、斬って命を奪いかねない。ジェイスはあくまで威嚇用にナイフちらつかせたまま、蹴り一技で狼の戦意を喪失させた。

「く……クゥン」

「あっ、こら!」

 再び指笛を吹こうとしたベアリーだったが、狼たちの行動の方が速かった。戦いに出なかったものたちが逃げ去り、次いでジェイスたちに伸された狼がよろよろと後に続く。

「女神の使いが使役した時とは、雲泥の差だね」

 ぼそりとジェイスが呟いた言葉は、ベアリーのプライドに傷をつけた。羞恥と怒りで顔を染め、ベアリーは眼光鋭い瞳で睨み付けた。

「女神がどれ程のものかは知らない。だが、私の矜持に傷をつけることは許せない!」

 ベアリーは人差し指と中指を唇に押し当て、指笛を吹いた。それは、狼たちを呼んだ曲とは別の調べ。何処か、悲しみと底知れぬ怒りを湛えているような音楽だった。

 ──ザワリ

「何だ、今の」

「わたしにも何かは……」

 全身が総毛立つような感覚に陥り、克臣とジェイスは武器を構えた。二人を中心にして、何かが集まってきている。

 その何かは、先程の野生の狼とは比べ物にならない圧を持っていた。魔力の気配すらも漂わせ、威圧してくる。

 ベアリーは警戒する二人に向けて、満足げな笑みを送った。

「何が来るか、わからずに警戒しているのだろう? 安心しろ、正体は教えてやろう」

 得意げに豊満な胸をそらし、ベアリーは再びあの旋律を奏でた。

 すると何処からか、黒い毛並みの獣が彼女のもとへと馳せ参じる。その瞳は金色に輝き、ベアリーに頭を撫でられ甘えていた。

「狼や犬、ではないね」

「ええ、ご明察。これは、我が一族に古くから仕えている魔犬まけん。獣だけれど魔力を持ち、それを自在に操れる。……こんな風に」

 ベアリーが指を鳴らすと、彼女に甘えていた魔犬が表情を変えた。黄金の瞳でジェイスと克臣を見、一声吠える。

 すると魔犬の周りを風が舞い始め、やがて竜巻のような風速へ至る。暴風をまとったまま、魔犬はひらりと跳んだ。

「ウォゥッ」

「なっ」

 落下と共に突進してきた魔犬が、風を己から分離する。そして、竜巻をジェイスに叩き付けた。

「くっそ……」

 ジェイスは辛うじて展開した防御壁によって風をいなすが、風に巻き込まれた小石で腕に切り傷を負った。

「ジェイス!」

「克臣、わたしよりも自分を心配しろ!」

 克臣がジェイスに加勢しようとしたが、それを隙と捉えた魔犬本体が飛び掛かる。彼らは揉み合いになり、魔犬の牙が下敷きになった克臣の腕に食らい付く。

「ぐっ……!」

「克臣!?」

 ぎりぎりと突き立てられ、克臣の腕からは血が小さな滝のように流れていく。素早く竜巻を刻んだジェイスが手を伸ばすと、克臣は首を横に振った。

「まだ、いける。頼んだぜ」

「お前は……。わかった」

 克臣の意図を汲み、ジェイスはベアリーに向き合った。

「何で……。何で魔犬に噛まれて平気なんだよ!?」

 あくまで冷静に戦おうとするジェイスに対し、ベアリーは今や錯乱状態に近い。何かが彼女を追いたてているのだ。

 ジェイスが問うよりも崎に、ベアリー自身が話し始める。

「魔犬は、我が国特有の魔物。それを操れるのは私の一族のみ。だからこそ、軽んじられることなく女王様のお側に居られたというのに……」

 奥歯を噛み締め、ギリッと音を鳴らした。

「私に従う魔犬は、未だこの一頭のみ。更なる魔犬の使役の許しを得る、これはその試練。なのに───っ」

 ベアリーの一族は、古来より魔犬と共に過ごしてきた。適齢期となると、一族の若者にはそれぞれに試練が与えられる。

 自分と同時期に生まれた魔犬のみならず、他の魔犬をも使役するための試練。多くは、若者の暮らしの中に潜り込ませた死戦がそれとなる。ベアリーの場合が現在の戦いだということらしい。

 試験で認められれば、他の魔犬をも無尽蔵に使役して、国のために働くことが出来る。しかし認められなければ、待っているのは恐らく、死だ。

「きみは、何か勘違いをしているようだ」

 今にも髪をかきむしらんとするベアリーの変わり様に驚きつつも、ジェイスは冷静さを保って語りかける。

「克臣が耐えるのは、平気だからじゃない。……きみを油断させるのが目的だ」

「なっ……」

 ベアリーがハッと気付いた時には、もう何もかもが遅かった。

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