第428話 爆音

 リリンッリリンッと鳴り止まない端末を取り出し、通信相手の名前を見たリンは目を瞬かせた。

「……エルハさん?」

 思わず口に出した名を持つ人は、電話口で穏やかに微笑んだようだった。その微笑みには、少しの焦燥を孕んでいる。

「やあ、リン。ようやく繋がった」

「ようやく?」

「何度もかけたけど、圏外って。きみたち、今何処にいるんだい?」

 エルハに言われ、リンは初めて神庭が圏外だということに気が付いた。考えてみれば、山脈の向こう側なのだから圏外であってしかるべきなのだろうが。

 そして、その着信履歴の多さにも驚いた。通話を切らずにそれを確認し、リンは「すみません」と謝る。

「ちょっと立て込んでて……気付かずにすみません」

「いや、僕もすまなかったよ。ただ緊急とそうじゃない用事とがあって、連絡しただけだから」

「緊急?」

 リンは四方に警戒を続けるながら、エルハの言葉に耳を傾ける。

「そう。……リン、スカドゥラの戦艦がソディリスラに一度向かい、戻ったことは知っている?」

「はい。一戦交えました」

「そうか。なら、もう一度動いていることは?」

「……いえ」

 ちらりと隣に立つジェイスを見ると、わずかに音声が聞こえているのかかぶりを振る。頷き返して、リンは端末を掴む手に力を入れた。

「詳しくはまた話しますが、仔細あって今、神庭という場所にいます。スカドゥラの女王は、この地にある宝物を狙っているんです」

「その仔細が気になるけど……宝物か。リンはそれが何か知っているのかい?」

「……はい」

 エルハ相手に嘘をつく必要などない。問われれば、宝物が「甘音」という幼い女の子だということも伝えようとしていた。しかし、エルハは別のことを口にする。

「きみたちが知っているならいい。それを守るんだろう?」

「勿論です」

「なら、伝えておくよ」

 エルハは詳細を聞かず、何となく状況を察しているようだ。わずかな緊張感を含む声が続ける。

「スカドゥラにおいて、強力な魔力反応を捉えた。『扉』に匹敵するものだと、僕らは考えている。そして、それはソディリスラの北の大陸にもあるんだ。……二つの間を、何かが移動した」

「移動……」

「あの国の女王は油断ならない。何か危険なものを移動させたに違いないから、十分に気を付けて」

「わかりました。ありがとうございます、エルハさん」

 では。そう言って通話を切ろうとしたリンに、エルハは付け加えて伝言を頼んできた。少し笑いを含む声がいぶかしい。

「リン、年少組の誰かに伝えてくれるかい? 『任された』って」

「は、はい。わかりました……」

「ふふっ、じゃあね」

「……?」

「どうした、リン」

 通話の切れた端末を見詰めるリンに、ジェイスが問う。リンは微妙な顔をして、いえと眉をひそめた。

「エルハさんに最後、年少組に伝言をと託されました」

「……ああ」

 ジェイスは何かに合点し、微笑した。彼と克臣もまた、エルハの言う意味を理解している。知らないのはリンともう一人くらいのものだ。

「あの」

「じゃあ、もう一つはこの気配に関連するかな」

 ジェイスは若干不自然な話の切り変え方をした。それを深く追及することはせず、リンは肯定する。今は、言い合いをしている暇はない。

「はい。スカドゥラが何かを移動させたらしいですから、注意を怠ら……」

「来たね」

「──!」

 ジェイスが瞬時に戦闘態勢に入る。リンが空気を切り裂く音に顔を上げると、何かが物凄い勢いでこちらへ向かって来る。

 それを見極め、リンは舌打ちしたくなった。

「何で、大砲の弾なんてもんが飛んでくるんだよ!」




 晶穂はいつの間にか、甘音を追いかけていた。甘音が息を切らせて「はやくはやく」とせっつく。

「まっ……ううん、待たなくて良い。追い付くから!」

 待って、と言いかけた晶穂は、それを瞬時に撤回した。早く行かなければならないのは、甘音よりも晶穂なのだから。

 二人して走り、ようやくあの巨木が見えてきた。それは変わらず泰然としていて、こちらを簡単に圧倒する。

「っはぁ、はぁ……ここで、どうしたら良い?」

「はぁ、はぁ。……わたしが木と繋がるので、晶穂さんはわたしの左手を」

 晶穂が差し出された小さな手を掴むと、甘音は何度か大きく呼吸して心臓を落ち着かせた。

「はぁ……よし」

 甘音が目を閉じると、ポワッと彼女の体が発光する。その蛍のような儚い光は、点滅しながら徐々に強くなっていく。

 光が木へと伸び、次いで晶穂へも手を通じて広がっていく。それは温かく、まるで冬の日だまりのようだ。

「……!」

 何かが、晶穂の体へと伝わってくる。顔を上げて木を見れば、甘音の光と同調している。その輝きは眩しくも、優しいと感じられた。

(これが、木の魔力……?)

 少しずつ少しずつ、晶穂の中で失われかけていたものがたまっていく。木の力が晶穂の魔力に働きかけて、その回復を助けているのだ。

 いつの間にか、晶穂も甘音同様に目を閉じていた。音もなく、それは美しい光景としてそこにある。

「……晶穂さん?」

「あっ……」

「調子はどうですか?」

 晶穂が目を開けると、気遣わしげな甘音がこちらを見上げている。気付かない内に木との繋がりは切れたらしく、晶穂と甘音が手を繋ぐのみだった。

「うん。……びっくりしたよ、これなら大丈夫。ありがとう、甘音」

 体の魔力は充填され、過不足はない。それどころか、精度も上がっている気がした。

 晶穂が礼を言うと、甘音は嬉しそうに笑みを溢した。

「はいっ」

「それと」

 晶穂の目が、大樹へと注がれる。既に甘音との交流を絶ったが、その穏やかな光は健在だ。

「あなたの力のお蔭、ありがとうございます」

「ありがとうございますっ」

 大樹に言葉も感情もないはずだが、そう言わずにはいられなかった。晶穂に続いて甘音も頭を下げると、偶然か風に木の枝がそよいだ。

 何となく、礼に対する返答のように見える。晶穂と甘音は顔を見合わせ、微笑み合った。

「そろそろ、戻るね。甘音はレオラとヴィルのと一緒に隠れて……」

「わたしの魔力も、戻りましたよ? 少しくらいは役に立てます! だから一緒に。もう、二度とないから、一緒に行きたいです!」

「甘音……」

 甘音の言う通り、彼女と一緒にいられる時間は限られている。その最後の時まで共にと願う彼女を突き放すことは、晶穂には出来なかった。

「……わかった。だけど、あなたはレオラたちと共に。彼らなら、戦いに夢中なわたしたちよりも冷静に彼方を守れる。レオラたちと一緒にいて、サポートしてくれる?」

「わかりました」

 これ以上の譲歩は出来ないと思っていた晶穂は、素直に頷く甘音にほっとした。

 二人がリンたちのもとへと戻ろうとしたまさにその時、激震が走り、何かが爆発した音が響いた。

 ──ドクンッ

 晶穂は嫌な予感を覚え、血の気が引く感覚を味わった。だからといって、留まれない。

「……戻るよ、甘音」

「はい」

 二人は何かに追い立てられるように、その場からもと来た道を駆け出した。

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