第426話 待たせ過ぎた言葉
現れたのは、白銀の髪と瞳を持つ神秘的な雰囲気を持つ青年だった。このソディールという世界の創造主たる神・レオラである。
「レオラ……」
「この前ぶりだな、リン」
すっと目を細めたレオラは銀の華の面々を軽く見回すと、自分の登場に固まるヴィルへと目を向けた。
ヴィルはレオラを目の前にして、頭が真っ白になっていた。この前神庭で出逢った時とは、何かが違う。
美しく凛々しい青年の姿に、ヴィルは自分が惚けていることにも気付かない。彼の愁いをはらんだ瞳が、真っ直ぐにヴィルを捉えていた。
「ヴィル」
「っ、はい」
わずかに怖じ気付いたらしいヴィルの肩が跳ねる。その様子に思う所がないわけではないが、レオラはあえて反応を示さない。
「リンに問われ、答えなかったお前の答え、
「───っ」
自然な動作で、レオラの片手がヴィルの髪をすく。指がちらっと彼女の耳に触れ、ヴィルは顔を赤くした。
リンや晶穂たちは、遠巻きに二柱の様子を見守っていた。しかし、その甘く艶やかな雰囲気に呑まれて動けないでいる、と言うことも出来る。晶穂など、顔を真っ赤にして胸を押さえるように手をやっていた。
「……すまなかったな、ヴィルアルト」
「え?」
思いがけない言葉に、ヴィルは顔を上げた。すると、レオラの目と彼女の目が交わる。
レオラの手がヴィルの髪から離れ、一房の髪が風に舞った。
「あの、何故謝られるのですか?」
困惑するヴィルに、レオラが「何故?」と反対に問い返す。
「我がお前に謝らなければならないと考えたからだが……何かまた間違えたか?」
「いえっ、間違えたなどと」
「ならば、良いだろう」
口元を緩め、レオラはヴィルの手を引いた。
「あっ」
急な動きで、ヴィルの体勢が崩れる。しかし倒れることはなく、レオラの腕に包まれただけだった。
「レオ、ラさ……」
展開に頭がついていかない。夫の名を呼ぶことしか出来ないヴィルの耳元に、レオラは唇を寄せた。
「……愛してる」
「────ッ!?」
ヴィルの全身が秋の紅葉のように、鮮やかな赤に染まった。胸が破れんばかりに鼓動を打ち、酸素が大量に送られているはずなのに息が詰まりそうになる。
「な……っ」
「これまで、我の想いなど伝わっているだろうと過信し、言葉で伝えることを怠ってきた。しかしお前は言葉で伝えてほしかったのではないか、と我は思い当たったのだ。……それが、この件の原因と考えたのだが、相違ないか?」
「レオラ様……」
何故、そのような切なげな顔をするのですか。ヴィルはそう尋ねたかった。しかし喉がひりつくように渇いてしまって、うまく声を出せない。
「……っぁ」
少しずつ少しずつ、まるで乾いた大地に一滴の雨水が浸透するかのように。ヴィルの中にレオラの一言が染み渡っていく。
たった一言のためにどれだけの時間と労力をかけるのかと呆れられるだろうが、ヴィルにとってはそれほど待ち望んだ表現だった。
「あ、あなたはっ」
「ああ」
「ずっと、その一言さえくださいませんでした」
「……ああ」
レオラはただ、相槌を打つだけだ。それでもヴィルは、溢れてくる言葉を押し留める術を知らない。
「あなたがわたくしを愛してくれている、それは態度や言葉の端々から感じていました。けれど、わたくしは欲張りなのです」
「ああ」
「あなたの気持ちを、感情を、言葉にして欲しかった。毎日言ってくれなんて言いません。ただ、時にで構わないのです。……ただ、わたくしをどう思うのかという気持ちを、時折言葉で下さいませんか?」
「ああ。ずっと、待たせたな」
「本当です。あっ……愛しているのは、わたくしだけなのかと、あの時から不安で不安で、崩れ落ちそうでした!」
叫ぶように言い放ち、ヴィルは真っ赤な顔のままで俯く。震える細い指を握り締め、血が通わず白くなっている。
ヴィルが言う「あの時」とは、天歌がやって来た時のことだろうか。それとも、天歌がレオラの子を孕んだ時のことだろうか。
どちらにしろ、ヴィルにとっては胸が潰れる思いをした出来事だった。天歌とはレオラを愛した者同士の結び付きを編むことは出来たが、それで不安が拭えるわけではないのだ。
ヴィルは黙ったままのレオラの胸にすがり、泣きそうな顔をして訴える。
「面倒な、憐れな女と蔑まれようと構いません。わたくしは、あなたの最愛でありたいのです! その為に出来ることをしてきたと自負しておりましたが、あなたは銀の華やソディールという世界のことばかりでした。……寂しくて、悔しくて、どうにかなってしまうのではないかと恐ろしかったのです」
だからといって、女神が干渉を許された範囲を越えた過干渉をした。レオラが大切な友だと言う者たちを傷付け、次期姫神の娘を怖がらせた。それらのことが、帳消しになるわけではない。
ヴィルは涙を拭い、レオラの胸を押した。そして離れ、遠巻きに自分たちを見詰めるぎんの華の面々に頭を下げる。
「……わたくしは、自分勝手でした。己のために、たくさんの者たちを巻き込んだ。許してくれとは言いません。ただ、元に戻すために力を使わせていただけませんか?」
「……あなたは、本当にレオラを愛しているのですね」
晶穂が進み出て、女神の前に立つ。その口からこぼれ落ちる言葉は、悲哀を含んでいた。
ヴィルは「ええ」と頷く。それを見て、晶穂は一度口を閉ざした。
しかし、長くは続かない。大きく息を吸い、吐き出すように「ならば」と泣きそうな顔で言う。
「ならば、伝えればよかったんです! あなたを愛している、と。あなたの言葉が欲しいのだと! レオラも勿論、伝えなかったことは悪いです。けれど、あなたも早く、何がなんでも伝えるべきでした。──違いますか?」
「何も、言い返す言葉もありません」
「……我もない」
永い時の中、二人で話す機会は幾らでもあったはずなのだ。それなのに、切っ掛けさえ掴むのを怠ったのは、ヴィルとレオラの怠慢だ。
長くとも、それは永遠ではないと早く知るべきだった。
俯くしかないヴィルに、晶穂は「でも」と小さく言い添える。
「わたしも、あなたのことを言えないのです。恥ずかしくて、伝えるのが遅くなるから」
「晶穂……ありがとう。言いにくいことをはっきりと言ってくださって」
晶穂の手を包み込み、ヴィルは花のように微笑む。その艶やかな美しさに、晶穂は胸が詰まる。
「伝えることの大切さに、改めて気付けました。……出来れば、こんな
ヴィルはそう言うと、晶穂の後ろに揃う銀の華のメンバーにも微笑みかける。
「神庭の結界を、元の形に戻しましょう。わたくしのせいで全てを拒絶する壁でしたが、戻せば来るべき存在を受け入れる膜となります」
そして、甘音を見付けて目を細めた。
「本当に、天歌に似ている。あなたが、わたくしたちと地上を繋いでくれるのですね」
「──はい、ヴィルさま」
はっきりと言い切った甘音の瞳に、もう迷いはない。銀の華のぬくもりと神々の人柄に触れ、どちらも見守りたいと強く想うようになっていたのだ。
「ありがとう、甘音。……天歌の末裔よ」
小さく付け加えた最後の言葉は、レオラ以外には届かない。レオラもようやくほっと微笑むと、ヴィルの手を取った。
その温かな手が、ヴィルに力をくれる。女神は目を閉じ、光輝く魔法陣を描き出す。
古代文字と模様が描かれ、金に輝く糸が幾筋も伸びていく。伸びた糸は結界を伝い、いつしか結界の中心にたどり着いた。
糸のたどった道程に合わせてひびが入り、パキンッという涼やかな音が響く。
キラキラとヴィルの創った結界の欠片が雨のように落ち、辺りを輝かせる。
「綺麗……」
「そうだな」
リンと晶穂は顔を見合わせ、照れ笑いを浮かべた。
「……見付けた」
ヴィルの結界が壊れ、外界と隔絶された特殊な空間が浮かび上がる。それを見詰める女が一人、扉の傍で双眼鏡を覗いていた。
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