第419話 命令の上書き

 爽やかに海風が吹き抜ける。スカドゥラ王国屈指の巨大港において、白波をたてながら碇を下ろした船があった。

 船は漁船ではなく、大きな戦艦だ。大砲まで備えた本格仕様である。

 その戦艦から、二十名ほどの人々が地上へと下りていく。そのほとんどは兵士だが、中でも唯一人の女性が目を惹く。犬人の美女で、凛とした横顔は同性でも惚れ惚れするほどだ。

 その美女──ベアリーは淡々と戦艦を定位置に置くよう兵士に指示すると、ダイと行真いくまを連れて王城へと足を向けた。

 登城門を潜り、門番に挨拶する。それから、無言で城の役人用入口を通る。更に静謐な廊下を進んでいくと、大臣の一人と行き合った。

「お帰りなさいませ、ベアリー様」

 彼は丁寧な仕草で頭を下げ、にこりと微笑む。年齢的にはそちらの方が上だが、女王の側近という立場にあるベアリーが更に上位に位置する。

「はい、只今戻りました。……女王様は」

「執務室にてお待ちですよ」

「わかりました。ありがとうございます」

 ベアリーも幾分柔らかな物腰で礼を返し、そのまま進んだ。彼女も年上に対する礼はわきまえている。上官位にあるからといって、それにおごれば足元をすくわれる。

 彼女に続くダイも礼を返し、行真に至っては恐縮し過ぎて多少びくつきながら頭を下げていた。普段兵団にいる彼にとって、王城は未知の領域だろう。

「そんなに恐れなくても良いわ。もう少し、肩の力を抜きなさい」

「ベアリー、それは無理がある」

 ベアリーが行真の様子に呆れて物申すと、ダイが苦笑気味にフォローを入れた。

「行真は一介の兵士だ。彼のような身分の者がベアリーのみならず女王にも拝謁を、となればこうなるのも致し方ないだろう。オレたちは慣れすぎたんだ」

「それも、一理ね」

 ダイの言葉に納得し、ベアリーは目の前に迫った一つの戸の前で立ち止まった。王城の奥にあるそれは、シンプルながらも高級木材でしつらえてある。

 スカドゥラ王国の女王のための執務室、その入口である。

「……ふぅ」

 帰港前に連絡をいれてあるとはいえ、ベアリーの背には汗が伝う。内容を覚えていないとはいえ、命令を遂行せずに帰ってきたのだ。一瞬で首をはねられても文句は言えまい。

 首をはねられれば、文句も何も言えないのだが。死人に口無しである。

 トントン。緊張の面持ちでノックすると、中から「入りなさい」というメイデアの返事が聞こえた。

「失礼致します。女王様、この度は大変申し訳ありませんでした。このベアリー、命をもってお詫びを……」

「そんなことをされれば、私が困ります。ベアリー、ダイ、そして……行真、かしら」

 ベアリーの自死を思い止まらせ、メイデアは行真に視線を移した。

 女王と直接対面したことで、行真の緊張度は急上昇だ。真っ赤な顔をして、視線を彷徨わせる。

「行真、応えろ」

 バンッとダイに背を叩かれ、行真は己の役割を思い出した。居住まいを正し、真っ直ぐにメイデアを見る。

「はいっ、わたくしが行真でございます」

「行真。今回はあなたがこの二人にわたくしの命を思い出させた……いえ、改めて教えたと聞き及びました。感謝します」

「あっ、いえそんな……。わ、わたくしは己のやるべきと思ったことをしただけでございます」

 興奮気味の行真に褒美を与えると約定すると、メイデアは行真を休ませるために兵舎へ帰した。

「ふう。良い印象を残すというのは、なかなか骨が折れる」

 メイデアは自分の肩をもみ、苦笑した。ベアリーは自然な仕草でお茶を入れると、メイデアの斜め後ろに控えた。そこが彼女のいつもの立ち位置だからである。

 しかし、今日は違った。

「ベアリー、こちらへ」

「はい」

 メイデアに乞われ、ベアリーは彼女の斜め向かい側のソファに腰を下ろす。その対角線上にはダイが座り、三人の真ん中には大きなテーブルがある。

 テーブルの上には、この世界の地図が広げられていた。

 何かに気付いたダイが一点を指差す。

「このバツ印は何を示すのですか?」

 ベアリーが身を乗り出すと、確かにスカドゥラ王国のある場所に赤色で「✕」が描かれている。それ一つだけかと思えば、もう一つの同じ印がソディリスラの北部に描かれていた。

「ああ、それは……『扉』の位置よ」

「「扉?」」

 ベアリーとダイの声が重なり、大きな疑問符が宙を舞う。メイデアは特別な秘密を打ち明ける少女のように、ふふっと笑った。

「お前たちは知らないかい? この世界でソディリスラにのみあった、異世界と繋がるとされる『扉』だよ。以前は聖域や神域と言われる場所に点在していたんだけど、ここ数年のうちに全て消えてしまったんだ」

「え? でも今、扉の位置だと……」

 ダイが首を傾げると、メイデアは「そう」と意味深に微笑んだ。

「何故かはわからないけれど、復活したの。しかも、我が国とソディリスラを繋いでくれる。……これを、使わない手はないでしょう?」

 メイデアは、研究者たちと共に実際に扉のある場所を訪れた話を二人にした。それを聞きながら、ベアリーは脳内で扉を使った攻撃方法を構築していく。

「女王様」

「何、ベアリー?」

 ベアリーは膝の上で手を握り締め、メイデアの顔を真っ直ぐに見て口を開いた。

「行真から聞いたのですが、女王様は『神庭の宝物』を手に入れるために我らを派遣したのですよね」

「ええ。そして、目的を達する邪魔になる彼らも殲滅するよう指示をした」

「……?」

 彼らとは誰か。ベアリーは頭の何処かにもやがかかったような不快感を感じつつも、メイデアの言葉を待った。

「銀の華と呼ばれる自警団。待っていて、資料を取ってくるから」

「あっ、私が」

「良いのよ。わたくししか知らない場所だから」

 そう言うと、メイデアは一人で執務室を出ていった。

「はい、これを見て」

 五分もかからずに戻ったメイデアが二人に見せたのは、小冊子程の厚さの紙の束だ。

 ベアリーがめくると、隠し撮りらしき写真と共に構成員の名前と能力が書かれている。銀の華の団長だという青年は、まだ二十歳前半だという。

「子どもばかり、ですね」

「でしょう。だから、あなたたちならば簡単だろうと思ったけれど……甘かったらしい」

 メイデアはベアリーたちが記憶を無くした件を言っているのだとわかり、ベアリーとダイは肩をすくめるしかない。銀の華の者たちと出会ったことすら記憶にないのだから。

「過去のことをとやかく言うつもりはない。だから、今新たな命令をする」

 メイデアは地図のバツ印を交互に指し、ニヤリと笑った。

「これからわたくしが言う計画を、全て実行すること。そして必ず銀の華を滅し、宝物を手に入れなさい」

「「御意」」

 応、と答えることしか許されない。一度の失敗は不問にされても、おそらく次はない。

 ベアリーとダイは意識を切り替える。そして、メイデアの言葉を一言一句聞き漏らすまいと前のめりで話に耳を傾けた。

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