第418話 複雑で面倒な乙女心
目の前に現れた美女を見て、甘音は固まってしまった。こんなに美しい人を見るのは初めてで、ぽうっと見上げて声も出ない。
サファイアのような青い瞳と、白に近い青空のような水色の髪は風にたなびく。服装は何処かの神殿に仕える巫女のように洗練されたデザインだ。
美女は甘音と目線を合わせるためにしゃがむと、微笑んで見せた。
「わたくしの名は、ヴィルアルト。皆にはヴィルと呼ばれているわ」
「あ、わ、わたしは甘音、です」
テンパっておろおろとする甘音に「知っているから安心して。可愛い」と称してその頭を撫で、ヴィルは次いで小さな手を引いた。
「いらっしゃい。あなたがここに来た理由を、教えてあげます」
「……は、はい」
手を引かれるがまま、甘音はヴィルについて行く。その後ろを、諦めたように苦笑いした天也が追う。
甘音がちらりと振り向くと、何処までも続きそうな森がそこにあるだけだった。
あの巨木の根本に腰を下ろし、ヴィルのことを信頼出来るはずだと甘音はごくっと息を飲んだ。隣には天也が座り、甘音を見守っていた。
ヴィルはしばし、甘音の瞳を覗き込むように見詰めていた。しかしほっと息をつくと、そっと甘音の頬に指を触れさせた。
「!」
ひんやりとした手の感覚に、甘音は一瞬身を震わせた。それでもやはり、怖くはない。
ビクッと反応した甘音に気付き、ヴィルは気遣わしげな視線を送る。
「ごめんなさい。冷たかった?」
「いえ、大丈夫です」
ふるふると首を左右に振り、甘音は否定の意を示した。それに安堵したらしいヴィルは、頬から肩へかけて順に移動させていく。
その優しい手付きに、甘音は次第に心が落ち着いてくるのを感じた。母親に撫でられているような、そんな感じがする。
「……やっぱり、あの
「あの娘?」
かくんっと甘音が首を傾げると、ヴィルは懐かしむような目で遠くを見やった。
「ええ。……初代姫神だった娘で、名を
「初代姫神さまも、似た力を?」
「あなたのように眠らせたものの特定の記憶を失わせるものではなかったけれど、人を心地よくさせる歌をよく歌っていたわ。今思えば、あれも強大な魔力がなせる技だったのでしょう」
天歌はその名の通り、歌を歌うのが好きだった。暇さえあれば歌い、自然の全てと打ち解けていた。
そして、いつしかレオラやヴィルとも心を通わせるようになっていったのだ。
「天歌さまと似ているから、わたしをここに連れてきたのですか?」
「勿論、最終的にここに来てもらうことに違いはないわ。だけどそれでは、レオラを困らせられない」
ヴィルは深刻そうな顔をしてうつむき、不安げに見詰めてくる甘音に気付いて表情を明るくした。
「ごめんなさい、わかっているのよ。……こんなことをすれば、余計にあの方を遠ざけると。わたくしの我が儘を押し通して世界を混乱させても良いことは何もないと。でも、それでも」
「それでも、ヴィル様はレオラ様に気付いてほしいことがあるのですか?」
甘音の真摯な問いに、ヴィルはこくんと頷いた。
「ええ。……とっても小さな、簡単なこと。だけど、それがいちばん難しいことも知っているわ。そうだもしても、一番大切であの方に気付いてほしいのよ」
「ヴィル様……」
ヴィルもこのままではいけない、と理解しているのだ。わかってはいても、素直に正面からぶつかることが出来ない。
女の面倒な側面を写したような態度だが、甘音は何となく察することが出来た。ヴィルが何を欲しているのか。
甘音はふっと少し大人びた笑みを浮かべた。それは十代前半の女の子が見せるにはマセていて、滅多に見られない表情。
不覚にも、天也は一瞬ドキッとさせられた。
「……ヴィルさま。レオラさまのことが本当に大好きなんですね。大好きだから、不安なんですよね」
「こんなに幼い子に言われてしまってはいけないのだろうけど、肯定するしかないわ」
太古の昔からヴィルが抱き続ける想いは、我が儘で一途で、とてつもなく面倒くさいものなのだ。それはきっと、乙女心というものと似ている。
「だから、と言うのもおかしなものだけど。あなたも、そして天也も簡単には帰せないわ。ごめんね」
申し訳なさそうに、しかし強い意志で。
変わりにと、ヴィルは天也に続いて甘音も神庭で自由に過ごすことを許した。勿論森の外にはどうやっても逃げられないし、居場所は把握されている。
軟禁状態に近いが、広いだけましだろう。甘音は大人しく、リンたちが神庭へたどり着くのを待つことしか出来ない。
ヴィルが何処かへ去ってしまった後、ぼんやりと森を眺める甘音の肩を誰かが叩いた。振り返ると、そこには天也が立っている。
「少し、案内してやるよ。唯文たちがいつここに来るかもわからないし、あんたは今後もここに住むかもしれないんだろう? だとしたら、知っておいた方が良い」
「わかりました。お願いします」
思いの外素直に応じられ、天也の方が拍子抜けしてしまう。気を取り直し、天也は甘音に手を差し伸べた。
「ほら、来いよ」
「はーい」
仲の良い兄と妹のように、二人は連れだって神庭を見て回るために歩き出した。
不本意にも長く庭にいて一人の時間も多い天也は、庭を探検するのが日課になりつつある。何度入っても違う姿を見せる庭の中で深呼吸しながら、唯文との再会を切に願うのだ。
いつしか二人は、神庭の心臓部である姫神のための空間へと足を踏み入れていく。
同じ頃。スカドゥラ王国の港に戦艦が一隻、静かに
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