第415話 神の助け
北の山脈を彷徨い、五日が過ぎた。
リンたちの目の前に広がる景色はどんどんと険しくなり、正直今何処にいるかも判然としない。わかっているのは、この方向に甘音を攫った鳥が飛んで行ったという確信だけだ。
山を越え、吊り橋すらない谷に透明な橋を架け、激流の川を飛び越え、年少組が埋もれる草地を踏破した。それでも山は続き、全員の疲労の色は濃くなっていく。
それは、怪我を完治させる余裕のないメンバー全員に当て嵌まる。
懸命に進む年少組は、その顔に疲労を見せない。だが夜は早々に眠りにつくなど、疲れは確実に溜まっているようだ。
「……一体、何処まで進めばいい?」
夜の見張りを兼ねて火の番をしていたリンは、ぼんやりとそう呟いた。甘音が攫われ、音沙汰は勿論ない。山は何処までも続くのではないかと思う程に広大で、リンは己の無力を痛感していた。
心の何処かで、本当に神庭は存在するのかという疑問が頭をもたげる。何処までも続く山道が、リンをそんな思考に導いていた。
(―――いや、俺がそんな気持ちを抱いてどうする)
リンは頭を左右に振り、後ろ向きな思考を追い払った。そして再び、赤々と燃える火を見詰める。
「―――よう」
「!?」
ぼんやりとしていたリンは、突然話しかけられて振り返った。「誰だ」と尋ねかけ、その正体を知って目を見張る。
「……レオラ」
「久しいな、銀の華のリン」
焚火のもとへとやって来たのは、女神ヴィル探しを依頼してきたレオラだった。どうしてこんな山奥にと言いたくなったが、彼は創造主とも呼ばれる神だ。何処にいようと勝手だろう。
レオラは挨拶もそこそこに、リンの隣に腰を下ろした。彼の白銀の髪と瞳が焚火に照らされて明るく輝く。そんな彼の顔に愁いの影を見つけ、リンは躊躇いがちに尋ねてみた。
「レオラ、お前何かあったのか?」
「何か、とは?」
「……顔色が、冴えないように見える」
リンに指摘され、レオラは目を大きくした。心底驚いたのか、ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返した。
「何故、そう思う」
「何故も何も、顔色が悪いように思えたから」
「……」
ふう、とため息が漏れた。レオラは真っ直ぐに焚火を見詰めたまま、ゆっくりと言葉を選びながら話し始める。
「少し前のことだ。我は、一度ヴィルを見つけ出した」
「―――は? なら、俺たちへの依頼は」
もう済んでいるのではないか。リンがそう言いかけると、レオラは首を力なく横に振った。
「違う。ヴィルは、我を拒絶したのだ。我には、彼女が何を求めているのか全く分からぬ。……晶穂は難しいことではないと言っていたが、何もわからないのだ」
「レオラ……」
レオラの話によれば、ヴィルはレオラを追い出した後に再び神庭に結界を張ったのだという。その結界を破らなければ、永遠に神庭に到達することも出来ないとも教えてくれた。
それは朗報でもあり、同時に悲報でもある。
「何処にあるかもわからない結界を解除する、だと?」
「そうだ。……甘音がいれば、気配を感じて結界解除も可能だったがな。ヴィルに攫われたのだろう?」
「ああ。……今は、彼女が攫われた方向へと地を歩くことしか出来ない」
リンは、歯噛みした。甘音がいないことが、こんなところで立ち止まる原因となるとは思ってもみない。
途方に暮れて空を見上げると、月が動いていた。そろそろ、ジェイスが起き出してくる。次の火の番はジェイスなのだ。
「じゃあな。依頼は、何があっても必ず成し遂げる」
ふらりと立ち上がり、リンはレオラに背を向ける。明日も長い道のりを歩くのだから、少しでも眠っておきたい。
「待て」
しかし、レオラはそんなリンの腕を引いた。
「晶穂は一緒か?」
「一緒だ。だけど、本調子とは程遠いぞ」
「理由は」
「……女神のお蔭でな」
憮然としたリンの声色に、レオラは眉をひそめた。そして一部始終を聞き、目を伏せた。
「すまない。我がさっさとヴィルが怒る理由を思いつかないからだな」
晶穂は昼間に歩く分の体力を回復させた。しかし、魔力が回復するほどの休息をさせてやることも出来ず、未だに魔力は少ない。
甘音が攫われる際に、完全に魔力を使い切ったことが原因だろう。しかし自分のことで精一杯だろうに、晶穂はリンを見ると微笑むのだ。
――大丈夫。絶対、甘音を助け出そう。
彼女の言葉は、リンの心に射す光のようだ。だからこそ、晶穂の笑顔を護りたい。
(思考が脱線したな)
リンは散漫とする思考を戻し、レオラの手を軽く振り払った。
「夜も遅い。レオラ、用もないなら帰ってくれて構わない。さっさとヴィルとの喧嘩を終わらせてくれ」
「努力する。……その前に、出来ることをしていこう」
「は? 何を」
何をするんだ。リンがそう尋ねる前に、レオラはその場を立った。そして、ずんずんと仲間たちが眠るテントの方へと歩いて行く。
レオラが何処へ向かっているのかを知り、リンは焦燥を覚えた。何故なら、晶穂が眠るテントの前に立ったからだ。
「お前、何を」
「神子は、魔力を枯渇させているのだろう? そのままでこの過酷な旅は危険が大き過ぎる。……神庭の結界を破壊出来るのは、我らと特殊な結びつきを持つ者だけだからな」
追いすがるリンを放置し、レオラは無遠慮にテントに入った。そこには、寒そうに身を縮こませて眠る晶穂の姿があった。まだ体温を保つだけの魔力がないのだろう。毛布をかぶってそれにすがっていた。
レオラは晶穂の傍に座り、右手をかざした。後からテントに入ったリンは、その様子を見守る。
じんわりとレオラの手のひらが暖色の光を放ち、その光が晶穂を包む。徐々に濃くなる光の中で、晶穂の眉間のしわが緩んだ。
「……何をしたんだ」
晶穂の額に手をあて、その温度が少し高くなっているのに気付いたリンが問う。するとリンと入れ替わりで既にテントを出ようとしていたレオラが、少しだけ振り向いた。
「何、ということはない。魔力の一部を譲っただけだ。これで、神庭の結界を見付けることくらいは出来るだろう」
「―――感謝する、レオラ」
素直に礼を言うリンに目を見張り、次いでレオラは口元を緩ませた。
「礼には及ばん。罪滅ぼしだ。……それに、庭に行けば神子の力を回復させることなど造作もない」
レオラの言葉に、リンは甘音の言葉を思い出した。彼女は言っていた。神庭に行けば、晶穂の魔力を回復させられる、と。
「我は我で、再びヴィルと会える道を探す」
複雑に絡み合ってしまった糸は、自分の力で解かなければ。
決意を新たに姿を消したレオラを見送り、リンはあどけなさの残る晶穂の眠る顔を眺めていた。まさか、その様子を火の番のために起き出したジェイスに見られているとは知りもせずに。
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