第413話 小鳥が残したもの

 目の前には、最後に見た時と変わらぬ姿で天を突く氷柱が並ぶ。誰よりも先に光りの発生源にたどり着いたリンは、息を整える間もなく突撃した。

 氷を袈裟斬りして道を造り、足を掛ける。ピシッと結界が壊れる音がしたが、今更だ。

 リンは身を乗り出し、中にいるはずの人に向かって叫んだ。

「晶穂、甘音! 無事か!?」

「う……」

 氷に囲まれた部屋の隅で、灰色の髪が広がっている。背中の傷からはもう血を流していないが、体中に傷を負っていた。

「―――晶穂ッ」

 リンは晶穂の傷に触れないよう、気を付けて助け起こした。背中の傷は痛々しく、目を背けたくなる。

 晶穂の肩を抱き、支えるようにして上半身を起こす。何度か呼び掛けると、晶穂はうっすらと瞼を上げた。

 しばしぼおっと視線を彷徨わせた後、晶穂の瞳はふと焦点を結ぶ。何かに気付き、リンの服にすがった。

「甘音がっ……あ、リン……」

「よかった、気が付いたな」

 リンはほっとして微笑み、晶穂は頬を赤らめる。しかし、そのまま甘い時間を過ごす暇もない。

 今やるべきことは、別にある。リンは頭を切り替え、晶穂に尋ねた。

「晶穂、何があった? 甘音は何処に」

「うん。……小鳥が、入って来たの」

「……小鳥?」

 思わぬ答えに目を見張るリンに、晶穂は頷いた。わずかに頬は赤いままだが、気持ちは冷静さを取り戻しつつある。

 そこへ、リンの後を追って来たジェイスたちが合流する。氷の部屋の中に晶穂しかいないことを知り、全員の目が晶穂に注がれた。

 晶穂は、もう一度「小鳥が入って来た」のだと説明した。すると、ユキが「おかしいよ」と身を乗り出す。

「ぼくが創ったのは、ただの氷柱に囲まれた空間じゃない。簡易的とはいえ結界みたいなものだから、普通の小鳥なんかが入れるはずないよ」

「……つまり、その小鳥は普通じゃないってことですね」

 ユキの言葉に応じた春直が、ぐるりと結界内を見回した。それから、晶穂の前に膝をつく。

「その小鳥ってどんな感じだったんですか?」

「えっと、薄水色の羽と、丸くて黒い目が印象的だった。……だけど、それだけじゃない」

 リンの服を握り締めたまま、晶穂は軽く眉間にしわを寄せた。

「かわいいからって、甘音が頭に乗った小鳥に手を伸ばしたの。その時小鳥と目が合って……目が真っ白に光った」

「白?」

「そう、白。それで危ないって直感的に思って甘音を止めたけど……間に合わなかった」

 甘音の指が小鳥の足に触れ、歌うような鳴き声と共に閃光が弾けた。そして光の柱が現れ、小鳥が自分の大きさに似つかわしくない怪鳥よりも大きな翼を羽ばたかせた。

 体も翼も真っ白に偏食した鳥は、その足で甘音を掴むとその場を飛び去ろうとした。

「けど、逃がすわけにはいかない。……だから、使うべきじゃないってわかってるけど、なけなしの魔力で押さえ込もうとした」

 当然、晶穂に残る魔力では細い糸のようなもので捕えるので精一杯だ。暴れた鳥は糸を引き千切り、翼を動かして暴風を吹かせた。

 風にあおられ、晶穂は飛ばされて怪我した背中を氷の柱に打ち付けた。その痛みに耐えきれず、晶穂は気を失ったのだという。

「気を失う直前、遠くに大きな……空を飛ぶ生き物が見えた気がした。多分あれは、女神のドラゴンじゃないかな」

 リンが改めて晶穂の背を見れば、傷の傍に青い内出血がみられる。また晶穂から感じる体温は通常よりも低く、青ざめて見えた。

 周りに気付かれないように奥歯を噛み締め、リンは激しい後悔に襲われていた。何故、彼女を置いて怪鳥を倒しに行ってしまったのか。傍にいれば、こんな結界を招くことはなかったのではないかと。

 しかし、その思いを抱いたのはユキも同じだった。晶穂に行くよう勧められたとはいえ、兄の言葉を守って留まればよかったのに、と。

「……ごめん、ね」

 兄弟が暗い顔をしているのに気付き、晶穂が沈痛な面持ちで頭を下げた。

「全然、大丈夫じゃなかったね。過信してた訳じゃないけど、こっちには来ないって思ってたんだ」

「晶穂だけのせいじゃないだろ。俺も、ユキも見込みが甘かったんだ」

「うん、ぼくもごめんなさい、晶穂さん、背中痛かったよね」

 鳥に吹き飛ばされたとはいえ、新たな怪我をさせたのはユキが創った氷柱だ。そう思うと、より強い罪悪感にさいなまれる。

 激しい後悔で動けなくなっていた三人の頭に、突然何かが置かれる。そして、ぐりぐりと乱雑に撫でられた。

「きゃっ」

「うわっ」

「や、止めてよ!」

「止めて欲しかったら、立ち上がるんだよ」

「そうだ。俺たちには、まだやるべきことが残ってるだろうが」

 晶穂とリンの頭を乱暴に扱ったのは克臣であり、ユキの頭を乱れさせたのはジェイスだ。二人の不器用な鼓舞に、三人はハッとして顔を上げる。

 少し力を取り戻しつつある三人に、より強くエールが贈られる。

「甘音が、おれたちを待ってます」

「うん。ぼくたちが行かないと、誰もあの子を助け出せません!」

「ほら、立って。あの鳥とドラゴンを追おう!」

「唯文、春直、ユーギ……」

 それぞれに傷を負いながらも、リンたちを笑顔で元気付けようとする。そんな年少組三人の姿に、立ち上がらない訳にはいかない。

 リンは未だに服を離さない晶穂の手に、自分の手を重ねた。先程まで震えていた彼女の指は、震えを止めている。

 晶穂は頷き、恐る恐る手をリンのそれに重ねた。すると引き上げられ、その場に立ち上がる。傍ではユキもジェイスに手を引かれて足を伸ばした。

「すみません、みんな」

 リンはスッと息を吸い、吐き出す。新たな空気が体を回り、幾分落ち着いた。

 ユキが結界を消失させ、氷が次々と弾けていく。キラキラとした氷の粒が日光に輝き、世界に溶けていく。

 見据えた先にあるのは、更に困難を極めるであろう山々の道なき道だ。そうだとしても、必ずたどり着かなくてはならない。

 気負うリンの背を、克臣が軽く叩いた。勿論、傷のある場所は避けてやる。

 何をするのかと睨まれるが、克臣はどこ吹く風だ。ニヤリと笑って、あごで行く先を差し示した。

「行くぞ」

「はい」

 頷き、リンは一歩を踏み出した。

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