第410話 爆ぜた怒り

 怪鳥が鳴き声と共に波動のような力を放った時、リンは顔には見せなかったものの、内心焦りを覚えていた。音による攻撃が相手では、剣は通じない。唯文のように衝撃を捉えることが出来れば対抗も可能だが、簡単なことではない。

 そんな思考が一挙に脳内を駆け抜けた後、リンの耳に悲鳴がこだました。

「きゃっ」

「晶穂さんッ」

「だい、じょうぶ」

「―――!」

 リンが振り向くと、そこでは晶穂がこちらに背を向けて甘音を抱き締めていた。そして彼女を視界に入れた瞬間、リンの中で何かが爆ぜる。

「あ、きほ……その背中」

「あ、ああ。大丈夫だよ、リン。かすり傷だから」

 苦しげに微笑み、晶穂は甘音を離さない。晶穂が呼吸する度に、背中の傷がうずく。

 晶穂の背中には、バツを描く二本線が赤く引かれている。血が裂けた服ににじみ、少しずつ範囲を広げている。

「―――っ」

 リンはその手を晶穂に伸ばそうとして、途中で止めた。抱き締めても、傷を治すことは出来ない。

(それよりも、これ以上の怪我をさせないためにすることがある)

 リンは晶穂に背を向けると、真っ直ぐに分裂して二羽になった怪鳥と対峙した。彼の隣では、晶穂の負傷に息を呑むユキがいる。

「―――ユキ」

「何、兄さん」

 ユキがリンを見上げると、リンは弟を見下ろすことなく頭を固定したままで呟く。兄の表情が氷よりも冷たいことに、ユキだけが気付いていた。

「氷の壁で、二人を守ってくれないか? 音波が相手なら、壁で波動だけでも跳ね返せるだろうから」

「……わかった。こっちは守り切るよ」

「助かる」

 ユキが氷の塊を創り出すのを確認し、リンはわずかに唇を歪めた。口角を一瞬だけ上げ、すぐに一文字に結んだ。

 トンッと地を蹴ると、漆黒の翼を広げて空へと発つ。そんな兄を見送り、ユキは早急に築いた壁の内側に入り、晶穂の背中に触れた。

「いっ……冷たい?」

「ぼくの魔力の一部です。これで、少しはましかと」

 ユキの手のひらから染み出した冷気が、晶穂の傷を冷やす。本当ならば綺麗な水で洗い流してから処置したかったが、ここには都合の良い水などない。

「あっ」

 水は、ある。ユキは背負っていたリュックを下ろし、その中に入っている水筒を取り出そうとした。しかし、それに気付いた晶穂に手を掴まれる。

「駄目。使ったら水がなくなっちゃうよ」

「でも」

「土で汚れた訳じゃないし、大丈夫。ありがとね、ユキ」

 冷汗が滲む顔で微笑み、晶穂はユキの頭を撫でた。こんな時ですら他人を気に掛ける晶穂に、ユキは自分の心配をしろと言い放ちたくなった。

 そんな感情が顔に出ていたのだろうか。晶穂がじっとユキを見詰め、苦笑を浮かべる。

「ふふっ。こんなこと言ってるから、リンにもユキにも心配されるんだよね。でも、これはわたしの本心だから」

「あっ……うん。知ってるよ、晶穂さんの本質が優しいんだって」

「わたしも、わたしも知ってる。何度も優しく抱き締めてくれたから」

 ユキに続き、甘音も声を上げた。そして彼女は、傷に触れないように晶穂の背を撫でてくれた。その小さな手は、晶穂に温かなものを与えてくれる。

(魔力が十分に戻っていれば、結界や障壁を張ることも出来たけど……。今やったら、確実にみんなに叱られるね)

 晶穂は大人しくしている選択をして、ユキの背を押した。

「晶穂さん?」

「ユキ、行って。あなたの氷が守ってくれるから、ここは大丈夫。……早く、リンの傍に行って。お願い」

「……気付いて?」

 リンは晶穂に近付いていない。それなのに、彼女は兄の静かすぎる変化に気付いていたのか。驚くユキに、晶穂は「だって」とわずかに頬を染めた。

「――わかるよ、リンだから。怒りに呑まれることはないと思うけど、傍に」

「……はい」

 ユキは兄と同じ漆黒の翼を広げ、氷の壁に囲まれた空間を飛び出した。翼で羽ばたいても、窮屈に感じることはない。

 久し振りの解放感に浸る暇もなく、ユキの視線はリンを捉えた。

「兄さん!」

「ユキ。晶穂と甘音は?」

「氷の壁の中に。……兄さん、晶穂さんにバレてたよ」

「何が……っ、そういうことか。かなわんな」

 ガシガシと後頭部をかき、リンは少し嬉しそうに微笑んだ。しかし、その表情は長く続かない。二人の前には、更に分裂して三羽になった怪鳥が空に浮いていたのだから。

 ――ピィィィィーーーッ

「うわっ」

「うっ」

 怪鳥は飛べるリンとユキに注意を向けてきた。三羽分の音波は二人を直撃し、吹き飛ばすと同時に体中の肌が裂ける。

 ピシッという小さな音をさせ、鮮血が空中を舞う。リンの両腕に傷が入り、ユキは右頬と左の太股を負傷する。数枚の羽根が飛ばされ、空を彩った。

「リン、ユキッ!」

「こっちは任せろ。やっちまえ!」

 地上を見下ろせば、それぞれに得物を構えた仲間たちと目が合った。彼らの近くには一回り小さくなった怪鳥が隙を探し、他の二羽はリンとユキを警戒している。

 真っ白で何処を見詰めているのかもわからない目をした鳥が、大きな嘴を開く。その嘴が開き切った時、攻撃が放たれる。

「その前にっ」

 ユキの突き出した手のひらから、豪速球のような氷の塊が撃たれる。それは真っ直ぐに怪鳥の眉間に向かい、見事バランスを崩させた。

 ぐらりと傾いた体を慌てて直そうとする怪鳥の首を狙い、リンが刃を向ける。

「―――っ」

 振り下ろされた刃を躱すことなく、怪鳥はぐるんと首を上に向けた。そして落ちることを厭わずにその嘴を一気に開く。

 ――ピイイイィィィィィィ

「兄さんッ」

「かはっ」

 真面に攻撃を喰らい、リンの服が裂ける。一部肌が露出し、切り傷が散見した。

 その中でも深い傷が胸から腹にかけて斜めに走り、リンは拳を握り締めて耐える。抉られた様に真っ赤に染まった兄の肌を見て、ユキは自分の中で何かがプツンと切れたのを感じた。

「―――っざけんなよ」

「ユキ、駄目だ」

 ユキがまとう魔力の気配の鋭さが増していく。そこには、純粋な殺意に似たものが混じっていた。

 リンは弟の腕を掴み引き留めようとしたが、傷の痛みがそれを邪魔する。それでもどうにか墜落は免れ、リンは空中で体を固定する。

 そんな兄の姿に、ユキは水色の瞳を閃かせた。

「兄さんをここまで傷付けた罪、思い知らせてやろうか」

 絶対零度の冷気を纏い、ユキは飛び掛かって来た怪鳥の攻撃を躱すと、スピードのままに回し蹴りを繰り出した。

 ――ギャッ

 クリーンヒットを喰らった怪鳥は、危うく転落しかけた。しかし持ち直し、目元を歪めつつもユキに果敢に突進してくる。

「まだだ」

 ユキは広げた手のひらから、雪の結晶が広がる。それはユキの身長を超え、二倍ほどの大きさまで成長した。

 怪鳥はひるむことなく結晶にぶつかり、力任せの押し合いが始まった。

「くっ……。兄さん」

 ちらり、とユキがリンに視線を送る。その意味を理解し、リンは浅く頷いた。

 まだ血を流す傷は激しく痛むが、怪我を抱えたのはこれが初めてではない。リンの脳裏に、晶穂の傷ついた背中が映る。

「……押さえとけよ、ユキ」

 リンはその場で急上昇し、怪鳥の上を取る。鳥はまだユキとの力比べに夢中で、こちらに気付いていない。

「――――うあぁっ!」

 ―――ザシュッ

 リンが落下の力を乗せた剣で怪鳥の首を両断し、怪鳥は断末魔もなく落下する。

 ザザッと塵のようにばらけて消える怪鳥を、リンとユキは上空から見守った。

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