第408話 女王の笑み

 深呼吸を何度も繰り返し、メイデアは支配者然とした顔を保つことに成功した。そしてようやく城の中へと戻ったのだが、彼女に新たな報告がもたらされる。

「女王様、こちらでしたか」

「どうかしたのですか?」

 部屋に戻る暇もなく、メイデアは廊下で臣下に呼び止められた。それに嫌な顔一つすることなく、女王は振り返る。

 そこに立っていたのは、先代から仕えてくれている老練な文官だった。彼は神庭かみのにわの伝説を気にするメイデアのために、ソディールに関する伝説や逸話を集めて役立つものを教えてくれている。既に前線は退いたが、趣味だからと登城してくれる老人だ。

 メイデアとて、何十も年上で尚且つ尊敬に値する人物相手には敬語で話す。彼は幼い頃から世話になっているため、頭が上がらない。

 二十年前はもう少し背が高かったように思うが、月日が経つ中でメイデアよりも小さくなってしまった。

 老臣は「実は」と、とっておきの秘密を教えるように小声になった。

「ちょっと、メイデア様のお耳に入れたい面白い話がありまして」

「レイガ殿の話はいつも面白いですよ。ではこちらに」

 メイデアは庭へつながる扉を開け、年老いたレイガを先に通す。レイガはゆっくりとした足取りで庭へ下り、噴水横のベンチに腰かけた。

 怒りを一時いっとき忘れ、メイデアもわくわくした気持ちで彼の横に座る。まるで、幼い頃に彼から物語の話を聞いた時のように浮き足立つ。

「それで、何ですか?」

「そう急かさないで下さい。……メイデア様は、異世界へ繋がる『扉』のことをご存じかな?」

「『扉』……。確か、ソディリスラのみに現れる扉で、少し前に全て消えてしまったのではありませんでしたか?」

 扉が失われた原因まではわからないが、ソディリスラで何かが起こったのだと現地と交流のある商人が教えてくれた。扉が消えたからといって、現在のソディリスラに変化があるようには思えない。

 実は大きな変化はあったのだが、それを知る者は銀の華のメンバーなど極一部だ。メイデアたちが知る由もない。

 兎に角、消えた扉がどうしたのか、とメイデアは首を傾げた。すると、レイガは子どものように笑う。

「なんと、その『扉』に似たものがこの国とかの地に現れたのだといいます。まだ広く知られてはいませんが、少なくとも二つを行き来することは可能だ、と我が国の研究者が申しました」

「それはまことか!」

「真、ですよ」

 こっくりと頷くレイガを見て、メイデアの脳裏に考えが閃く。これを使えば、ソディリスラへの侵攻がより楽になるのではないかという考えだ。

 更に上手くいけば、異世界をも手中に納められるかもしれない。しかしこちらは、夢のまた夢、眠って見る想像世界だと割り切っているが。

 メイデアは前者の本心を隠し、少し甘えをにじませた声色でレイガに頼んだ。

「では、レイガ殿。その扉の場所を私にも教えては下さいませんか? 是非、我が国の発展のために使いたいのです」

「仰せのままに」

 メイデアの上部を信じたのか、レイガは朗らかに微笑み臣下の礼を取った。

 そしてレイガはメイデアに、扉の研究者を紹介してくれた。メイデアは即刻その研究者を城に呼び出し、現在わかっている範囲のことを全て聞き出したのだった。




「あら、おかしいわ」

 ヴィルは神庭で首を傾げた。彼女がいるのは、庭の中で最も神聖な大木がそびえる中心地だ。

 その淡く清らかな空気の中、青々と枯れない木々が回りを囲み生い茂っている。

「どうかしたんですか?」

「ああ、天也てんや。おかしいのよ」

 おかしいと繰り返すヴィルを不思議に思い、天也は彼女の手元を覗き込んだ。そこにあったのは、小さな鏡。映し出されていたのは、ソディールと思われる地の映像だった。

「見て」

 ヴィルが指し示したのは、鏡の中央に映る美しい装飾に彩られた白く輝く扉だ。その輝きに目を奪われた天也に、ヴィルは言う。

「これは、あなたを日本から連れて来た時に使ったのと同様の扉」

「……へぇ。じゃあ、これを使えば日本に帰れるってことですか?」

 期待を込め、天也が尋ねる。もう何日この場所に閉じ込められているのかわからないが、唯文と会えないのであれば早々に帰りたいというのが天也の望みだ。

 しかし、ヴィルは簡単には首を縦に振らない。

「いいえ、これはわたくしが改めて創り出したものとは違う。……感化されて、再現されてしまったのかもしれない」

 元々この世界にあった扉は、地球からソディールの記憶を消すという代償と共に消えた。この度現れた扉は、ヴィルが無理に扉を繋げた影響で生まれた副産物のようなものなのだろう。

 そう分析するヴィルを余所よそに、天也はじっと鏡の向こう側を見つめていた。

「……ふむ。まあ、出来てしまったものは仕方がない。こちらは人に既に見つかってしまっているようだし、わたくしの計画の邪魔にならないのなら放置しておくことにしましょう」

 一人結論付け、ヴィルはその場から立ち上がった。

「何処へ?」

 天也に問われ、くるりと振り返る。そして、残り一つとなってしまった白玉を手のひらで転がした。

 玉は簡単に指で潰され、中身がないことを無言に示す。

「彼らが、この山へと入ってきたみたいだから。少し、お出迎えよ」

 そう言い置いて去ろうとするヴィルの背に、天也は追いすがろうと手を伸ばす。大声で呼び止めた。

「俺も、連れて行ってはくれませんか?」

「あなたを?」

 真剣な顔をする天也に少し目を見張り、それからヴィルは緩く首を横に振った。わずかに残念そうに、しかし有無を言わさぬ物言いで。

「いいえ。あなたは、わたくしの切り札。最後まで明かすことは出来ないわ。許してね」

「……っ、そうですか」

 目の前で霧のようにかき消えるヴィルを見送り、天也は未だに再会を果たせない親友へと思いを馳せた。

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