第407話 道無き道

 リンを先頭として山に分け入った一行は、まずその山の深さに圧倒された。

 麓近くでは日が降り注ぐ明るい木立が並ぶ道だ。しかし一歩奥へと入ってしまえば、険しさが牙を剥く。

「うわっ」

 ズリッと露に濡れた落ち葉に足を取られ、ユキが尻もちをつく。思わず助けようと唯文が手を出したが、間に合わなかった。

「ごめん、ユキ。大丈夫か?」

「唯文兄、大丈夫だよ。ありがとう」

 唯文の手を掴み、ユキは立ち上がった。数枚の葉がズボンに貼り付き、はたき落とす。

「全く、びっくりしたよ」

「気を付けろよ、ユキ。ここでつまずいてたら、先が思いやられるからな」

「わかってるよ、兄さん。……それしても、広いね」

 ユキは森を見渡し、感嘆の息を吐く。彼が躓いたのは、まだまだ山の入口の斜面だ。

 所々に灰色の岩が露出し、苔むしてその上に覆い被さるように大木がそびえ立っている。木の根が岩を抱え込んでいることもあれば、木が卵のように割れた岩の中から生えていることもある。

 これだけでも人の行き来を拒んできたことがわかるが、更にリンたちを圧倒したのが崖のような斜面だ。露出の多い晶穂にはリンが上着を貸してやり、擦り傷を防いでいる。

 そんな中、楽しげに障害物を越えていくのはユキと春直だ。小柄で身軽な彼らは、滑ることすらも楽しみながらロッククライミングのようにして斜面を登っていた。

 先へ先へと進む二人に、唯文が注意を呼び掛ける。

「二人とも、気を付けろよ?」

「わかってる! 唯文兄たちも早くおいでよ」

「ぼくらが先を見てきます」

「あ、おい!」

 克臣が止めるのも聞かずに、ユーギと春直は連れ立って斜面を登り終える。リンたちも負けじと、手頃な岩に指をかけながら懸命に登った。

 リンやユキ、ジェイスは翼を使えば進めるはずであった。しかしこの木々生い茂る森の中で翼を広げるのは、無謀だ。

「飛びたつ前に枝に引っ掛かって落ちるよ」

「駄目か~」

 残念そうに肩をすくめた克臣に、ジェイスは呆れ顔で頷く。彼らがいるのは、崖の中腹だ。リンたちを先に行かせ、二人は殿しんがりを務めている。

「くっ」

「おっと」

 呑気に話していた克臣の前に、先に登っていた唯文の足が突然現れた。手を伸ばした先のとっかかりが崩れてバランスを失ったのだ。

 克臣に体を支えられ、唯文は顔を赤くする。

「すみません、克臣さん」

「気にするな。先に行ったやつらのことが気になるのはわかるけど、気を散らすなよ」

「はい」

 唯文はしっかりと頷くと、垂れてきた汗を服で拭いて再び崖を登り始めた。彼を見上げる克臣に、ジェイスは笑みを向ける。向けられた克臣は、眉を片方軽く上げた。

「なんだよ?」

「いや。そういうところ、変わらないなと思ってな」

「そうか? 行こうぜ、ジェイス」

「ああ」

 ジェイスが何を思って口にしたのかは問わず、克臣もまた飛び出した石を掴んで体を引き上げた。

「……っと。行けるか、晶穂」

「うぅっ」

 一足先に崖の上にたどり着いたリンは、続いてきた晶穂に手を差し伸べた。真っ赤な顔をして踏ん張る晶穂がその手を取り、手伝ってもらった。

「───っはぁ、終わったぁ」

「一先ず、お疲れ」

 両手をつき、はぁはぁと息を切らせる晶穂に、リンがねぎらいの言葉をかける。それに笑みで応え、晶穂は周囲を見渡す。

「……段々、人が踏み込む場所ではなくなってきたね」

「ああ。人を拒む土地っていうのは確かなんだろうな」

「でも、行かなきゃ」

 ぐっと両手を握り締める晶穂に「ああ」と応じたリンは、次々と崖の上に到着する仲間たちに手を貸した。

 ユキと唯文が自力で登り切り、甘音はジェイスに押されるような形で崖の上に手を掛けた。

「はぁ、はぁ……っ、ありがとう、ござ、ます」

「無理に喋らなくて良いよ。良く頑張ったね、甘音」

 ジェイスに労われ、甘音は息を切らせ真っ赤になった顔で微笑んだ。

 次いで克臣も到着し、先に行ったユーギと春直を除いて全員が揃う。リンは安堵し、二人の少年が向かったであろう方向を見た。

 先にはまだ森が広がっているが、二人が通ったであろう方には獣道のような明るい空間がある。

「……早く追わないと」

「好奇心旺盛なのは良いことだけど、協調性も欲しいところだね」

 くすっと笑いながらジェイスに言われ、リンも頷かざるを得ない。

 甘音や晶穂が落ち着いたのを見計らい、リンは足を踏み出そうとした。まさにその時。

「「うわぁぁっ」」

 何処からか、聞き覚えのある二人分の悲鳴が轟く。リンとジェイス、克臣は顔を見合わせた。

「今のは!?」

「ユーギと春直かな」

「さっさと行くぞ!」

 克臣を先頭に、一行は悲鳴の聞こえた方向へ向かって駆け出した。




 同じ頃。海を走る戦艦の一室で、ベアリーはじっと考え込んでいた。

 これまで、彼女が仕事をしくじったことは数える程しかない。しかもそのほとんどは、メイデアに仕え始めて間もない頃のことだ。

「どうして、あんなところに倒れていた? どうして、何も覚えていないの?」

 堂々巡りの自問自答も、何周したかわかったものではない。流石に苛々と鬱屈した気持ちが溜まってきた時、ベアリーの部屋の戸が遠慮がちに叩かれた。

「いるか? ベアリー。ダイだ」

「───はい、どうぞ」

 深呼吸して気持ちを落ち着けたベアリーは、やって来たのがダイだと知って安堵する。彼は同期で話す機会も多かったため、ある程度素を出しても問題ない。

「よお。何て顔してるんだよ」

「五月蝿いわね」

 入ってきたダイは、開口一番にそう言って苦笑した。ベアリーも決まりが悪くて、ぶっきらぼうな返答をしてしまう。

「それで、何か用?」

「ああ、そうだ」

 ダイは頷くと、ドアの方に「おい」と呼び掛けた。誰かいるのかとベアリーが首を伸ばすと、倒れていた彼女を最初に起こした青年が顔を覗かせた。

「あなたは……」

「あの時は失礼致しました」

 ぺこりと頭を下げた青年を、ダイは行真いくまという名だと紹介した。

「去年軍に入った新人だが、素直で行動力があり、これから伸びると期待しているんだ」

「褒めすぎです、大佐」

 苦笑した行真は、改めてベアリーに向き直った。

「森ではあまり話せませんでしたよね、女王様の勅命について。ですから、大佐にまず聞いて頂いたんです」

「ああ。オレも何であんな所にいたのか覚えていないからな。……聞いて、驚いたぜ」

「……私にも、教えてくれないかしら。女王様に会うのは、早くても明日の朝。それまでに行動を起こせるのなら、それに越したことはないから」

「わかりました」

 深く頷くと、行真はベアリーに勅命について話し始めた。その手には女王直筆の勅命書があり、信憑性を増す。

 女王の字は、ベアリーが最もよく知っている。見間違えるはずもない。

 行真の話を聞きながら、ベアリーは今後の方針の転換を脳内で組み立て始めていた。

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