第406話 各国にて

 ――場所は変わり、ノイリシア王国。

 王城の一室に、慌てた様子の若い男が駆け込んで来た。

「兄上」

「おや、エルハじゃないか。どうした?」

 ノイリシア王国第一王子にして王の代行者たるイリスが、エルハに穏やかな笑みを向ける。しかし、その手に握られたペンは動くことを止めていない。

 エルハはこの国の第三王子であるが、諸事情によりイリスの側近を務めている身の上だ。その彼が、焦燥に駆られているのは珍しい。

「昨日北の大陸につけられた戦艦が、早々に今朝、海に出たと連絡がありました」

「……では、スカドゥラ王国へ戻った?」

「そう考えられるかと」

「……」

 少し考える素振りを見せたイリスは、すっと立ち上がると本棚から折り畳んだ地図を取り出した。その間にエルハが机の上にスペースを作り、イリスは「ありがとう」と礼を言って地図を広げる。

 それは、ソディールという世界の地図だった。ノイリシア王国を中心に描かれ、スカドゥラ王国は向かって右斜め下に位置する国である。

 細い指でソディリスラとスカドゥラ王国の間の航路をなぞり、イリスは「ふむ」と腕を組んだ。

「戦艦がどの程度の規模のものかはわからないけど、何かしらあったのかな。それとも、既に目的を達した?」

「それはないでしょう。ここには、銀の華がいますから」

 彼らが軍事国家などに負けるはずがない。エルハの揺るがぬ信頼に、イリスは目を瞬かせた後に笑ってみせた。

「ははっ、知っているよ。彼らがいる限り、何か起こるとも思えない。だけど……」

「兄上?」

「……エルハルト。きみは神庭と宝物の話を知っているかい?」

 突然本名で呼ばれ、エルハは驚きつつも記憶を探る。しかし、これといった話は思い浮かばなかった。強いて言えば、幼い頃に書庫で読んだ伝説の中にあったことくらいだろうか。

「かみのにわとほうもつ、ですか? ……幼い頃、そういった伝説があったように記憶していますが、それが?」

「……『神の住む庭には、この世の全てを思い通りに動かす力を持つ宝が在る。それを手に入れた者は、何もかもを己の物として動かすことが出来るだろう。』そんな文句の短い話だったと、わたしも記憶しているよ。それは伝説であり、荒唐無稽な物語だと思っていたんだけど」

「それを、真実だと探している者がいるというのですか?」

「その通り」

 嘘でしょう、と笑い飛ばすことも出来ず、エルハは絶句した。そして更なる兄の言葉に、驚きを隠せなくなる。

「しかもその伝説を鵜呑みにして動いているのが、スカドゥラ王国女王、メイデアだというよ」

「あの、戦場の女傑ですか……」

 メイデアの噂は、遠くノイリシア王国にも届いている。何でも先代は病弱な男だったらしいが、彼女を次代に指名して亡くなった後、メイデアは荒れていた大陸をまとめ上げて女王として君臨し、未だに戦場に飢えた女傑だという。

 先代以前、ノイリシア王国とスカドゥラ王国は敵対関係にあり、幾度か戦場にてぶつかったという歴史がある。今や現王のもとで条約が結ばれ殺伐とした関係にはないが、いつ何時を思うと頭が痛いものだ。

 エルハが眉間にしわを寄せたのを見て、イリスは苦笑する。ぽんっと肩を叩き、大丈夫だよと笑った。

「彼らなら、絶対に大丈夫。ただ戦艦が何をしに来たのかは気になるから、少し様子を見よう。我が国と、友人たちの身に危険があるならば、出来ることをしたいから」

「わかりました。……打ち合わせの件もありますし、一度連絡してみます」

「ああ、お願いするよ」

 エルハはイリスの執務室を出ると、早足に何処かへと向かった。


 同時刻、ソディリスラ王国。

 メイデアは、恒例の食後の運動に勤しんでいた。真剣を用い、敵兵に見立てた藁人形を切り刻むのだ。普段から騎士のような服装で過ごしている彼女は、いつ何時戦いに向かわなければならなくなっても良いように準備していた。

 計十五体を真っ二つにし、残りの十体を前にした女王は天を仰ぐ。

(ベアリーたちを送って、もう一日が経ったか。そろそろ何かしらの連絡があっても良い頃だな)

 まさかベアリーたちが銀の華に戦闘不能にされているなどと、女王は思いもよらない。

 再び真剣を構え気合いの声と共に振り下ろしかけたメイデアの耳に、焦りを垣間見せる男の声が入ってきた。

「じょ、女王様! た、大変なことが!」

「……。どうかしたのか、ヨーラス」

 ヨーラスと呼ばれた男はメイデアから五歩分程離れた場所に片膝をつくと、息を切らせてこうべを垂れた。

「も、申し上げますっ」

「まずは息を整えなさい。泡を食っては伝わるものも伝わらない」

 呆れてそう命じたメイデアの前で深呼吸を数回繰り返し、ヨーラスは唾液を飲み込んで再び頭を下げた。

「申し上げます。……ベアリー様とダイ大佐の皆様が、こちらへ戻りつつあるとの連絡を受けました」

「おお、存外早かったな。……しかし、早すぎはしないか?」

「詳細は、こちらに」

 そう言うと、ヨーラスは震える手で一枚の紙を差し出した。戦艦から送られてきた報告書だという。

「……」

 メイデアはその紙にざっと目を通し、眉を潜めた。

「……ヨーラス、あなたはこの文書に目を通したか?」

「いえ、きちんとは。ただ、女王様に伝えるべきと思い最初の数行のみ。如何されましたか?」

 ヨーラスはメイデアの顔色が悪くなっていることに気付き、尋ねた。しかしメイデアは軽く首を横に振ると、ヨーラスに命じる。

「ヨーラス、大義であった。もう下がって良いぞ」

「……はっ」

 ヨーラスはメイデアが何かを考えていることだけを察し、邪魔をしないようにと足早に去った。経験的に、長居は無用だと判断したことも大きい。そしてその判断は大当たりだった。

「……っ」

 人払いも済ませて誰もいなくなった中庭で、メイデアは報告書を握り潰した。怒りに震える己を落ち着かせようと深呼吸を繰り返すのだが、沸き上がるものに震える体は言うことを聞かない。

「何故だ、ベアリー」

 ベアリーから送られてきた文書には、次のような内容の文が書かれていた。

 まず、現在海の上にいること。次に、何故自分たちが見知らぬ土地にいたのかわからないということ。そして、誰も負傷していないということ。

 文書はこう締め括られている。『……詳細は、女王様の御前にてご説明させて頂きます。わたしはこの場で考えを巡らせるよりも、一度戻って再び命を仰ぐことを良しと致しました。どんな御叱咤も受ける覚悟でございます。』と。

 メイデアは再びグシャグシャになった文書を開き、読み直した。しかし、何度読んでも内容は同じである。

「……何があった、ベアリー?」

 ベアリーは忠実な部下だ。彼女が故なく仕事を忘れることなどあるはずもない。

 メイデアは丁寧に文書を折り畳むと、懐に仕舞った。そして腹立ち紛れに剣を地面に突き立て、獣のような唸り声を上げた。

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