女王の憤怒
第404話 邪魔しちゃったね
「……」
聞き慣れた話し声が聞こえる。少しずつ少しずつ、意識が浮上していく。
土のにおい、草のにおい。そして、食べ物のにおいが晶穂の感覚を刺激する。
瞼は重く、体を動かすことも億劫だ。しかし、目覚めなければならないこともわかっていた。
(目覚めなきゃ。みんな、待っててくれてる。……決めたじゃない。決して、足手まといにならないって!)
枯渇した魔力の一部が回復しているのがわかる。魔力の泉が満杯になるには遠く及ばないが、これだけでもあれば意識を保つことが出来るはずだ。
「うっ……」
眠りに引き込もうとする後ろ向きな感情を鼓舞し、晶穂はうっすらと目を開けた。
最初に見えたのは、シンプルなテントの生地。そして骨組みだ。更に視線を動かし、体の感覚を感じ取り、自分がテントに寝かせられていることを自覚する。
ふと、感覚のないはずの髪が熱を持っているような気がした。
「そういえば……」
眠っている間に、誰かが傍にいてくれたような感覚が残る。その人がいてくれたから、自分は回復するための眠りに集中することが出来たのだ。
晶穂はゆっくりと上半身を起こし、自分の髪を一房手に取った。まさかその一房が、リンが口付けたのと同じ髪だとは気付くわけもなく。
──ザッ
その時、テントの外で物音がした。人影が差し、テントの扉の役割を果たす布に手を掛ける。
ぼんやりとそれを見ていた晶穂は、やって来た人物を見上げ、目を見開いた。
「リン……?」
「あき、ほ?」
手に持っていた皿を取り落とし掛け、リンは慌ててバランスを保つ。しかし見開かれた瞳には晶穂が映り込み、皿を寝床の傍に置いて晶穂の前に膝をついた。
そっと手で晶穂の頬に触れ、リンはうわ言のように呟く。
「目覚めた、のか?」
「うん。……待たせて、ごめんなさ───っ」
晶穂の「ごめんなさい」は、途中で途切れた。眠気は吹っ飛び、その代わりに真っ赤に顔を染め、自分を包み込む者の胸に手を置いた。
「リン……」
「よかった……無事で……」
謝罪をし終わる前に、晶穂はリンの腕の中に引き込まれたのだ。どちらのものかもわからない激しい鼓動が耳を焼き、晶穂は大好きな人に抱き締められるという幸福に身を委ねた。
「リン……」
「うん。……目覚めないかと心配したぞ」
「いてくれて、一緒にいてくれてありがとう」
晶穂の感謝の言葉に、リンはピクリと反応した。まさか、昨夜の行動を見られているのではないかと焦りを感じたのだ。
しかし焦っても仕方がない。リンは半ば諦めて、真っ赤な顔を隠すために晶穂を一層抱き締めた。
「……知ってたのか」
「何となくそうかなって。誰かがいてくれたことはわかってたけど、それがリンだって確信したのはリンに……だ、抱き締められてから、だからっ」
耳元に直に届くリンの声と吐息が、晶穂の胸を乱れさせる。それに加えてぎゅっと抱き締められているのだから、晶穂はもう熱を出して再び倒れそうだった。
「あ、ああ……ごめ、ん」
「だっ、大丈夫」
リンは自分の自制のない行動を自覚し、慌てて晶穂を解放する。そして照れ隠しに、持ってきていた皿を晶穂に差し出した。
「ほら。ジェイスさんが作ってくれた」
「……クレープ?」
皿に乗っていたのは、甘くない食事用のクレープだ。野草や獣肉を具としたそれは、晶穂の空腹を自覚させるには十分だった。
「おいしそう……。頂きます」
はむっと噛ると、パリッとした野草のシャキシャキ感と肉の旨味が口の中に広がる。晶穂は目を輝かせ、両手で持つ大きさのそれを一気に食べてしまった。リンに手渡されたコップに入った水も飲み干し、一息つく。
「おいしかったぁ。ジェイスさん、凄いね」
「空気の板を作って何をするのかと思ったけど、こんな使い方があるとは思わなかったよ」
「……フライパンなんてなかったよねって思ったけど、そうやって作ったんだ」
目を丸くする晶穂に、リンは「そうだな」と微笑んで見せる。
そしてふと真面目な顔をして、リンは晶穂の方へ身を乗り出した。左腕を支えにして、右手を晶穂の額に触れさせる。
「体は?」
「え?」
「もう体は大丈夫なのかって聞いてるんだ」
「あ、うん。正直まだ本調子じゃないけど、動けるよ」
「そうか」
「……」
「……」
安堵したリンが、右手を滑らせ晶穂の頬に触れる。ぴくんと反応した晶穂の瞳に、リンの真剣な表情が映った。まさにその時。
「兄さん? ……あ、ごめん。邪魔したかな」
「「!?」」
リンと晶穂がテントの入り口を見ると、ポリポリと頬を掻くユキの姿があった。晶穂から慌てて距離を取り、リンは気まずそうな顔をして弟からわずかに目を逸らした。
「……どうした?」
「うん。兄さんがなかなか帰ってこないから、ジェイスさんたちが様子を見てきてくれって」
「ああ、すぐ行く」
リンは立ち上がりざまに晶穂の頭を軽く撫で、そのままテントの外へと出ていった。入れ替わりで入ってきたユキが、晶穂に「ごめんなさい」と肩をすくめた。
「邪魔しちゃったね。折角、二人っきりだったのに」
「えっ?! だ、大丈夫だよ? あー、大丈夫っていうのとは違う、違うけど……」
うまい言葉を見付けられず、晶穂が真っ赤な顔で手をブンブンと振った。
「兎に角、邪魔じゃないってことだよ」
「うん。……ふふっ。でも、ちゃんと二人っきりにはさせてあげるから、もう少し待っててよ」
「どういうこと?」
晶穂はユキの言葉の意味がわからず、首を傾げる。「なんでもない」と応じて、ユキは晶穂が置いていた皿を手に取った。
「これは返しとくね。起きられそうなら、ゆっくり来てよ」
「わかった。ありがとね」
晶穂に手を振り、ユキはテントを出た。そして片付けを粗方終えた仲間たちに、晶穂のことを伝えに行く。リンが伝えているだろうが、念のためだ。
「晶穂さん、起きてたよ」
「おっ、らしいな。リンがさっき教えてくれたよ」
克臣がいち早く反応を返し、よかったなと近くにいたリンをつついた。
「……ほっとしましたよ」
「おや? 素直じゃねぇか」
「……。俺、テントとか片付けてきます」
克臣にいじられ、リンはさっさとその場を離れてしまった。後ろ姿を見送り、焚火の後始末をしていた唯文がポツリと呟く。
「リン団長、顔真っ赤でしたけど大丈夫ですかね?」
「大丈夫、かな。たぶん」
リンがそんな顔をしていた理由を知るユキは、楽しげにクスクスと笑って見せた。
「ぼく、手伝ってきます!」
春直がそう言って手を挙げ、駆けていく。その後に「ぼくも」とユーギが続く。
計四張りのテントを一人で片付けるのは大変だ。離れたところにリンたち三人の姿を見ながら、ジェイスは内心「よかった」と頷いていた。
「これで、揃って
「ああ。このメンバーなら、何があっても大丈夫だろ」
ジェイスに応じた克臣が、楽しそうに笑う。二人の会話を聴きながら、皿を拭いていた甘音も微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます