第403話 魔力の残効

 翌朝は、快晴だった。最後の火の番をしていたジェイスが火に薪をくべ、朝食の準備を始めている。

 最初に寝床から這い出してきたユキが、眠気眼を擦りながら欠伸をする。

「おはよう、ジェイスさん」

「ああ、おはよう。ユキ、顔を洗っておいで」

「はーい」

 ユキは昨夜狩りに出た際に、清水の湧く小さな泉を見付けていた。既に全員に周知しているため、秘密の場所ではない。そこでしゃがみこみ、冷たい水で顔を洗った。

「おはよ~、ユキ」

「おはよう、ユーギ」

 顔を洗って伸びをしたユキの背後に立ったのはユーギだった。まだ立ちきらない耳をピクピクと動かし、ユキの隣に座って泉に指をつける。

「冷たっ」

「あはは。これで目が覚めるだろ?」

「……一気にね」

 ピンッと立った耳としっぽを振り、ユーギは改めて顔を洗ってさっぱりとする。

 ユキとユーギと入れ代わるように、唯文と春直も泉に向かった。すれ違いざまに挨拶を交わし、ユキたちは暖かな湯気がたつ方へと駆け出す。

「おはよう、二人とも」

「よお、よく寝たか?」

「団長、克臣さん。おはよう!」

 リンと克臣は既に洗顔を済ませたのか、眠気を感じさせない顔でジェイスを手伝っていた。皿を即席のテーブルに見立てた大きめ平たいの岩の上に並べるリンに、ユキはそっと近寄った。

「兄さんも、寝れた?」

「……聞くな」

 ふいっと目を逸らし、リンは弟の問いをうやむやにする。その掛け合いを見ていた克臣とジェイスが、淡く笑っている。

「リンは……熟睡は無理だったんじゃないかい? あの状況だし」

「でも恨むなよ? 晶穂を一人で眠らせるわけにはいかなかったんだからな」

「……わかってますよ、それくらい」

 少し悔しげに聞こえるのは、リンの呟きだ。覗き込めば、耳まで赤く染めている。意地が悪いかもしれないが、ユキは時折見せる兄の素直な表情も好きだった。

(小さい時は、一人で本を読んでる印象しか残ってないな……。でも人って、こんなに変わるんだなぁ)

「……何だよ」

 じっと弟に見つめられて困惑するリンが尋ねてくる。ユキは笑みを見せて「何でもないよ」と返した。


 実は昨晩、リンと交代で火の番をした克臣に押し付けられたことがあった。それは、晶穂の傍で眠ることだ。

「甘音がいるじゃないですか」

「甘音はユーギたちと同じテントに放り込んだ。あの子じゃ、危険があった時に対処出来ない。お前が適任だよ、リン」

 抗おうと試みたものの、克臣に見事な反論を食らってリンは口を閉じた。そして背中を物理的に押され、晶穂の傍に送り込まれたのだ。

 狭いテントの中で、晶穂は規則正しい寝息をたてていた。その傍に座り、何となく寝顔を眺める。

 何処か幼さを残した無防備な顔に、愛しさと癒しを感じつつ、目覚めないことへの不安が拭えない。

 晶穂が目覚めないのは、魔力の回復が十分ではないからだろう。その回復は力を使わずに休むことでしか得られない。

 わかっていても、晶穂の笑顔に触れ声を聞くことが出来ないというだけで、リンは何処か寂しさを感じるのだった。

「……」

 灰色の髪を一房すくい、リンは自然と口付けていた。そして自分の行為に驚き、赤面しつつ晶穂に背を向けて横になったのだった。


 ユキが微笑んで食卓に向かったのを見送り、リンは頭を振った。そして煩悩を追い出し、起き出した甘音を泉の方向へ送り出したのだった。

「大丈夫かい、リン。百面相してたみたいだけど?」

「大丈夫です。……ちょっと、考え事をしていただけです」

 魔力で空気の板を作りその上でクレープ生地を焼くジェイスが、楽しそうにリンに尋ねる。リンは苦笑いを浮かべ、改めて準備を手伝いだした。




 時間は少し巻き戻り、昨晩深夜。

 ベアリーは何者かに揺り起こされて、ようやく目を覚ました。

「何者っ……何だ、ダイの部下の」

「はい。戦艦にて待機しておりましたが、全く連絡がありませんので三人で探しに来たのです」

 ベアリーの部下であるその青年は、戦艦には二人残っているから安心してほしいと笑った。そして、先程ダイたちも起こしたのだと言う。

「でも、おかしいのです」

「おかしい? 何がおかしいと?」

 ベアリーが尋ねると、青年は困惑の表情のままで呟くように話し始めた。

「皆、どうしてこんなところにいるのかわからない、なんて言うのです。私たちは王命でやって来たと言うのに」

「……」

「ベアリー様?」

「ごめんなさい。私も記憶が曖昧なのです」

「ええっ?!」

 いっそ大袈裟なまでに驚く青年を見て、ベアリーは本気で焦り始めた。確かに何か目的があったことまでは覚えているのだが、自分が何故こんなところで眠っていたのかを思い出せない。

 あわあわと挙動不審になる青年を見ていて可哀想になり、ベアリーは高速で思考をまとめた。

「仕方ありません。一度、王国に戻りましょう」

「で、でも。王命を果たさずに戻るなど……」

 狼狽えがおさまらない青年の気弱な反論に、ベアリーは一理あると言いつつも首を横に振った。

「ここで、王命とは何かを考え思い出す時間の方が惜しい。それに、私はきっと思い出せません。……あなたは覚えているようですが、それが王命かを判断する材料を私は持たないのです」

「わかりました。仰せのままに」

 わずかに不満げな雰囲気を持ちつつも、青年は素直に命に従った。女王直属の臣下であるベアリーと、一介の兵士とでは身分に大きな差がある。利権の乱用のようになってしまったなと思いつつ、ベアリーはガイたちのもとへと踵を返す。

「ここが本当に、何処かわからない。一先ずは、あの兵士に道案内を任せよう。……女王様、あなたは何を命じたのですか」

 ザッザッと不安定な足元を踏みしめながら、ベアリーは不思議な心地で周りを見渡した。

 ベアリーたちが進むのは、リン一行とは反対の方向だ。甘音の力の作用がベアリーにも起こり、リンたちは一時いっときではあるが知らぬ間に危機を脱したのだった。

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