第402話 焚火の夜

 上弦の月が闇を照らし、焚火たきびのパチパチという音が耳を撫でる。克臣たちが狩って来た獣肉を焼き、リンたちは夕食を食べていた。

 この食べ物のにおいを嗅げば目を覚ますかと思ったが、晶穂は相変わらず眠ったままである。今はリンの膝から離れ、木陰に横になっている。リンの上着を羽織ったまま、すぅすぅと寝息をたてていた。

「さて、みんな少しは落ち着いたかな」

 山で採って来た果物や野草で作った食事も無くなりかけた頃、ジェイスがにこやかにそう言った。

「ふぁにふんら(何すんだ)?」

「とりあえず克臣は、その肉を飲み込んでくれるか?」

 大昔の人のように骨付きの肉をくわえる克臣に、ジェイスは苦笑いを向けた。幼馴染で長い時間を共に過ごしてきたはずだが、克臣はいつもジェイスの予想の斜め上を行く。ふざけているのかいないのか、それはジェイスにもわからない。

 骨から肉を削り取って飲み込んだ克臣は、茶を喉に流し込んだ。

「いいぞ」

「ありがとう」

 ジェイスは克臣につられるようにして水を口に含み、飲み下した。

「そんなに改まることじゃないんだけど、春直に話を聞きたいと思ってね」

「ああ、それは俺も思ってたよ。そのオッドアイの理由をな」

 克臣にも催促され、春直はきゅっと両手を膝の上で握り締める。自分から話し出すタイミングは見つからなかったが、こうして促してもらえれば話しやすい。

「春直、頼めるか?」

 リンもまた、春直を気に掛ける。春直は「はい」と笑みを浮かべた。そして、ユーギたちを傷付けて走った後のことを思い出す。

「ぼくはあの後、アルジャの街の中を走って……雨が降って来たので森で雨宿りをしていたんです。そうしたらいつの間にか寝てしまって、気が付いたら、古来種の里にいました」

 目覚めて最初に出会ったのがクロザであったために警戒した。しかし、彼に春直をどうにかしようという意思は当然ながらなかった。

「クロザはぼくに何があったのかと尋ねました。だから、正直に答えたんです。……みんなを守りたいって願ったら、視界が赤く染まったんだって」

 その後の事は、何も覚えていない。ただ、次に目覚めた時には目の前に白狼の死体があり、ユーギや唯文を傷付けていた。

「……」

「……」

 ユーギも唯文も口を出さない。その背後に何があったにしても、春直の体がユーギたちを傷付けたという客観的事実は覆らないのだから。

 あれは事故だ、春直のせいではない。そう言うことは簡単だが、今必要な言葉ではないのだ。

 春直は大きく息を吸い、吐き出した。

「クロザはぼくにしばらく休むように言いました。その間に、封血に関する史料を探しておいてやると言って。……やっぱり、ぼくが白狼を倒したのは封血の力が原因だったみたいです」

「……それは、俺たちもゴーダとツユから聞いている。『操血そうけつ』という技の習得にあたったと」

「そういえば、言われました。リン団長たちにぼくが里にいることを話しておくって」

「ああ。だから、封血の危険性も知っているつもりだ」

 放置しておけば、春直が最も悲しむ結末へと繋がると。だから、自分のものとして操る力を身に付けさせるのだと。

 リンの言葉に頷いた春直は、ふと両手のひらを眺めた。

「訓練が始まって、クロザがぼくの中から封血を呼び出しました。……最初は呑み込まれましたが、数をこなす毎に封血を抑え込めるようになってきて。今は、同化しています」

 ここに。そう言って春直が指差したのは、色の変わった右目だった。赤紫に変色したそれが、封血を取り込んだあかしということらしい。

「後は、ぼくがこの力を上手く使いこなせればいい。そう言って、クロザたちに戻るよう促されて……今に至ります」

 話し終え、春直は少し肩の力を抜いた。余程緊張していたのか、かすかに瞳が揺れる。

「そう、か」

 リンはふと立ち上がり、春直の方へと歩いていく。そしてしゃがみ、片手を春直の頭の上に置いた。

「よく頑張ったな」

「!」

 てっきり何か言われるのかとびくついていた春直だが、思いもよらない言葉に言葉を失い顔を上げる。そこには、不器用に微笑むリンがいる。

「……あと、お帰り。また宜しくな」

「───っ、はいっ!」

 春直の耳がピンッと立ち、しっぽが嬉しげに揺れる。

 彼は、たくさんのことを考えていた。もしもを考え、どうしようと迷っていたのだ。しかし、それらが少しずつ氷解したように感じられた。


 それから、一行は火の番を交互に務めることを決めて順に眠りについた。最初に火の前に座ったのはリンだ。その隣に、寝に行ったはずの春直が腰を下ろす。

「春直、寝たんじゃなかったのか?」

「ちょっと、団長と話したくて。目が冴えてますし」

「そうか」

 二人して、しばし静かな時間を過ごす。火が薪を燃やす音が弾くように響き、瞳に赤々とした炎が映る。

「……」

「……あの、団長」

「何だ?」

 躊躇いつつ、春直が声をかけてくる。リンが気安い調子で尋ね返すと、春直は視線を彷徨わせ、意を決したように顔を上げた。

「団長は、ぼくを責めないんですか?」

「責める? 何でだ」

「何でって……。ぼくは、友だちを傷付けて逃げ出して、封血を自分のものにようやくく出来て帰ってきたけど……こんなにすんなりと受け入れられるとは思っていませんでした」

「すんなり、か。ふふっ、確かにそうだな」

 疑うことすらしなかったよ。リンは焚火を見つめたままで、そんなことを言う。

「そう、なんですか?」

「ああ。……実際はもしものことを考えないではなかったけど、春直がああなるにはそれ相当の理由があるはずだとは全員が思っていたからな」

「……信頼しすぎですよ」

 春直は体育座りの膝に顔を埋め、自嘲気味に呟く。パタン、としっぽが左右に揺れた。

「ぼくは、封血に呑まれて……いや、自分の弱さに呑まれて抗えませんでした。精一杯古来種の里で訓練はしましたけど、実は自信ないんです」

「自信はなくても、実績は積めるだろ? 努力の全てが報われるとは俺も言いはしないけど、春直が自分と戦い続けたことは知ってる。だから、乗り越えるためにも俺たちと共に進んでほしいと思ってるよ」

「……団長たちと、進む」

「そうだ。俺も気の利いたことを言えれば良いんだが、苦手だな。でも」

「でも?」

 少し顔を上げた春直がリンを見上げる。その瞳に、既に己の答えを映し出しているようにリンには見えた。

「……俺は、春直と共に過ごしたい。きっと、他のみんなもそう言うだろう。春直はどうだ?」

「ぼくは……」

 きゅっと唇を噛み締め、春直は前を向く。少し勢いを失った焚火に、傍に積んでいた薪を放り投げた。

 焚火の炎が勢いを増す。

「ぼくも、団長たちと一緒にいたいです。だから、ぼくが手に入れたこの力を、本当に自分の力にしてみせます!」

「頼りにしてるぞ、春直」

「はいっ!」

 ようやく、春直の本当の笑顔を見られた気がした。リンの手が春直の頭を撫で、春直がくすぐったそうに笑う。

 そうして夜が更け春直が睡魔に勝てなくなるまで、二人は話をして過ごした。

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