第401話 野宿の準備

 魔力が枯渇し、徐々に回復する力は全て障壁の維持に回していた。今思えば、だからこそ障壁内から動くことは出来なかったし、甘音を追うことも出来なかった。

 息をすることすらも苦しく、どうにかして敵の攻撃範囲からは逃げておこうと体を引きずるようにして岩陰に隠れた。

 出来れば、甘音を探しに行きたかった。錘のような足で這ってでも、幼い少女を抱き締めたいと思っていた。しかし、それが限界だった。

 岩陰に隠れた後、自分がどうしていたかは覚えていない。いつしか障壁を維持する力すらも失われた。けれど、こうやって眠っているのだから命はあるのだろう、と晶穂は何となく考えていた。

「……」

 瞼は重たくて上がらない。でも、何故か心は不安を訴えてはいない。あれほど障壁の中で怯えていた心が、今は落ち着いている。

 晶穂は自分に触れている『何か』を離さないようにとしがみついた。そして、甘えるように頬を寄せる。温かくて安心する『何か』から、離れないように。

 まさか、その『何か』がリンであるなどと思いつきもしない。


 しばらく緩やかな山道を進むと、ひらけた場所に出た。幸い、開けて尚且つ平らな土地であったため、そこを休憩所と決定した。

 殿しんがりを務めていた克臣が後ろを振り返り、何もいないことを確かめて伸びをした。

「ここまで来れば、追いかけては来ないだろ」

「あ。丁度良い感じの岩もあるし、ここにしよう」

 ユキが指し示した場所には、五つほどの岩が円状に転がっている。そこに腰掛けたり背中を預けたりと思い思いに座り、ようやく気持ちが落ち着いた。

「ジェイス、腕の怪我は?」

「ああ、ある程度は落ち着いたよ。お蔭様で、自己治癒力は高いからね」

 克臣に問われ、ジェイスは両腕を胸の前まで挙げて見せた。前腕部分にあった深い傷はほとんど塞がり、腕の痺れや痛みもないという。

「もう大丈夫。心配かけたね」

「ま、お前なら殺されても死なねぇだろうしな」

「それは克臣も同じだろ」

「違いねぇな」

 くっくと笑い、克臣は岩の上で胡坐をかいた。彼も体に傷を散らしているが、血は止まって後は治るのを待つのみである。

 見回すと、皆何かしらの怪我をしてはいるものの、ジェイス以上の重傷を負った者はいない。幸い、致命傷には至らなかったようだ。

 ジェイスはふと視線を動かすと、斜め前に腰を下ろしているリンを真っ直ぐに見た。

「リン、晶穂の様子は?」

「え? あ、はい。……目覚めはしませんけど、大きな怪我とかはないみたいですね」

 リンは岩に背中を預けて右膝を立てている。そして胡坐をかくように曲げたもう片方の足の上には、灰色の柔らかな髪が広がっていた。

 晶穂の頭が膝に乗っているのである。最初は肩を貸しておけばいいかと思ったが、眠っているためにバランスを崩して頭から倒れかけた。それ故の苦肉の策だが、リンは心臓が無事ではない。

(くそっ、無防備な顔しやがって……。俺の理性を何処まで試す気だ)

 ポーカーフェイスを保つことも出来ず、それでも必死に真剣な顔を保とうと躍起になっているリンだが、その手は愛しげに晶穂の肩に置かれている。そんなリンを内心面白がりながら、ジェイスはふと真面目な顔をする。

「しかし、休むことで少しでも回復出来れば良いけど。これ程まで魔力を使い切るのは初めてじゃないかい?」

「ええ。……一晩で起きれるようになれば良いんですけどね」

 幸いにも、空は夕暮れに染まりつつある。今日はここで野宿となりそうだった。

 晶穂が明朝にでも自力で動けるまで回復すれば、一層神庭かみのにわに近付くために山道を進むことが出来る。しかし目覚めなければ、一旦メンバーを二つに分けなければならないだろう。

 一つは、先行するグループ。二つ目は晶穂の回復と共に進むグループだ。自然と前者に戦闘力の高い者が割り振られる。その相談もすべきか、リンが混迷を極める己の心を押し退けて思考し始めた時、小さな声が上がった。

「あ、あのっ」

「どうした、甘音?」

 甘音の隣に座っていたユーギが首を傾げる。ちなみに甘音は岩の上に腰掛け、ユーギは地面に足を伸ばして座り込んでいる。

 甘音は一瞬躊躇ためらったが、大きく深呼吸をした。そして、少女らしい高めの声で言う。

「か、神庭に行ければ、晶穂さんの魔力を十分回復させることが出来ます!」

「え?」

 ぽかんと少女を見つめるリンとは対照的に、克臣が食いついた。

「甘音、それ本当か!?」

「は、はいっ。神庭は、天界の神が己の体を癒した場所だったと以前読んだことがあります。強大な魔力を持つ神ですら癒すのですから、晶穂さんの力も」

「……癒せるってことか」

 ふむ、と考える素振りを見せるリン。甘音の心臓はドキドキと鳴っていたが、その不安な時間は長くは続かなかった。

「甘音を連れて行くことが目的だったけど、もう一つ加えるべきらしいな」

「だな。甘音、教えてくれてありがとな」

「は、はい」

 隣の岩に座っていた克臣がニッと笑みを見せる。甘音はほっとして、胸を撫で下ろした。

 その時だった。

 ――ぐぅ

「……」

「……え、春直?」

「うっ」

 全員の視線が猫耳をぺたんと垂らした少年に集まる。顔を真っ赤にして、春直はお腹を押さえて顔を伏せた。どうやら、空腹で腹の虫が鳴いたらしい。

「ご、ごめんなさぃ……」

 徐々に小さくなる春直の声と態度に、まずは年少組が噴き出した。

「くっ……」

「あははっ。我慢しなくていいんだよ、春直!」

「ぼくもお腹空いちゃった。春直だけじゃないよ」

「は、恥ずかしいでしょ……」

 唯文が袖に口元を隠して笑いを押さえ、ユキとユーギが爆笑する。甘音は目を瞬かせた後、くすっと笑った。

 リンもジェイスも克臣も顔を見合わせ、頷き合う。克臣が岩から飛び降り、ユキとユーギを指差した。

「ユキ、ユーギ。今夜のおかず狩りに行くぞ」

「ここって獣いるのかな?」

「さっき、獣道はあったよね」

 克臣と彼について行く二人を見送り、ジェイスは残った年少組と甘音に声をかけた。

「わたしたちも野宿の準備をしよう。火を起こしたり、後は寝床もかな。手伝ってくれるかい?」

「勿論です」

「ぼ、ぼくも!」

「わたしも。火の起こし方、教えてもらえれば……」

「あ、ジェイスさん」

 三人を先導するジェイスをリンは呼んだ。自分も何かするという意思表示だったのだが、ジェイスに首を横に振られてしまう。

「リンは、晶穂の傍に。それに、荷物の番を頼むよ」

「あ、ちょっ……」

 リンの制止を無視し、ジェイスたちはその場を離れてしまった。とはいえ、それほど遠くに行ったわけではない。近くから彼らの話声は聞こえる程度の距離だ。

「……はあ」

 リンは息をつき、頭を岩に預けた。

(飯の時にでも、春直に色々聞かないとな。封血のこと、古来種とのこと、か)

 オッドアイを得た春直に何があったのか、何も知らないでは済まされない。そんなことを考えていたのだが、リンの意識はどうしても膝の方へと吸い寄せられる。

 時折身動ぎし、ズボンの生地を握られる。その度にリンは晶穂に起きろと叫びたくなる。冷静な判断をすることが困難なほどには、心がかき乱されていた。

 リンは手を伸ばし、晶穂の柔らかな髪をいた。少し青白さがましになった彼女の顔を見つめ、ぽつりと呟く。

「……目覚めてくれよ、晶穂」

 その祈りにも似た願いは、星々の輝く夜闇に吸い込まれて消えて行った。

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