第399話 仲直り

 赤く変色した爪がベアリーの蹴りを弾き返す。更に小柄な背中の持ち主は、突然の彼の登場に意表を突かれたベアリーの鳩尾に飛び蹴りを食らわせた。

「か、はっ……」

 下腹部を押さえ、ベアリーが気を失ってその場に倒れた。体力も気力も使い果たしたのか、目を閉じピクリとも動かない。

 ジェイスは慎重に近付くと、そっと口元に指をあてた。すると小さな呼吸音と吐息が触れ、息を吐く。こちらには殺す意思などないのだから、死なれてはたまらない。

「ジェイスさん、大丈夫ですか……?」

 影が射して見上げれば、そこには見知って尚且つ少し大人びた印象を与える少年の顔があり、その瞳の色はジェイスが知るものではなかった。

「春直、その目は」

「この右目ですか?」

 春直は右目の下部周辺に指を置き、苦笑した。赤紫へと変わった右目は、左の目の紫色と対照的ににぶく光って見える。

「ぼくが、封血の力を自分のものに出来た……と言い切るのはちょっと怖いんですけど」

「つまり、もう暴走することはない、と?」

「──はい。お騒がせしました」

 ぺこりと頭を下げ、春直は困り顔で微笑んだ。その姿はまさしく春直のものであり、ジェイスはようやく安堵の息を吐く。

「……全く、心配していたんだよ?」

「はい」

「リンも、ユーギも、唯文も。みんな、春直を案じていたんだ」

「……はい」

 春直は顔を伏せ、肩を震わせる。その小さな体を抱き締めてやり、ジェイスは彼の頭を撫でた。

「お帰り、春直。みんなの所に戻って、あったことを教えてくれるかい?」

「……はいっ」

 ぐずぐずと鼻をすすり、春直は涙声で頷いた。十代前半の少年らしく泣かせてやり、ジェイスは春直の手を取った。

 先程ベアリーの攻撃を跳ね返した爪は通常サイズに戻っており、色もさくら貝と同じ色だ。

「ベアリーがいつ目覚めるかもわからない。ここを離れよう」

「はいっ」

 泣いた後で赤くなった顔のまま、春直が首肯する。手にはたくさんのマメがあり、その幾つかには潰れた形跡もあった。

「……」

 ジェイスは春直の努力の跡に感慨を深くし、ちらりと後ろを振り返る。そこにはまだ倒れ伏したままのベアリーがいて、わずかに身動ぎした。

「良いんですか? その、放置して」

「ああ、彼女らの仲間が回収に来るだろうからね。それに、野垂れ死にはしないだろう」

 行こう。ジェイスは春直の手を引いて、激戦の跡に背を向けた。


 同じ頃。リンはユキと唯文、ユーギと共にジェイスの行方を探していた。

 しかし戦闘が終わったのか、先程まで強く感じたジェイスの魔力が消えてしまっていた。リンはぐるりと周囲を見渡し、歯噛みする。

「っくそ、確かにこっちからジェイスさんの魔力の波動を感じたのに」

「急に消えちゃったね」

「でも、こっちで間違いはないはずです」

 唯文が森の奥を睨み、言い切る。ユーギもその隣で頷き、同意を示した。

「この辺りに人が通ったにおいも残ってるし、間違いないよ! もう少し先も、行ってみ……」

「ユーギ?」

 急に立ち止まり、口を開けて硬直したユーギ。その不審な行動に首を傾げたユキが、ユーギが指差すその先を臨んだ。

「あっ。──兄さん!」

 ユキが、別の方向を向いていたリンを呼ぶ。唯文と共に気付いたリンが振り返ると、そこには探し人の姿があった。

「ジェイスさん! 春直も!?」

「ちょっ……、大怪我してるじゃん!」

「あはは。ちょっとね」

 リンとユキがジェイスの腕や腹を見て、悲鳴を上げた。当人のジェイスが苦笑するだけなのに対し、兄弟は呆れてしまう。

「ちょっと……?」

「何処がちょっとなんですか」

 四つのジト目で見られ、ジェイスはわずかに視線を逸らした。そして、話題転換を試みる。

「ほら、わたしよりも春直だろう?」

 その言葉に、唯文がいの一番に飛び出す。春直の両肩に手を置いて、じっと彼の顔を見つめた。

「た、唯文に……」

 若干引き気味に春直が口を開いたのと、唯文が大きなため息をついたのはほぼ同時だった。

「春直、お前も無事でよかった」

 思わず脱力して自分の肩に額を置く唯文に、春直はきょとんとした顔で応じた。戸惑う春直に、ユーギが助け船を出す。

「唯文兄、滅茶苦茶心配してたからね……。勿論、ぼくも」

「ごめんなさい……。うん、二人にはちゃんと謝らなきゃって思ってたんだ」

 唯文の手を離させ、一歩下がる。真摯な顔つきで、春直はユーギと唯文を交互に見た。そして、深々と頭を下げる。

「封血に操られたとはいえ、二人を傷付けてしまった。……本当に、ごめんなさい」

「春直……」

「……」

 ユーギも唯文も言葉に詰まる。春直の気持ちが痛いほど伝わってくると同時に、どうしたら春直に自分たちの気持ちが伝わるかと顔を見合わせる。

 見れば、春直の体が小さく震えている。許されないとでも思っているのだろうか。

 唯文は一歩春直に近付くと、低い声で呼び掛ける。

「……春直」

「───っ」

 びくっと震えた春直の頭に、何か温かいものが乗る。それは、ポンポンッとリズムをとって頭を優しく叩く。

「おれたちがお前との再会を喜ばないと、本気で思ってたのか? 勘違いするなよ?」

「え……?」

「おれたちは、春直が帰ってくるのを待ってたんだから」

 顔を上げた春直の目に飛び込んできたのは、目を赤くしたユキとユーギ、そして微笑む唯文の姿だった。彼らの後ろには、ジェイスとリンも控えている。

「みん、な……」

 ボロボロと大粒の涙が、春直の両目から溢れ出す。視界がにじみ、ちゃんと仲間たちの顔を見ようと目を擦った。

「ぼく、あんなことになって、嫌われたら……ひくっ……もう捨てられたらどうしようって、思って。封血を自分のものに出来ればって、思ったけど……つっ……出来ても、ここまで不安だったんだ!」

「嫌うわけないだろ? あれは事故で、春直のせいじゃない!」

「ああ。それに、自分の力を自分のものに出来たんだろう? 本当によく頑張ったな」

「そうだよ。お帰り、春直」

「ユーギ、唯文兄、ユキ……うわあぁぁんっ」

 春直はとうとう唯文に抱きつき、泣き出した。その涙に後悔も悲しみも悔しさも、わだかまった感情全てを押し流す。

 つられたユーギとユキも泣き出し、唯文が困惑の表情のまま為されるがままとなっている。

 年少組を見守りながら、リンは隣に立つジェイスを見上げた。

「ジェイスさんも、お帰りなさい。何処に行ったのかって心配してたんですよ」

「悪かったね。ベアリーをきみたちから引き離そうとしただけだったけど、わりと本気でやりあったよ」

 苦笑いを浮かべるジェイスに、リンは「仕方ありませんね」と応じる。

「克臣さんと甘音、それに晶穂の無事を確かめたら、報告会としましょうか」

「ありがとう。……そういえば、三人は何処へ?」

 甘音は晶穂と共にいたはず。ジェイスが首を傾げると、リンは目を伏せた。

「甘音だけが、克臣さんといます。晶穂の様子を見に」

「……大丈夫だよ、リン」

 ぽんっと頭を撫でられ、リンは困った顔をする。

「俺、子どもじゃないんですけど」

「そうだけど、今は必要だったからね」

 ジェイスに言い当てられ、リンは苦く笑った。そして、来た方向を振り返る。

「戻りましょう。……三人と合流しないと」



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